ソル・ギョング「ヨ・ジングと『西部戦線1953』は女優の故イ・ウンジュがつなげてくれた」

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小市民のペーソス(哀愁) を表現することにおいて、これほど相応しい俳優はいない。彼が涙を流すと、観客も涙を流すようになり、彼が怒ると観客も憤るようになる。俳優ソル・ギョング(47) の力は塩辛い人間味だ。

こんなソル・ギョングがヒューマンコメディー映画「西部戦線1953」(監督:チョン・ソンイル、制作:ハリマオピクチャーズ) で老若男女問わず笑わせ泣かせようと決めた

1953年、韓国戦争を背景に農夫出身の韓国軍と戦車を本でしか見たことのない北朝鮮軍が、戦争の運命がかかった秘密文書をめぐって危険な対決を繰り広げる内容を描いた「西部戦線1953」。ソル・ギョングは今回、40代の韓国軍兵士ナンボク役を演じた。

2年間の軍生活、7年間の予備軍、40歳までの民防衛をすべて終えて久しいソル・ギョングが再び軍服を着て鉄帽を被るしかないなんて、これよりおかしくてまた悲しい現実が他にあるだろうか。韓国の軍除隊者たちにとって、最大の悪夢である軍隊への再入隊。ソル・ギョングの「Dreams come true(夢は叶う)」が秋夕(チュソク:日本のお盆に当たる韓国の祝日) の映画シーンを埋め尽くした。

「最初は『西部戦線1953』には出演しないと念を押しました。2009年、韓国戦争60周年の時に提案された作品でした。あの頃は『戦火の中へ』(2010、監督:イ・ジェハン)、『高地戦』(2011、監督:チャン・フン) などの作品も多く制作された時期でしたし、政府で戦争映画に対する支援を多くするという噂まで広がっていました。そんな話が多く出ていた作品なので偏見があって、出演したくなくなっていたのですが、なぜか気になってきたのです。その後、2012年頃忌日に合わせてイ・ウンジュに会いに行きましたが、ある人が僕に挨拶をしました。『西部戦線1953』のプロデューサーでした。それから『西部戦線1953』を制作するハリマオピクチャーズの代表から連絡があって、『西部戦線1953』は冷凍保存されているので、いつでも取り出してあげると言うのです。その言葉を受けて、素早く手に取りました(笑)」

以下はソル・ギョングとの一問一答である。

―「西部戦線1953」は見て面白かったか。

ソル・ギョング:撮った通りにできたと思います。隙も多く、間抜けなところも多いです(笑) 間抜けな時代に間抜けな俳優たち、間抜けな監督と一緒でしたので。それでも、時代の背景に相応しい映画が出来上がったと思っています。

―戦争映画をコメディー化するということについて、プレッシャーはなかったか。

ソル・ギョング:ただ笑わせるだけでは難しい題材ですね。その点についてとても悩みました。笑わせるレベルをどこまで上げるかが難しかったです。

―チョン・ソンイル作家の監督デビュー作だが。

ソル・ギョング:作家として監督が自ら書いた作品だったので、不安はありませんでした。チョン監督も子供ではありませんし、そのような心配はしなくてもいい経歴を持っています。ふふ。

―公開を1ヶ月後に控えていた先月、実際に北朝鮮が西部戦線1953を挑発してきた。

ソル・ギョング:あの時は、本当に驚きました。まずは韓国の国民として怖かったです。様々なポータルサイトのリアルタイム検索のランキングにうちの映画のタイトルが上がっているから、「これは何事だ?」と思ったりもしました。僕の甥が「おじさんの映画に、北朝鮮が砲撃している」と心配しながら連絡をしてきました。表には出すことができませんでしたが、心の中では心配していました。

―制作費の多くが戦車を作ることに使われたとか。

ソル・ギョング:「西部戦線1953」は存在そのものが本当にコメディーのようです。制作過程から面白かったです。戦車の速度にポイントを当てると直接制作したのに、制作中は戦車のないシーンから撮りました。天気が良い日も戦車がなくて撮ることができなかったです。作られた戦車は速度にポイントを当てたというのに、むしろ僕が走る速度のほうが速かったです。無鉄砲な作り方でした(笑) 「西部戦線1953」を撮影する前に「フューリー」(2014、監督:デヴィッド・エアー) を見ましたが、それを見てから撮影しようとしたら現場に行くのが嫌になりました(笑)

