チェ・ミンシク「創作者が先に自ら検閲…最も危険なこと」

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映画「隻眼の虎」は「トレンドを追って映画を作ることは危険なこと」と信じるチェ・ミンシクの心を動かした作品だ。彼は「隻眼の虎」と自分の間に存在する未知の引力を“ご縁”と表現した。映画を見ていると、キム・デホ(虎)とチョン・マンドク(チェ・ミンシク)の顔が似ているような錯覚に陥るが、いくら考えてみてもそれは単なるビジュアル面の一致から感じる印象ではない気がする。それはたぶん、キム・デホとチョン・マンドクの人生の中から俳優チェ・ミンシクが歩んできた芸術家としてのエネルギーが感じられるためだろう。“業、因果応報、節制、礼儀”を抱いている映画「隻眼の虎」の中で、55歳を目前にした俳優チェ・ミンシクは何を考えたのだろうか。

―今日はタバコがないですね。

チェ・ミンシク:(深いため息) そうなんです。

―ひょっとしたらやめられたんですか?

チェ・ミンシク:いや、そんなことないです(笑) 僕の人生に禁煙はないです。まあ、こんな世の中(屋内禁煙法)になったから仕方ないですね。吸いたくても従わなければなりません。そのおかげで、タバコの本数が減ったのはあります。お酒を飲む時、タバコを続けて吸うようになりますが、その方が二日酔いがきつくならないんです。出たり、入ったりするから。

―以前「バトル・オーシャン/海上決戦」で李舜臣(イ・スンシン)を演じたことについて運命だとおっしゃったことがあります。「隻眼の虎」のチョン・マンドクはどうやって出演することになりましたか?

チェ・ミンシク:これもご縁だと思います。偉そうに言ってるのではなく、もし「バトル・オーシャン/海上決戦」による負担が大きかったなら、この作品はやっていませんでした。映画がどんな風に完成されるかも分からないこんな不安な作品に出演する理由はありません。もしそれが気になったら完全に正反対の情緒を持った現代物に出演したと思います。そんな計算をすることもできました。でも、僕も分かりません。ただ他の作品よりもこの作品にとても惹かれました。だから、これがご縁なんです。僕は今まで自分の気持ちによって動いたことに後悔したことがありません。そして、それが正解だと思います。映画の成敗や興行成績と関係なく、自分が好きで出演した作品だから人を責めることはできないんです。だから、心が気楽です。映画が上手くいったらもっと嬉しいだけです。


「試写会までずっと不安でした…こんなに不安だったことは初めて」

―これまで以上に完成した映画が気になったと思います。撮影の間ずっと目に見えない仮想の虎と戦ったから、ストレスも多かったでしょう。

チェ・ミンシク:この作品を選んでマスコミ試写会を行う前まで、まるで喉に石が一つ詰まったように不安でした。僕たちがいくら素敵なメッセージだと感じて大衆に声をかけても、キム・デホさん(虎)が不自然だったらダメな映画になるからです。そうなると、この映画は愛されることができないんです。キム・デホさんがめちゃくちゃだと! あまりにもCGっぽく見えると、観客は映画に没頭できないんです。だから、ずっと不安でした。こんなに不安だったことは初めてです。幸い、試写会で見たら、キム・デホさんが自然で、今はとても“ハッピー”です。ただ、キム・デホさんは礼儀がないんです。マスコミ試写会が終わったらすぐに帰ってしまいました。撮影する時は現場にも出てこなかったんです(一同笑)

―すごく気になっているんですが、デホ氏の名字はどうして“キム”なんですか?(笑)

チェ・ミンシク:南山(ナムサン)から石を投げたらキムさん、イさん、パクさんのうち、一人に当たるというんでしょう? そのうち、一番気楽な名字がキムでした。イ・デホは野球選手にいるじゃないですか。それに、パク・デホという名前は少し情が薄い感じがして、それで深い理由なくキムを選んだんです。ははは。

―不確実性を持った作品であるにもかかわらず、「隻眼の虎」に惹かれた理由は見つけましたか?

