韓国で「日本」を伝える大切さ ― 古家正亨が韓国と関わって20年で感じたこと

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VJホランと古家
ヨロブン、アニョハセヨ! 古家正亨です。

最近NiziUにはまっているという人、多いですよね。韓国のJYP ENTERTAINMENTが日本のソニーミュージックとタッグを組み、新しいスターを輩出するという試み、Nizi Projectは大成功しているといえるのではないでしょうか。

これから迎える本デビューが楽しみで仕方ありませんが、NiziUのメンバーしかり、K-POPを介して韓国の芸能界、もしくは韓国で何かしらの活動をして、自分を極めたいと思う若者、特に女性が本当に増えたような気がします。僕が留学した90年代は、韓国に行って住みたいというだけで、不思議がられましたが、時代は本当に大きく変わりましたね。

実は、第2回のテーマが「韓国で『日本』を伝えるということ」なんですが、先に挙げたように、最近、自分の周りでも「K-POPアイドルを目指しているんだけど、どうすれば良いですか?」という質問を受けることも多く、確かに韓国で活躍している日本人が増えつつある中、そういう思いを(密かに)持っている人も少なくないと思うんです。そこで今回は、僕自身が韓国で「タレント」として仕事をした際のお話をさせていただこうと思います。


2004年 韓国でVJデビュー

2004年、今から16年前の出来事です。2004年というと日韓間で大きな出来事のあった1年でした。

1998年から段階的に始まった日本の大衆文化開放において、最も韓国の文化産業にダメージを与えると見られ、それまで開放が見送られてきた日本の音楽が2004年1月1日から、日本人が日本語で歌った楽曲を収録したCDの店頭販売が可能になり、地上波を除くケーブルテレビと衛星放送でのミュージック・ビデオの放映が可能になったという記念すべき年。

もちろん、それまでもインターネットで日本の音楽情報を収集したり、日本からの留学帰国組がCDを持ち帰ったりして、間接的に日本の音楽に触れることは可能だったものの、直接的に(合法的に)日本の音楽に触れる環境は整っていなかったため、韓国では当時、日本の大衆音楽いわゆるJ-POPは、ある種マニアたちのものという印象でしたが、大衆的なものになるきっかけが、まさにこの2004年だったと言えるでしょう。

当時、韓国の主な音楽チャンネルと言えば日本でもお馴染みのMnetをはじめ、MTV KOREA(現SBS MTV)、KMTV(後にMnetと合併)、そして香港系のChannel Vという4局でした。これらの放送局がこの開放を機にJ-POP紹介番組をスタートさせ、ミュージック・ビデオを放送。一気にJ-POP人気が広がるとみられていたんです。その内の1つが、MTV KOREAで土曜の深夜に放送されていた「MTVJ-BEAT」で、僕がVJとして出演していました。

MTV撮影現場
なぜ僕が韓国でVJの仕事を始めることになったのかというと、2003年に北海道のスキーリゾートを韓国で紹介するために企画された、札幌のFMラジオ局、FMノースウェーブとMTV KOREAが共同で製作したメディアミックス番組「SNOW PARADISE IN HOKKAIDO」のDJ及びVJ、そしてコーディネーターを務めたことがきっかけでした。当時MTV KOREAの編成チーム長に期間限定番組だったこの番組終了後、「日本の音楽を韓国で紹介しませんか」と声をかけられ、その僅か2週間後に番組がスタートという、韓国的にパルリパルリ(早く早く)な感じで、話が進んでいきました。

もともとラジオのDJとして普通にワイド番組のDJを務めていたこともあり、J−POPアーティストをゲストで迎えることも多かったので、その際に映像インタビューのお願いをして、それを収録し毎回韓国に持っていくという作業を行いながら、レコード会社各社には、業務用ベータカムでミュージック・ビデオをお借りし、インディーズから超メジャーアーティストに至るまで、幅広くJ−POPを紹介することになりました。

しかも収録は韓国で、月に2回は韓国に通う生活。でも、当時日本人が韓国の番組でレギュラー番組を持つことはほとんどなかったので、(誰かに求められていたわけではありませんが)自分なりの使命感を持って、「日本を代表して日本の良質な音楽を伝えたい」、そんな思いで取り組んでいた日々は、僕自身のその後の人生において大きな糧になりました。


