「タチャ-神の手-」カン・ヒョンチョル監督、人生の旅人として生きる“魂を絞り出す?やめられなくてやっているだけ”

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韓国映画界でカン・ヒョンチョル監督はウィットに富んだストーリーテラーに違いない。彼を覚える人なら2008年に映画「過速スキャンダル」でデビューし、「サニー 永遠の仲間たち」(2011年)で人気監督の仲間入りを果たした若手演出者と思っているだろうが、早くから映画の勉強を始め、5、6編の短編を直接書いて演出し、才能を育ててきた実力派監督でもある。

彼がチェ・ドンフン監督の「タチャ」の続編である「タチャ-神の手-」の演出を引き受けたという話を聞いたとき、半信半疑だったのは事実だ。原作がある作品を脚色するよりも自身の話を個性的に作り出すことに才能があると漠然と推測していたためだ。この質問に対してカン・ヒョンチョル監督は「本当にやりたい作品だった」とはっきり答えた。

「監督としてデビューする前、チェ・ドンフン監督の『タチャ』を見てびっくりしました。きっとシリーズが出るはずだから監督になってその中の一つを演出できれば良いなと思っていました。『過速スキャンダル』の後、プロデューサーと冗談半分で次は『タチャ』の続編がやりたいと話したことがあります。一つの作品の中に色々なジャンルが混在していることが好きでした。ノワールの要素にも引かれました。実は『タチャ』は、伝統的なノワールではありませんが、変種じゃないですか」


キャスティングへの懸念?スター俳優より必要だったのは彼らだった

「タチャ」とカン・ヒョンチョル監督の縁はさらに過去にさかのぼる。漫画家のホ・ヨンマンがスポーツ新聞に連載していた時だった。地下鉄にいたおじさんが捨てていった新聞を通して短編漫画を見たのだ。カン・ヒョンチョル監督は「その時のイメージが強く残っている。それから単行本を10回以上読んだと思うが、それを僕が映画で作るようになるなんて、とても皮肉だ」と感想を語った。

「ホ・ヨンマン先生にお会いしましたが、それはシナリオを書く過程ではなく、原稿を書き終えて完成本をお渡しする席でした。芸能人を見たようにサインをもらいたかったです(笑) 『食客』の話など、ホ・ヨンマン先生の作品について話し合いました。逆に映画『タチャ』の話はしませんでした。それ以上直す余力もありませんでしたし。

原作があまりにも膨大で映画では何を見せるべきか、非常に悩みました。実は刑務所で繰り広げられる話が面白かったのですが、大胆に省きました。映画の主な内容は人物たちがお互いにだましたり、だまされたりすることで、弁証法的な展開であったため刑務所のエピソードは省いたわけです。アン・インギルなどの人物も後半に登場しますが、映画の展開と合わないため省きました。その代わりにアン・インギルの性格をチャン・ドンシク(クァク・ドウォン)の中に入れました。時代的背景も原作は1980年代ですが、映画では2000年代にしました」

映画とは別にカン・ヒョンチョル監督は新人俳優の発掘、特に女優の長所をうまく活用することで有名だ。「過速スキャンダル」のパク・ボヨン、「サニー永遠の仲間たち」のシム・ウンギョン、カン・ソラ、パク・ジンジュ、チョン・ウヒなどは、彼の演出でその魅力を十分に発揮した。「タチャ-神の手-」の主演であるシン・セギョンとBIGBANGのT.O.Pにもそういう期待があるはずだったが、それと同時に映画を引っ張っていくには多少力が弱いのではないかという指摘もあった。

「発掘というよりはオーディションを行いましたが、彼らがキャラクターには適役でした。『タチャ-神の手-』も同じです。T.O.Pはアイドルなので異質感があると言われ、シン・セギョンは憂鬱な感じがあると言われましたが、私には全くそう感じられませんでした。僕の立場では、二人は代替できない俳優でした。T.O.Pはアグィ(キム・ユンソク)と対決しても負けないエネルギーとポジティブな性格を併せ持っていました。二人に対する悪質な書き込みを僕も見ましたが、先入観だと思います。それほどファンがいるし、期待があるためです。判断は観客の自由です。映画を見てからも二人への考えが変わらなければ、それはその観客の方の好みだと思います。

一緒に映画に出演した女優コ・スヒさんが『どうやってこんなにも全員優しくて評判の良い俳優だけを集められたのか』と言いました。それほどお互いに配慮する姿が目立ち、相性も良かったです。キム・ユンソクという大俳優が後半に登場するため、存在感が弱くなるのではないかと心配しましたが、決して抑えられませんでした。それぞれのシーンで別の俳優が主演のようになり、キャラクターの城を築いてきたためでした」


「人生はまさに旅、だから興行成績にこだわらない」

カン・ヒョンチョル監督が映画を学び始めたのは20代半ばの頃だった。最初から特にやりたいことがなかった彼は経営学を専攻したが、東国(トングク)大学の演劇映画科に通っていた友達の推薦で編入試験を受け、今の道に入った。