チェ・ミンシク:メッセージだと思います。業、因果応報、節制、礼儀などのことです。実は人生を生きながら常に考えることではないのですが、そんなことが表現できたらいいなと思いました。「捕まえる数だけ捕まえよう。これは山が決めるべきことだ」という台詞にも反映されています。その台詞には多くのことが含まれています。僕があまりにも大げさに言っているようで恥ずかしいのですが、僕たちが倉庫に置いておいた価値、忘れて生きていた美徳を回復、喚起してみるきっかけになってほしいと思いました。

―質問を少し広げてみます。チェ・ミンシクさんが感じるに2015年の現在、私たちはどんな価値を忘れていると思いますか?

チェ・ミンシク:礼儀がなくなっているのではないかと思えて、僕も反省しています。これは挨拶をよくするかしないかのレベルの話ではないです。草一本、木一本もむやみに向かい合っていなかった人々の心について話しているんです。うちの母と祖母は仏教の信者でした。小学生の頃、母親と山によく行きましたが、その時、母親から「山に大小便をしてはいけない。事前にトイレに行ってから山に行かなければならない」と言われました。僕が「どうしてですか? それじゃあ、そのままズボンにもらすんですか?」と聞くと、「だから前もってトイレに行ってから山に行きなさいと言ったでしょう!」と言われました。これは宗教的な話をしているわけではありません。ただ、もし僕が「こんな話があり得るの? 迷信だろう? 虎は神なんかじゃない」と思う環境で育ったなら、この作品は選ばなかったと思います。だけど、育った環境のおかげでチョン・マンドクの心が僕にはとても自然に理解できました。今考えてみると、この作品に心が動いたのはそんな理由もあったと思います。考えてみれば、本当にそうです。


「『僕たちは芸術家です』と言うのは笑われること。ダサいです」

―「新しき世界」のインタビューの時、パク・フンジョン監督について“根性”という表現を使いました。「『私はアーティストだ』というマインドがあって好きだ」と言いました。「隻眼の虎」を撮る時はどうでした?

チェ・ミンシク:相変わらずでした。でも、以前よりかなり穏やかになっていました。もう少し大人っぽくなったとでも言いましょうか。きついところがありましたが、もう自分も年を取ったからかそんな部分がとても柔らかくなったと言っていました(笑)

―一方、今のシステムでは映画を芸術として、映画人にアーティストの側面からアプローチすることが難しいです。そんな意味で「隻眼の虎」は考える地点が多い映画である気がします。

チェ・ミンシク:実はその通りです。作る人の立場から「僕たちは芸術をしています。僕たちは芸術家です」と言うのは笑われることです。ダサいです。それほど愚かに見えることはありません。僕たちは結果として見せなければなりません。重要なのは文化を消費する大衆が先に認めてくれることです。そんな意味で、現在の映画人の位置と映画に対する大衆の認識について僕は前向きに考えています。僕が役者になると言った時、父親から「長男は画家で、次男はタンタラ(芸能人を見下して呼ぶ言葉)? こいつらがお腹を減らしたことがないからそんなことを言っている! まだ苦労したことがないからだ!」と言われました。うちの兄は絵を描いているんです。でも、今は子どもが「K-POPスター」に出ると、両親が一緒に行って応援して尊重してくれます。世の中が変わったんです。いいことだと思います。そして、こんなに映画や大衆文化に関心の高い国はどこにもありません。ある意味、幸せなんです。良い時期に生まれたと思います。その代わり、常套的な話かもしれないですが、だからこそ上手く作らなければなりません。多様に作らなければなりません。ゲームのように楽しめる作品も作って、それなりに真面目な物話を投げかけて観客が悩むようにしなければなりません。多様に、きちんと作らなければならないということです。

―まだ渇望を感じるジャンルがありますか?