1年3ヶ月…番組でのかけがえのない時間

韓国には留学していたものの、いわゆる放送で使う韓国語には慣れていなかったので、構成作家さんに色々と韓国の放送における言葉のノウハウを教えてもらい、それは語学学校や留学でも決して得られなかった経験として、今でも僕自身の仕事に役立っていますし、本当に感謝しています。また当時、韓国で大人気だったCLAZZIQUAI PROJECTのメンバーとして活動していたホランさん、そして韓国インディーズロック界が生んだ伝説のバンド、紫雨林(ジャウリム)のキム・ユナさんと一緒に番組を進行させてもらえたその時間は、自分の韓国史において、かけがえのない時間となったのは言うまでもありません。

ところが2005年5月8日、1年3ヶ月という短い歴史に幕を閉じることになったんです。一番大きな理由は、視聴率の低迷、そして日韓関係でした。

視聴率が低迷したことは、番組作りに問題があったと言われればそれまでですが、当時韓国で放送されていたJ−POP関連の番組はことごとく終了に追い込まれました。やはり視聴率の問題だったと聞いています。ではあれほど上陸が脅威になると言われ、人気と言われていたJ-POPがなぜ韓国で受け入れられなかったのでしょうか。一言でいうなら「かんりゅう」を意識しすぎたということでしょうか。

きっと多くの方は「韓流(かんりゅう)」のことではとミスリードするのではないかと思い、あえて平仮名で記した訳ですが、その「かんりゅう」ではなく「還流」のことを指します。
聞き慣れない言葉かも知れませんが、2004年の韓国における日本の音楽の開放を心から願っていたのは、当然韓国のJ−POPファンであり、日本のレコード会社だったのでは……と思われるかも知れませんが、実はその開放に一番「不安」を抱いたのは他ならぬ日本のレコード会社だったんです。

VJユナと古家
当時、韓国では音楽の視聴スタイルとして海賊盤を利用する人が少なくありませんでした。ちょうど日本で韓流ブームが起こりはじめた頃で、いわゆる「権利」で稼ぐことができることを意識しはじめた時代。つまり著作権に対する国民の認識が甘かったため、日本のレコード会社が積極的に韓国に進出したところで、正規盤のアルバムがどれだけ売れるかの保証もなく、さらに韓国の当時のフルアルバムの平均価格であった13000ウォン(日本円で1300円前後)に価格設定を合わせると、3200円で売られていた日本のフルアルバムCDが、韓国から逆輸入され、日本で低価格で売られるのではないかと言う懸念が絶えなかったのです。

このCDの流れを「還流」と言っていた訳ですが、結局日本の音楽業界はこの「還流」を恐れた結果、日本でリリースされる新譜が韓国で同時期にリリースされることはほぼなく、古いアルバムや無理やり作ったベスト盤などがほとんどで、さらに言えば、積極的に進出していたレコード会社やアーティストは皆無に近い状況でした。つまり、日本側自体が、その流れに乗ろうとしなかったため、自然と2004年の開放当時の熱気はあっという間に薄れていき、J−POPに対する関心はそれ以上の広がりを見せることは(この段階では)なくなってしまったのです。

もちろん、こうした日本側の動きそのものを否定するつもりはありません。僕も実際に韓国に住んでいた際に、海賊盤が支える音楽業界をリアルに目にしてきましたから、ビジネス的ダメージを防ぐため、権利を守るための手段として必要だったとも言えます。しかし「守る」ことに主眼を置き過ぎてしまったがために、それを広めて、後からビジネス的に回収すると言う今のK–POPの世界的成功を見てきた自分としては、あの時、少しでも冒険してくれる日本の音楽関係者がいれば、もしかするとJ−POPの世界化は今とは違った形になったのでは……と考えずにはいられません。


