ハン・ヒョジュ「ぶつかっては壊れ、また立ち上がって…」

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映画「愛を歌う花」の最初と最後にハン・ヒョジュがいる。今まで清純できれいな顔立ちを表に出してきたこの女優にとって、執着や嫉妬、欲望や虚しさが入り乱れたソユルというキャラクターは、決して容易ではない挑戦であっただろう。ハン・ヒョジュはそのようなプレッシャーをものともせず、映画の中で豊かな感性のきめを見せる。そして、これからが始まりだ。ハン・ヒョジュは今後さらに勇敢に、タフに、でこぼこに演技をしたいと話した。さらに多彩になるハン・ヒョジュに期待する。

―まず愛を渇望する女性役は初めてでない。「ファイヤー・ブラスト 恋に落ちた消防士」でも、積極的に求愛する女性を演じた。求愛する側と束縛を受ける側は演技をする際、大いに違うと思うが。

ハン・ヒョジュ:やっぱり愛される方が良い。片思いはとても苦しいと思う。愛されるためにそわそわして……、気が気じゃないと思う。

―メロドラマの女主人公で、愛されるキャラクターより求愛するキャラクターが珍しいのは事実だ。

ハン・ヒョジュ:そうだと思う。女優が選択できる作品が多くない中で、「愛を歌う花」は女性キャラクターがとても引き立って見える作品だった。シナリオを見て、演技でももっと見せられると思った。大胆な演技を要する場面が多かったけど、その部分も気に入った。今まで私がしてきた演技は何というか、自然で普通な感じの役が多かった。そんなパターンの演技は相変らず好きだけど、でも一度ぐらいは大胆な演技に挑戦してみたかった。

―完成した「愛を歌う花」を見てどうだったか。演技していた時とは違う感じだったか?

ハン・ヒョジュ:確かに新しい姿だった。愛されなくてすさまじく泣き叫ぶ顔が今までの自分と違う姿で、目新しかった。私には色々な意味で挑戦となった作品だった。

―どんな部分がとりわけ挑戦だったか。

ハン・ヒョジュ:精神的な負担が最も多かったのは、最後の老人の役。プレッシャーで撮影前日はほとんど寝られなかった。

―老人の扮装について、パク・フンシク監督と意見が少し交錯したと聞いたが。

ハン・ヒョジュ:撮影直前まで私が老人の扮装をするのが果たして正しい選択なのかすごく悩んだ。映画の前後関係や感情の流れを邪魔したらどうしようと怖かったから。監督は最初からはっきりしていた。1時間50分が経って、映画を引っ張って来た人が最後まで責任を負うべきだという意見だった。最終的に監督に納得した理由は、私がこの映画を選択した理由でもあった。この映画のメッセージを凝縮した、「そんなに良いことをあの時はなぜ分からなかったのでしょう」という台詞を逃したくなかった。役者としての責任感もあった。私が演じた役を私が終わらせるべきだと言う、責任感。

―「主演本人が老人姿まで演じるべきか」ということについては、いつも好き嫌いが分かれるようだ。映画「王の運命-歴史を変えた八日間-」ではムン・グニョン(恵慶宮役)本人が老人に扮して、最後に登場した。一方「私のオオカミ少年」では、パク・ポヨンが演じたスニの中年時代を他の役者が演じた。当時も映画の選択について意見が分かれた。

ハン・ヒョジュ:同感だ。どんな決定でも、残念だったと思う。はっきりしているのは、老人メイクのために本当に多くの方々が努力を惜しまなかったということだ。メイクチームは言うまでもなく、照明チームや撮影チームなどのスタッフが長い時間精魂を込めた。初日はメイクだけに5時間かかった。役者にとっても珍しい経験ではないかと思う。老人メイクをして最後に台詞を言った時、感情を落ち着かせるのが大変なくらい、役に近づいた。大切な経験だった。

―友達ヨニ(チョン・ウヒ)に感じる才能に対する劣等感、愛の嫉妬など、ソユルは感情的に非常に複雑な人物だが。

ハン・ヒョジュ:初めてのミーティングの時、監督さんから言われた。「この映画は『モーツァルトとモーツァルト』の話だ」と。

―“モーツァルトとサリエリ”ではなくて?