チェ・ミンシク:メロ! メロ! メロ! メロ! 激情メロ! ハハハ。

―(笑) メロに対する愛情をずいぶん前から明らかにしていますが、オファーはありましたか?

チェ・ミンシク:ないです。皆から“激情メロ”ではなく、“心配メロ”になってしまうと言われます(一同笑) それでも、諦めていません。年をもっと取る前に出演しなければならないんですけどね。


「舞台はまだすごく怖い。本当に怖いです」

―今、メロの話をしていますが、愛というものは年齢によって意味が変わります。チョ・ミンシクさんが考える愛とは何ですか?

チェ・ミンシク:とても難しい質問です。ははは。そうですね……配慮かな? 若い時は「君のことが好きだ」「どうして僕の言う通りにしないの?」「あなたはどうして他の女と話すの?」「どこに行ってきたの?」など、相手に執着するからです。

―過去にそうだったんですね!(笑)

チェ・ミンシク:え? ははは。僕もそうでした。執着することがありました。でも、今は生死から確認します(一同笑) 誰かを愛して好きな方法が薄くなったというよりは、余裕ができた気がします。すべて経験してみたから、それがどれほど醜いのか知っているんでしょう。

―“舞台の上のチェ・ミンシク”を見たいと思う方が多いです。

チェ・ミンシク:舞台は本当に怖いです。2007年、「PILLOWMAN」という作品で7年ぶりに舞台に立ったことがあります。LGアートセンターの大劇場でやりましたが、くだらないプライドがあってワイヤレスマイクをつけずに舞台に立って大恥をかきました。結局、台詞が聞こえないからと3階を閉鎖しました。

―3階を閉鎖する代わりに、ワイヤレスマイクを選ぶこともできたはずですが。

チェ・ミンシク:くだらないプライドのためです。その時、怒られた後は、演劇というものは気持ちだけでやってはいけない、それほどの時間を投資しなければならないと改めて心から思いました。

―「チェ・ミンシクのような俳優も舞台は怖い」という話は後輩にとって希望的に聞こえると思います。

チェ・ミンシク:「隻眼の虎」で友達として出てくる(キム)ホンパは実際に僕の友達です。まだ「インサイダーズ/内部者たち」を見ていませんが、その映画でホンパが素晴らしい演技を見せたと聞きました。「隻眼の虎」では実力に比べて小さな役だったのに出演してくれて感謝しています。ホンパとは舞台で共演してみたいと思っています。50代男性の2人劇! 面白そうじゃないですか? 50代の中年男性のユーモアと空しさとその軽々しさを小劇場で描いたら面白そうです。


「作る人が先に自己検閲…最も深刻な問題です」

―50代の男たちはお酒を飲む時、どんなことを話しますか?

チェ・ミンシク:いや~汚いです。本当に色んなことを話します。恥ずかしくて言えないです。はははは。

―そういえば、最近「オールド・ボーイ」が非ハリウッドの名作スリラー映画1位に選ばれました。

チェ・ミンシク:「オールド・ボーイ」が今も挙がっているんですか? 牛の骨でもないし、本当に長い間言及されてますね~ははは。たぶん、タコを噛んで食べるシーンが印象に強く残るからだと思います。

―「オールド・ボーイ」は毎年、海外で名作として取り上げられています。時間を乗り越えた作品であるわけですが、そんなニュースを聞くとどんな気持ちになりますか?

