「82年生まれ、キム・ジヨン」キム・ドヨン監督“映画学校に入った年齢は40代半ばだった”

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写真=ロッテエンターテインメント
「この映画をご覧になった観客の皆さんが『慰められた』という言葉を言ってくださった」

最近、ソウル三清洞(サムチョンドン)のあるカフェにて開かれた映画「82年生まれ、キム・ジヨン」の関連インタビューに、キム・ドヨン監督が参加した。キム・ドヨン監督は、短編映画「自由演技」を通じて「第17回 ミジャンセン短編映画祭」観客賞を受賞した。続いて今回の映画「82年生まれ、キム・ジヨン」を通じて、長編映画監督としてデビューした。

映画公開日、キム・ドヨン監督は「とても震えて、緊張します。やっとお会いしましたね。お待たせしました」と震える声で話し始めた。キム・ジヨンの役どころを引き受けた女優チョン・ユミは、先立つインタビューで「この映画が成功すると、社会的に大きな意味があると思います」と自分の考えを述べている。これに対してキム・ドヨン監督も「とても同感です」と述べた。

「映画を作ることになるまでも、前からやってきたためこの映画もあるのだと思います。その道から半歩ぐらい踏み出した映画だと思います。周りの方々が共感してくださるのでありがたく思っています。私たちは現場でのことについて話をする余裕があったので、そんな話を交わすことができましたが、その後は特に反応について話をはしませんでした。うまくいったら良いし、男性の方にも好んでいただければ嬉しいです」

チョ・ナムジュ作家の同名ベストセラー小説を原作にしたため、原作小説との演出における違いについて尋ねた。キム・ドヨン監督はむしろ、特に違いを置かなければならないとは考えなかったと話した。

「原作の小説があり、私のような場合には新参者であるため、違いというよりは本で理解した内容を、私が理解した内容を知っている線で溶かし込まなければと思いました。結末が小説では苦いのですが、映画では大それた話はしていないです。私は本を読んで慰めを受けました」

映画の中でキム・ジヨンの役どころを引き受けた女優はチョン・ユミだ。チョン・ユミは、シナリオを読んで共感し、キム・ジヨンというキャラクターに飛び込んだ。夫テヒョン役は俳優のコン・ユが引き受けた。キム・ドヨン監督は、二人の俳優を含む、助演俳優らに対する深い感謝の気持ちを伝えた。演劇女優として長い時間活動してきたキム・ドヨン監督が、他の先輩・後輩と同僚俳優たちを眺める姿勢は格別だった。

「チョン・ユミさんは典型的でない様子がありました。規定されていない人物だと思い、活力を吹き込むことができるだろうと思いました。キム・ジヨンは、平凡を演技をしなければなりませんでした。周りの人は平凡なのに、これをどのように演じて共感することができるだろうかと思いましたが、チョン・ユミさんを見ながら、その中に透明な姿がありました。明るく活発に話をしますが、急に背を向けると元気がなくなる姿をよく表現してくれました。コン・ユさんはスターですが『トガニ』という映画を選んだことを見た時にも、社会的な問題に関心を持ってバランスを持っている方だと思いました」

映画の中にはキム・ミギョン、イ・オル、コン・ミンジョン、パク・ソンヨン、パク・ソンチョル、ヨム・ヘランなど、いわゆる演技上手な俳優たちが大勢出演し、演技に抜け目がない。監督は、俳優の演技のオーディションを直接見ながら、涙を流したりもしたと述べた。

「かつては、私も演劇(の世界)に長くいたので、演技が上手な俳優を確保しておいた状態でした。まだたくさん出ていない俳優たちと一緒に(作業が)したかったです。この映画は、より現実を表現する感じだったらいいなと思い提案をしました。私がなぜこの映画に出演していないかって? 演出しながら演技するだけの能力はないと思います。とても気が気でなくなりそうで、そうするつもりはありませんでした」

映画の中で重要なシーンでもあった「モンスターペアレント」のシーンについて尋ねると、キム・ドヨン監督は「その部分は、実際にクライマックスに該当します」と状況を思い出した。

「ジヨンがどんな言葉を言うべきかについて悩みました。ただケンカをするだけではなく、それよりも圧倒することは何だろうと思いました。現実的には、キャラクターができる中心点を突く言葉は何だろうと考えました。」

1970年生まれのキム・ドヨン監督は、自分の実際の生活について振り返った。彼女は「時には運がいいとも思いました」と伝えた。

「ポータルサイトに出てくる様々な出来事を見て『私は運がいい』と思って過ごしてきましたが、小説を見ながら『私だけがそのような考えをするのではないんだな』と思いました。穏やかに過ごして子育てが始まり、キャリアが断絶したらどうしようと思うこともありました。私は、それでも幸いなことに文を書くなり、映画学校に行って、作った映画が共感を得ながら、ここまできたので運がいいと思います。映画学校に入ったときは、すでに40代半ばの年齢を超えていました。多くの方々が、その年齢になると新しいことを追求するのが難しいですが、私はそのような挑戦をしながら『私はこの年齢ですごい監督になろうと思うことはやめよう』と思いました。高さより方向にじわじわ歩かなければならないと考えました。エンディングを整理しながら、ジヨンもそう生きてくれたら嬉しいなと感じました。目的の方向に少しずつ生活の船首を回すことが重要ではないだろうかと思いました」

映画公開日前から聞こえてきた様々な言葉。キム・ドヨン監督は、実際の観客を通じてどのような話を聞きたかったのだろうか。

「まずご覧になった方から、慰められたという言葉をすでに聞きました。妻、娘、母を思い出したという言葉を聞きたいです。この映画は、どうにかして一度してみましょうというのではなく、女性でも男性でも目を開いて、こんなこともあったんだと満足していただける映画だったら嬉しいです」と伝えた。

記者 : シン・ソウォン