ハン・ヒョジュ:だからさらに印象的だった。その話を聞いた瞬間、涙があふれるくらい、心に突き刺さった。キャラクターをもっとすさまじく感じたというか。誰かに才能を認められるというのが、こんなに価値あることなんだと、今一度感じた。

―愛よりは才能に対する嫉妬がもっと大きかった人物として、ソユルを見つめたのか。

ハン・ヒョジュ:全体的に見れば三人の男女の絡みあった愛の物語とも言えるが、個人的には芸者になりたかった妓生(キーセン:朝鮮時代の芸者)の話だと思った。ソユルにとって歌に対する欲望と情熱は愛の感情と同じくらいではなかったかと思う。歌に対する欲望の方が大きかったとしても、愛より小さいとは思わなかった。ソユルは妓生を芸者だと信じた人物だ。その信頼が壊れて、ソユルの人生に一つ二つと亀裂が生まれ始め、そんな自身の全てを失った時、女の変化というか。私はソユルの変化が理解できた。

―ソユルの感情は十分に説明されたと思う。ただ、ソユルと三角関係になるヨニとユヌ(ユ・ヨンソク)の感情が少し残念に思えた。編集過程で彼らのバックグラウンドがたくさん省略されたのではないかと思ったが、そこをもう少しクローズアップして欲しかった。

ハン・ヒョジュ:実はその部分は私も少し残念だ。それでも(チョン)ウヒさんの演技がとても上手かったので、ある程度説得力があったのではないかと思う。

―話に出たように、ソユルの人生は徐々にひび割れていく。どのようにその変化を表現しようとしたか?

ハン・ヒョジュ:映画的にどれくらい表現されたのか分からないけれど、演じる時に思っていたのは、ソユルを序盤はとても純粋で幼い子供のような存在にしたかった。理性的だったり大人っぽい人物だったら、苦難が近づいた時に賢く回避したり、打ち勝ったりしたはずだけど、ソユルはとても純粋で経験がないので、自分でも知らないうちに一方だけに流れていく。自分でも何をしているのか分からない状態で。

―ソユルは恋愛スキルが全然ない女性だ(笑) 映画「セシボン」のミン・ジャヨン(ハン・ヒョジュ)なら、ソユルにそれなりの恋愛コーチをしてあげたと思うが。

ハン・ヒョジュ:うわぁ、そうだと思う。ミン・ジャヨンだったら、ソユルみたいにはしなかったと思う。男の頭の上でもう少し賢く復讐していたと思う(笑) ソユルは本当に何も知らなかったんだと思う。

―映画「セシボン」で純真なグンテ(チョン・ウ)の愛を受け入れずに困らせたから、今回その罪の代価を正確に払ったわけだ(笑)

ハン・ヒョジュ:ハハハ。役を役で返した。

―ハン・ヒョジュさんは2005年、シチュエーションコメディ「ノンストップ」を通じてTVデビューした。20歳になった翌年にユン・ソクホ監督の季節シリーズ「春のワルツ」の主人公まで勝ち取った。多くの女優がうらやましがる作品だった。おそらく当時、たくさんの女優にとってあなたはヨニのような存在だったのではないか。

ハン・ヒョジュ:ああ……本当にそうかも。その時は何というか。運が良かったという言葉でしか表現できないかな。

―本当に“運”だけだったのだろうか。

ハン・ヒョジュ:当時はとても未熟だった。だから大変だったし。もう一度戻りたくないくらい……。

―意外な答えだ。光栄な瞬間だったと思うが。

ハン・ヒョジュ:もちろんとても光栄だった。すごく感謝したし。「私にこんなことが起こるなんて」という驚きの連続だった。でも一方では私の限界にぶつかった時間だった。撮影会場がとても怖かった。スタッフの前に立つのが怖くて、自分でも残念だった。すごく上手く演じたいのに、思い通りに演技ができなくて。撮影会場に到着して車のドアを開けるのが怖いくらいだった。車の中でたくさん泣いたりもした。