―狭い戦車の中で撮影をするのは、簡単ではなかったと思うが。

ソル・ギョング:小さな格闘でもある時は、鋼鉄なので痛かったです。凶器そのものでした。僕は左手に傷ができ、ヨ・ジングは右手を怪我しました。苦労して撮った作品なのに、その後ペ・ソンウが僕に会うと「兄さん、もしかして『西部戦線1953』の撮影中に怪我をしてイラッとして家に帰ったことがありますか?」と聞くのです。イラッとするなんて。痛くて病院に行ってから帰ってきて頑張って撮影したのに……。いつも噂というのはこういう風に広がるのです(笑)

―ヨ・ジングの負傷でソル・ギョングの方が驚いたというが。

ソル・ギョング:ヨ・ジングが怪我をして、病院へ向かおうと撮影現場を出た時に、遠くでスタッフたちが声を上げました。ジングが倒れたのです。あの時は本当にすごく驚きました。僕も驚いて走って行きましたが、ジングの顔が真っ白になっていました。本当にとても心配しました。

―実は、ソル・ギョングはスタッフの間で“魔性のツンデレ”と言われてはないか?

ソル・ギョング:優しいタイプではないです。無愛想です。恥ずかしくて情が溢れるような接し方はできない方です(笑) 最終日にはスタッフたちに「お疲れ様、XXたち」と悪口を混ぜて挨拶をするけど、それがまた喜ばれるんです(笑) 僕の悪口を聞かないと何かが抜けているような気がするとか。けど、最近はそこまでは悪口を言いません。40代にもなって悪口を言うのもまた醜いことですね。控えめにしています。

―今回の作品を通じて、ヨ・ジングをすごく大事に思うようになったと見える。

ソル・ギョング:ジングは情熱もあって好奇心も多い純粋な俳優です。まずは声が本当に良いですね。俳優にとって良い声はとてもメリットになるので、羨ましいです。声だけ聞くと、僕の同年代に聞こえませんか? 30歳は年上(の役) でもカバーできると思います(笑) 目もすごく綺麗で、魅力が本当に多い俳優です。もちろん僕はいつもジングに「いつまで澄んだ瞳でいられると思う?」と冗談を言ったりもしますが(笑)

―そう言うソル・ギョングはいつまで澄んだ瞳を持っていたか。

ソル・ギョング:映画の画面で捨てたと思います(笑) 僕の母はいつも僕に「あなたは映画俳優になってから澄んだ瞳が消えた」と話していました。

―元々、ヨングァン役としてヨ・ジングを考えていたか。

ソル・ギョング:僕が「絶対にヨ・ジング」と言わなかったとしても、制作会社でヨ・ジングを選んだと思います。ヨングァンは実際にその年齢の俳優が演じるのが一番似合います。適役なんです。あの時、思い浮かんだ俳優がヨ・ジングでしたが、「今ヨ・ジングは何しているんだろう?」と思ったのがここまで来るようになりました。多分イ・ウンジュがつなげてくれたのではないかと思います。

―故イ・ウンジュがつなげてくれた作品だと思うのか。

ソル・ギョング:「虹鱒」(英題:「Rainbow trout」/ 1999年、監督:パク・ジョンウォン) の時に出会った親しい俳優でした。お互いの母も知っているし、兄妹のように過ごしました。ウンジュが亡くなる数日前にもすごく苦しんでいて、悪口をたくさん言ってあげて食事をご馳走しました。なのに亡くなって……。途方に暮れました。なので、時間が許す限りはいつもウンジュの忌日に会いに行きます。1年に1回行くあの場所で「西部戦線1953」に出会ったので、ウンジュがつなげてくれた作品だと思っています。

―ソル・ギョングやヨ・ジングに負けじと雄牛が熱演した。

ソル・ギョング:実際、クロッキーのためにフィットする服を着たスタッフたちが雄牛を連れて行き来していました。雄牛の演技が思ったより上手すぎて、チョン・ソンイル監督が撮影を終えて出演料もあげたと聞きました。最高級の飼い葉を与えてほしいと、持ち主の方にボーナスをあげたそうです(笑) 実は「西部戦線1953」はソル・ギョング、ヨ・ジングそして雄牛、戦車が主人公です。

―ソル・ギョングには強烈な演技を求める観客も多い。

ソル・ギョング:「ペパーミント・キャンディー」(1999、監督:イ・チャンドン) へのトラウマがあるんです。他の役に挑戦しても、いつも「ペパーミント・キャンディー」と同じだという評価がありました。その言葉が本当に嫌でした。泣いたら泣いたからと、声を上げたら声を上げたからと言うので。作品ごとに「『ペパーミント・キャンディー』のようだと言われたらどうしようと思って、ストレスを受けました。けど、わざわざ演技のスタイルを変えようとは思いません。今はトラウマだとも思っていません。最近は声を上げることもありませんので(笑)

記者 : チョ・ジヨン、写真 : ムン・スジ