ユ・ハジュン「何度もリアルタイム検索で1位になったのに…人々は僕に気づかない」

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Fantagio

映画「罠」に出演したユ・ハジュン“チャンスを掴むまで耐える”

6年前に撮影した映画「罠:致命的な誘惑」(以下「罠」)が今になってやっと公開することになったにもかかわらず、主演俳優は淡々としていた。逆に「実際に撮影したが、公開されない作品がどれほど多いだろうか」と聞き返した。今年でデビュー12年目を迎えた俳優ユ・ハジュンと最近、ソウル江南(カンナム)のあるカフェで会った。この日は映画の公開日でもあった。

エロ映画の巨匠ポン・マンデ監督が2007年に撮影した「罠」は、様々な事情で公開できずにいたが、今年5月に開かれた「第16回全州(チョンジュ)国際映画祭」のコリアシネマスケープ部門に出品され、話題を集めた。ストーリーはシンプルだ。専業シナリオ作家(ユ・ハジュン)が執筆のため訪ねた人里離れた民宿である少女(ハン・ジェイン)に出会ってから繰り広げられる話を描いた。


「あなたをビッグクローズアップで撮りたい」

韓国の映画界でポン・マンデ監督は、主流から少し外れた人物だ。エロジャンルを掘り下げたこともあり、自らも“B級感性”であることを認め、ジャンル的実験を続けている。ポン監督から声がかかったことについてユ・ハジュンは「運が良かった」と表現した。エロジャンルへの先入観よりは、ある人物が話の90パーセント以上を引っ張っていくという設定が心を動かした。

「エロ映画に興味もなかったし、実はシナリオを見たときもそのジャンルの感じではなかった。監督さんがこの作品について農村スリラーだと主張していたが、僕もそう思った。映画を撮ったが公開できずにいて、監督さんの他の作品『アーティストポン・マンデ』が2年前、先に公開された。その後、監督を見る世間の視線も少し変わったと思う。ジャンルの多様性を認めてもらった」

「いきなりキャスティングされたわけではなく、撮影2週間前から毎日会って食事をして日常的な会話をした。ある日監督が指で四角形を作って僕を見ながらビッグクローズアップで撮りたいと言った。『お前はお前の魅力を知らない。僕の映画で見せてやる』と言った。気が付いたらいつの間にか僕が監督の映画に出演していた(笑)」

写真=GOエンターテインメント
撮影は順調ではなかった。人里離れた民宿で正体の知らない少女に惹かれなければならなかったし、それだけ精神的に崩れる演技をしなければならなかった。相手役のハン・ジェインは、何回も大胆な露出をしなければならなかった。新人ではなかったが、主演は初めてだった2人は、それだけプレッシャーを感じるしかなかった。

そのとき重要な役割を果たしたのはポン・マンデ監督だった。ユ・ハジュンは「監督ほど現場で気楽な雰囲気を作れた方はいなかったと思う」と話した。

「毎回ファーストシーンを撮るときや、明け方にはそれぞれ違うスタッフにスローガンを叫ぶようにした。頑張ろう!ファイト!のようなスローガンを叫んだりしたが、まるで朝礼をしている気分だった。また、監督は女性役の演技がとてもうまい。ジェインさんの演技を本人が先にやって見せて集中できるようにしてくれた。能力の多い監督だ、本当に」


運七技三

彼の前作を見ると、話題作が結構ある。ドラマ「ある素敵な日」(2006)でソン・ユリのサイコの兄役として出演し、生涯初めてポータルサイトのリアルタイム検索ワード1位になった。また、ドラマ「王女の男」(2012)と「大風水」(2012)でも好演を見せ、引き続きリアルタイム1位になった。

シーンスティラー(シーン泥棒:助演でありながらも出演シーンをものにする俳優のこと)として注目を集めると、次第に作品の出演回数が増えたり、重要な役を任せられたりするのが普通だが、ユ・ハジュンは違った。「不思議ながらその時間が過ぎてしまうと、人々が、僕があのときのあの俳優であることを知らなかった」と冗談半分で言った。

「所属事務所でももう成功するのは時間の問題だと言っていたが、それがだめだった。今もどうしてかその理由を見つけられない(笑) 僕も期待はしていた。昨年も『ロマンスが必要3』を撮った後、マネージャーが『これからは兄さんが希望する役を演じることができる』と言ったが、それから1年ほど空白期間があった。これは本当に自分の意志だけでできるものではないと思った。

実は途中で少し別の仕事をしたこともある。アパレル事業もやってみたが、うまくいかなかった。ただ服が好きでいきなり始めたものだった。それから映画『ビースティ・ボーイズ』をきっかけに再び演技に集中できるようになった。また、同僚俳優のイ・チョニさんがキャンプバラエティ番組『アドレナリン』で僕を紹介してくれたが、その時虚心坦壊に話をしながら気を引き締めるようになった。

20代の頃は僕より大きな役を演じる俳優のことを羨んでいた。僕も見せることが多いのになぜオファーが入ってこないのだろうか……色々と悩んだりした。演技というものが数学のように公式ばかり覚えるとしてうまくできるものでもないし、山で修業してできるものでもないじゃないか。もちろん努力はすべきだと思うが、先輩たちが言う“運七技三(運が7、実力が3)”という言葉が合ってると思う。チャンスを捕まえるために耐えなければならないと考えを変え始めた」

写真=Fantagio

「チャンスを掴むために耐える」

幼い頃はただ父の靴を磨くのがとても好きで将来の希望が靴磨きだと言うほど、彼は単純労働礼賛論者だった。「冗談ではなくて、この頃もストレスが溜まったら家を片付けたり、洗車をしたりして解消する。単純労働を通じて感じる無念無想の世界」と真剣に語った。他の俳優からはなかなか感じることのできない人間味が彼にはあった。

演技を始めたきっかけを彼は映画「罠」に喩えた。女性選びを間違って人生が変わってしまうことと同様に、演技も彼にとっては抜け出せない致命的な誘惑だった。高校3年生のとき、偶然大学路(テハンノ)で見た演劇「オフィーリア」。その後大学も演劇映画科に進み、今に至った。「もしあの演劇を見なかったら当時バイトをしていたホテルに就職したかも知れない」と笑ってみせる彼だった。

「一緒に演技していた友人たちが諦めるのを見ながらも、俳優を辞めなきゃとは別に思わなかった。実は、やりたいことはいっぱいあるが、それほどうまくやれるものはない。20代は情熱でもがく人生だったが、30代半ばを過ぎた今は順応する方法も学んだ。何でも時期が重要だ。この仕事を続けていけること自体にひとまず感謝している。こうしていると、俳優としてピークを迎える作品に会えると思う。映画のおかげでこうしてインタビューができることも幸運だ。元気を失うことなく、着実にお見せしたい」

記者 : イ・ソンピル