チェ・ミンシク:両刃の剣だと思います。認められた作品に出演したという優越感はありますが、そのイメージが俳優にレッテルのようについてくることはそれほどいいことではありません。観客が新しいイメージと創作に集中してほしいから、残像が残ることはあまりです。

―「シュリ」「バトル・オーシャン/海上決戦」のように観客の反応が大きいと予想される作品もありましたが、「ハッピーエンド」「オールド・ボーイ」「悪魔を見た」のように大胆な選択もたくさん行っていました。

チェ・ミンシク:大衆が好きなトレンドを追って映画を作ることは本当に愚かなことです。「オールド・ボーイ」がどうやって出たのか考えてみてください。当時、パク・チャヌク監督と僕、そして今は「ヨンピルルム」の代表になったイム・スンヨンが「オールド・ボーイ」の原作漫画を見て3人で会いました。中華料理屋さんでお酒を飲みながら「これはシェイクスピアなの? オイディプス?」「これはあり得ないことだろう?」「しかも商業映画で、実の娘と(近親相姦を)?」「こんな映画に誰が投資するんだ?」と言う話を交わしました。だが、ある瞬間、「僕たちが自ら検閲している」「僕たちが自ら統制している」と思って腹が立ちました。これは最も深刻な問題だからです。作る人が自由でないということは言葉にもならないんです。だけど「オールド・ボーイ」は実際に大変な経験をしました。投資が上手くいかなかったんです。お金を出した人もキャンセルして作品から下りるぐらいでした。ところで、僕はどうして「オールド・ボーイ」の話をこんなに長くしているんですか?


「まだ自分の人生を振り返って客観的に見れる余裕はありません」

―トレンドについて話しています。

チェ・ミンシク:あ、トレンド! ごめんなさい。最近、こうなることが多いんです。ハハ。だから、僕が話したいことは「トレンディーなのか、トレンドじゃないのか」は重要じゃないということです。核心はどんな題材をどれほど信頼性があって完成度を高く作るのかだと思います。それで「オールド・ボーイ」の話をしました。「オールド・ボーイ」はまったくトレンディな題材ではありません。でも、僕たちはその題材に魅了されて、夢中になって熱心に作りました。だから観客とコミュニケーションが取れたのです。

―結果も良かったんです。

チェ・ミンシク:そうなんです! 僕はそれが基本だと思います。

―頭より拳が先に出る“チンピラ”を演じて、残酷な悪人も演じました。一方、「隻眼の虎」のチョン・マンドクは3流でも、1流でもなく、自然の順理を全身で受け入れる人物です。55歳を控えたチェ・ミンシクさんの人生はどんな方向に向かって進んでいると思いますか?

チェ・ミンシク:ああ、これはお酒を飲みながら話さなければならない質問ですね。ははは。さあ、よく分かりません。まだ自分の人生を振り返って客観的に見れる余裕はないと思います。大衆の評価とは関係なく、自分の中に多くの欲が生じるんです。やりたいことが絶えず思い浮かんで、表現したいことがますます多くなっています。理由は分からないですが、とにかくそうなんです。でも、自分自身に質問するようになることはあります。(独り言)あ、それが自分を振り返ることかな。(嘆きながら)あ! そうかもしれません。僕は進む途中、止まって立つことがあります。そして、「ちょっと待って。僕は今何をしているんだろう? 何のためにこれをやろうとしたんだろう?」と思うんです。そしたら、「今までやってきたじゃん」という答えしか出ません。そうやって合理化したり、意味を付与したり、反省をしたり、いい気にもなります。そうやっていると、物語を作ることやある人物を表現すること、職業自体についての意味を考えるようになります。「きちんと作ろう!」という強迫も生じます。そして「観客が望むことではなく、自分が望むこと」をやろうという気持ちになります。どんな風に聞こえるかしりませんが、自分が望むことがより切実になります。

―それでは、以前はどうでしたか? 望んでいる作業をしてこなかったのですか?

チェ・ミンシク:以前からそうやってきた気がします。それで、1~2年ぐらいを休むこともありました。僕の場合、一年にたくさんの作品には出演していません。僕が望むことをきちんとやり遂げたいからです。

記者 : チョン・シウ、写真 : ク・ヘジョン、翻訳 : ナ・ウンジョン