「僕が映画を見ることが好きだということを知って、友達が演劇映画科への編入を勧めてくれたのでしょう。サウンドミキシング、照明、撮影など、その中でも色々な部門がありますが、演出が一番自分に合いました。一番怠けられて、余裕があるように見えました。ところがやってみたら一番忙しかった!(笑) 遅くに適性を見つけたのが重要なのではなく、僕が好きなことを見つけたことが重要なんです。幼い頃に作文大会で賞を本当にたくさんもらいましたが、国語の試験を受けるといつも点数は低かったです。文章を書くことは好きでしたが、時調(朝鮮の古典詩歌の形式の一つ)や龍飛御天歌(朝鮮の李朝建国叙事詩)をどうして覚えなければならないのか疑問でした。

本当に人生がどうなるか予想することはできませんでした。僕は旅人です。僕の人生を歩きながら見物するのです。その中で友達に会ったり、愛したり、仕事もします。自分でも自分がいつまで映画をするのか気になります。『タチャ-神の手-』がテギルという人物が家を離れ、再び戻ってくる旅程なら、僕は映画監督として歩いている真っ最中であるわけです。ところで、映画は非常に厳しいです。魂を絞り出す感じで『なぜこれをしてるのか』と思う時もありますが、じっとしているとまたどこかで話が浮かんでくるのです。コ・グァンリョル(ユ・ヘジン)の台詞にもあるじゃないですか。『賭博がしたくてするもんか、やめられなくてするだけだ!』僕には映画がそうだと思います」

自分を人生の旅人に喩えただけにカン・ヒョンチョル監督は興行成績にもこだわらないように見えた。「映画を作る過程で出会うすべてのものが勉強になる」と言いながらカン・ヒョンチョル監督は真実性を一つの核心として挙げた。また、彼が絶えず話せるようにし、インスピレーションを与えてくれる存在として音楽を強調した。「サニー 永遠の仲間たち」を通じて披露した音楽ストーリーテリングの一部を「タチャ-神の手-」にも取り入れた。歌手ナミの「くるくる」を相次いで使ったこともその延長線にあった。

「シナリオは詩や小説とは違って作法、つまり技術が必要です。そうだとしても、シナリオに関する専門の教育を受けたわけではありません。本は一度見ましたが、僕は好きな映画のシナリオを見ながら学びました。『殺人の追憶』『タチャ』など、先輩の作品を見て勉強したのです。カン・ジェギュ監督が、後輩監督たちが映画を作れる土台を作ってくれた方なら、チェ・ドンフン監督は良いシナリオの先生です。『タチャ-神の手-』を原稿を書き終えた後、ミン・ギュドン監督やリュ・スンワン監督にも見てもらいました。

普通あるシーンを構想するとき、音楽は大変役に立ちます。CDやレコードが擦り切れるほど音楽を聞いた時がありました。『過速スキャンダル』がフォーク音楽のニュアンスだったら、『タチャ-神の手-』ではあまり使ってはいませんが、ジャズのリズムを借りました。基本的に僕はジャズが好きです。拍子はずれと言えます。全体的に映画は速いリズムですが、その中に足の不自由な人も出るでしょう。実はテギルがバイクに乗って田舎を出てソウルに行くときは、ジャズフュージョンバンドのパット・メセニー・グループ(PAT METHENY GROUP)の『Are You Ging With Me』を入れようかと思いましたが、全体的に南米音楽風にしていたので除きました」

彼の口から多数のミュージシャンの名前が出た。『タチャ-神の手-』をジャズに喩えると、ビッグバンドまでではなく、カルテット(4人バンド)からクインテット(5人バンド)サイズの映画だという。ここに「コ・グァンリョルとして登場したユ・ヘジンは『スキャット』(歌で意味のない音をメロディにあわせて即興的に歌うこと)を自由に駆使するボーカルであり、彼を通じてあらゆる変奏が可能だった」と話した。つまり「タチャ-神の手-」はインプロビゼーション(基本的な和性を基に演奏者たちが自由に即興演奏をすること)が可能な一つのジャズ曲だったのだ。

「(人気監督という言葉に)不思議なくらいこだわりがありません。その言葉にこだわると、人々の反応を強要する装置を映画の中で使うようになります。そのような映画を見る度に、果たしてその監督は幸せだったのだろうかと思うようになります。僕は一応映画を作りながら自分で楽しさを感じたいです。僕が面白いと思ってこそ人に見なさいと言うこともできると思います。自分に正直になってこそ真実味も出てきます。残りは監督の才能と学習に任せるしかないのです。

大衆芸術というものは、所詮他人に評価される属性があるので賞賛も、悪口も出てきますが、結局映画は監督の好みだと思っています。ドラマはたびたび途中で内容が変わったりして個性が失われることもありますが、映画は記録媒体としての魅力が強いだけに、外部の評価に左右されればその意味を失ってしまいます。誰かに悪口を言われても、監督の好みをよく反映することが重要だと思います」

物心のついていない青年だったテギルは人生の波に巻き込まれ、結局“神の手”になった。「タチャ-神の手-」は最高の瞬間にたどり着いた時に花札を捨て、悠々と去っていける人が到達した境地だ。カン・ヒョンチョル監督もいつも自分に問い返していた。人生の旅人として生きる彼が披露する映画がさらに気になった。

記者 : イ・ソンピル、写真 : sidus Pictures、ロッテエンターテインメント