韓国で「日本」を伝えるということ

そして、もう1つの大きな壁は日韓関係でした。歴史問題に領土問題……日韓の間には多くの懸念材料があります。そしてその懸念は国民間の交流が盛んになっても、結局、その時々の世界の流れや政権によって大きく変わり、それが交流そのものに大きな影響を与えてきました。長きに渡って日韓交流に様々な分野で携わってきた方であれば、どれだけ信念を曲げずに続けてきたとしても、一瞬の内にその努力が水の泡と化した……なんて言う経験が一度や二度、いや三度以上あるはずです。そしてその度に、韓国の方は我々に、その問題についてどう思うかと尋ねてきます。

韓国では若者から年配の方に至るまで政治的議論が大好きで、お酒の席ではそれが良い「おかず」にもなりますが、日本では政治的議論は(一般的には)「触れずにながす……」が、空気的に理想とされてきましたよね。ただ、その背景には議論できるほど、政治について考えていない、もしくは興味がないので語れる要素がないというのが本音ではないでしょうか。そんな状況ですから、日本人が日本同様の空気感で、韓国の人から「この日韓問題についてどう思いますか」と質問されると、相手が傷つかないように「自分はよくわからない」とか韓国の人が喜ぶような回答をする人が多いのではないでしょうか。

でも僕自身、そういった瞬間に何度も自分が立ち会ってきて学習したのは、韓国の人たちは日本人からそのような答えを聞きたいわけではなく、一人の人として意見を聞きたいだけなんですよね。ですから「よくわからない」と言う答えが、一番相手が嫌うものであるということに気づいたのです。

結局「MTVJ−BEAT」は、「なぜJ−POPの番組を韓国で放送しなければならないのか」という問いに対する明確な答えが出せず、当時、領土問題や歴史教科書問題で揺れた日韓関係の(多少なりとも)犠牲となったわけです。

VJ古家 メイク中
今、韓国で活躍する日本人のタレントさんや歌手、K–POPアイドルの皆さんも、そういう瞬間に、間違いなく今後接することになると思います。すでに接して苦悩した経験がある人もいるでしょう。もちろん、時代も変わり、自在に韓国語を活用し、韓国愛溢れる韓国で活躍するそんな日本人に対して、むしろ声援を贈る方が、圧倒的に多いのも確かです。ただ、自分の経験からいえば、たとえそんな瞬間が来たとしても、決してそれを恐れずに、自分の素直な気持ちを伝えてあげる勇気が、これからは必要になってくるのではないでしょうか。

でもそのためには、決して上辺だけの知識ではなく、自分ができる限り「相手を知ろう」という努力が必要になってきます。そしてもっと大切なのは、日本人である自分自身を知ること。それによって、初めて客観的に日本を、そして韓国を見つめることができるようになると思うんです。

これから夢を叶えるために何らかの形で韓国に渡ろうと思っている皆さんには、韓流やK–POPの知識、韓国語、もちろん、様々なスキルは勿論ですが、それに加えて、自分の生まれ育った「日本」という国についての知識も、ぜひ身につけて欲しいと思います。なぜなら、将来的にあなたが韓国で「日本」をイメージする存在になる可能性があるのですから。

古家正亨×Kstyleコラム Vol.2

古家正亨(ふるやまさゆき)

ラジオDJ・テレビVJ・MC
上智大学大学院文学研究科新聞学専攻博士前期課程修了
2000年から韓国音楽を中心に、韓国の大衆文化をあらゆるメディアを通じて紹介。昨年までは年平均200回以上の韓流、K-POP関連のイベント等のMCとしても活躍。

現在もNHK R1「古家正亨のPOP☆A」(水曜21:05~)、NORTH WAVE「Colors Of Korea」(土曜11:00~)、CROSSFM「深発見!KOREA」(土曜18:30~)、Mnet「MタメBANG!~ただいま打ち合わせ中」(毎月第1、3、5木曜23:30~他)を通じて日本から韓流、K–POP関連の情報を伝えている。

最近では、YouTubeチャンネル「ふるやのへや」を立ち上げ、妻でアーティストのMina Furuya(ホミン)と共に料理やカルチャーなどの情報を発信中。

Twitter:@furuyamasayuki0

記者 : Kstyle編集部