―今のハン・ヒョジュを考えれば、新鮮な話だ。

ハン・ヒョジュ:あの頃はそうだった。私が持つ能力より常に良い選択を受けた。だからいつも自分との壁にぶつかっては壊れ、ぶつかっては壊れて……その連続だった。

―治癒と言うべきか。どのように克服したのか。

ハン・ヒョジュ:人に受けた傷は人で治癒されるというけど、作品も同じだ。次の作品を通じて治癒されたと思う。

―どんな作品が大きな助けとなったか。

ハン・ヒョジュ:「アドリブ・ナイト」(2006)という映画を撮っている間、多くの助けを受けた。役者としての姿勢、役に対するアプローチ方法など、この映画を通じて多くのことを学んだ。私にとって治癒となる映画だった。

―本人が持つ能力より常に良い選択を受けたと言っていたが、今はどうか。その考えは変わっていないか。

ハン・ヒョジュ:今は演技がおもしろい。その理由を考えてみると、自分にできることが増えてきたからだと思う。昔は気持ちでは表現したいのに、それができなくて大変だった。今は表現したいことを表現できるからおもしろい。キャラクターに肉付けしながらあれこれ試してみて、提案もする。今は演技を楽しめるようになったと思う。もちろん大変な時もあるが(笑)

―映画の舞台である妓生学校“券番”が印象的だ。今の芸能事務所と似ているが。

ハン・ヒョジュ:よく似ている。今のマネジメントに学校要素を少し加えた感じというか。演じながら券番について調べてみたが、カリキュラムがとてもびっしり詰まっていた。珍しいことが多かった。日本語、踊り、歌、楽器、体力鍛練はもちろん、詩を読む授業もあった。それを4年間習う。試験は定期的に受けるが、落ちた人は出て行かなければならなかった。

―オーディションのようだ。

ハン・ヒョジュ:そのようなものだ。学費も必要だった。個人の事情で学費を出せない人の中には、妓生で働き始めてから返す場合もあったようだ……。

―ハン・ヒョジュさんもオーディションをたくさん受けたか。

ハン・ヒョジュ:私は……私はそんなに受けなかった(笑) 運が良いケースだった。

―ソユルが演技に感じる嫉妬のように、役の中でやりたかった役などはあるか?

ハン・ヒョジュ:ハリウッドのキャラクターの中ではやってみたい役が多い。パッと思い浮かんだキャラクターは、映画「マッドマックス 怒りのデス・ロード」のフュリオサ(シャーリーズ・セロン)。すごくかっこいい。あんなキャラクターなら、大変身できると思う。

―フュリオサなんて。か弱く見えるのであまりマッチしない(笑)

ハン・ヒョジュ:体を鍛えればいい。できる。髪も短く切って(笑)

―そういえば映画「監視者たち」でアクションを披露していたが。

ハン・ヒョジュ:もう少しやりたい。もう少し激しく。映画「監視者たち」では味見だけ見せた感じなので。アクション・スリラージャンルは上手くできる自信があるのに、そんな風に見えないみたい。入ってくるシナリオのキャラクターほとんどが大人しい(笑)

―韓国の伝統歌曲である正歌と大衆歌謡の対立も興味深い。正歌の隙間に大衆歌謡が早く地位を築いてしまい、これに対して芸術家の選択と運命も交錯した。これは今でも似ているのではないかと思う。既存の基準が新しく入ってくるものなどによって早く変わってしまう。役者はそういう変化に敏感に露出した存在だが、それでもハン・ヒョジュさんにとって「これだけは守らなければ」という基準はあるか?

ハン・ヒョジュ:私は一瞬一瞬が新しい。見ている方々は似ていると感じるかもしれないけれど、私は演技に対する特定のパターンがない。現場によって毎回変わる。私にとって最も重要なのはシナリオに対する第一印象だ。第一印象が与えるインパクトだ。演技しながらわからなくなると、第一印象を思い出すタイプだ。

―先ほど自然で日常的な演技が良いと言っていたが、非常に重要なポイントだと思う。それがハン・ヒョジュが持つ最も優れた長所だと考える。

ハン・ヒョジュ:嬉しい。飾るより自然なのが好きだ。だからそれが悩みだ。そんな演技だけできる訳じゃないので。そのような面で挑戦したのが「愛を歌う花」だけど、ジャンル的な映画にもう少し挑戦してみたい。

記者 : チョン・シウ、写真 : ク・へジョン、翻訳 : 前田康代