ジョンギゴ「僕のファンの方々…あなたたちが間違っていなかったことを証明したい」
OSEN |
音楽配信チャート1位を1ヶ月間も独占した「Some」一曲で、韓国の音楽業界に確実に存在感を示した男性。「SISTAR ソユのおかげではないか」という疑問の声も、新曲「Want U」のヒットで払拭させた男性。私のもののようで私のものではない、私のもののような男性。実力派ミュージシャンジョンギゴだ。
180cmを越える長身に甘い微笑みで、女性から人気のありそうな容姿、少し口下手のようだが、比喩法と単語選びが適切でインタビュアーも楽にさせる“国民のSome男”ジョンギゴに江南(カンナム)のあるカフェでOSENがインタビューした。
「目標意識ですか?そんなものはありませんでした。2002年デビューして2008年まで、40~50曲ほどのフィーチャリングに参加したと思います。デビュー3ヶ月で自身のアルバムを出す人もいますが、僕にははっきりとした何かがありませんでした。急いでいるものもなく、ただ音楽、公演、人々との交流、そんなものに満足して暮らしていました。そして30歳の頃、将来というものを考えました」
自身の名前をかけたアルバムが1枚もなかったジョンギゴは、そうやって自身の最初のシングル「Bye Bye Bye」を発表した。その時から2012年まで5枚のシングルを発売した。2013年には今のSTARSHIPエンターテインメントとの専属契約も締結した。幸運はあの時、予告されていた。
「アルバムは歌手にとって名刺のようなものです。決してフィーチャリングがつまらないと言っているわけではありません。しかし、自身の名前のアルバムが一枚もないことは、次の段階に進む重要なステップを踏んでいないような感じです」
「以前出した僕のミニアルバムの曲が街に流れる時もありました。本当に稀なことでしたし、そんな曲を選曲する店は、商売がうまくいかない店ばかりでした(笑) 最近では街の1つのブロックを歩いているのに、3ヶ所で僕の曲が流れていました。しかも新沙洞(シンサドン)カロスキル(街路樹通り)でです。
突然の人々からの関心、音楽的な成功は、彼にとって悩みやプレッシャーにもなった。「Some」の成功は、もっぱらSISTAR ソユのおかげだという評価もその中の一つだった。次の曲に対する評価が心配なのは当たり前のことだった。もちろん、その悩みは「Want U」(Feat. Beenzino)の発売とともにチャート1位を記録して払拭できた。12年ぶりに完全体で復帰した“国民のグループ”godとも肩を並べた。
「正直に言って心配でした。『Some』はソユのおかげというのが事実ですから。恥ずかしくもありませんでした。しかし、それだけが全部ではないと言いたかったし、誰かには是非わかってもらいたいと思いました。『ソユがいないとだめだね』と言われたくありませんでした。今の結果ですか?ほっとしています。次の曲はもっと楽にできると思います」
「ただやらなければいけないことと言いましょうか。あえて試みもしませんでした。“確信”がある時にやりたかったので。2~3年前にミニアルバムを出す時も、フルアルバムにしようかという悩みはありました。でも“確信”がなくて止めました。今ですか?最高です。身に余る状況です。結果的に見て、欲を出してみてよかったと思います。フルアルバムが発売されれば、溜飲が下がる気分になりそうです」
インディーズミュージシャンがオーバーグラウンドで大成功した時に必ず付きまとう言葉がある。「変わった」という指摘だ。ジョンギゴの従来のファンも例外ではなかった。もちろん一部だ。「ジョンギゴもやるだけやった」「これまで苦労した」という温かい雰囲気もある。しかし、ジョンギゴは、過去自身が格好悪かった時代から応援してくれたファンにぜひ、必ず肉声で話したい言葉があるという。
「ファンの方々にぜひお話したいです。あなたたちが、友だちや人々に僕について話す時、誰も知らなかったあの時、あなたたちが間違っておらず、正しかったことを証明したいです。僕のファンというのが恥ずかしいものではなく、堂々として誇らしく感じられたらと思います」
180cmを越える長身に甘い微笑みで、女性から人気のありそうな容姿、少し口下手のようだが、比喩法と単語選びが適切でインタビュアーも楽にさせる“国民のSome男”ジョンギゴに江南(カンナム)のあるカフェでOSENがインタビューした。
6年間フィーチャリングだけ40~50回、目標意識がなかった
2002年偶然の機会にI.Fの「Respect You」のフィーチャリングに参加したことをきっかけに、どさくさ紛れに歌手としてデビューした。その後にもDefconn、Jazzy Ivy等、多くのヒップホップミュージシャンのフィーチャリングに参加して、ただそのように暮らしてきた。特に目標意識もなく。「目標意識ですか?そんなものはありませんでした。2002年デビューして2008年まで、40~50曲ほどのフィーチャリングに参加したと思います。デビュー3ヶ月で自身のアルバムを出す人もいますが、僕にははっきりとした何かがありませんでした。急いでいるものもなく、ただ音楽、公演、人々との交流、そんなものに満足して暮らしていました。そして30歳の頃、将来というものを考えました」
自身の名前をかけたアルバムが1枚もなかったジョンギゴは、そうやって自身の最初のシングル「Bye Bye Bye」を発表した。その時から2012年まで5枚のシングルを発売した。2013年には今のSTARSHIPエンターテインメントとの専属契約も締結した。幸運はあの時、予告されていた。
「アルバムは歌手にとって名刺のようなものです。決してフィーチャリングがつまらないと言っているわけではありません。しかし、自身の名前のアルバムが一枚もないことは、次の段階に進む重要なステップを踏んでいないような感じです」
「Some」で第1段、「Want U」で第2段コンボを決めた
ガールズグループSISTARのソユと一緒に歌った「Some」は、ジョンギゴの人生をまるごと変えてしまった。街では自身の曲がスピーカーを通して流れ、放送出演のオファーも相次いだ。アイドルの専有物だと思っていた音楽番組のステージにも立ち、11個のトロフィーを手にした。「以前出した僕のミニアルバムの曲が街に流れる時もありました。本当に稀なことでしたし、そんな曲を選曲する店は、商売がうまくいかない店ばかりでした(笑) 最近では街の1つのブロックを歩いているのに、3ヶ所で僕の曲が流れていました。しかも新沙洞(シンサドン)カロスキル(街路樹通り)でです。
突然の人々からの関心、音楽的な成功は、彼にとって悩みやプレッシャーにもなった。「Some」の成功は、もっぱらSISTAR ソユのおかげだという評価もその中の一つだった。次の曲に対する評価が心配なのは当たり前のことだった。もちろん、その悩みは「Want U」(Feat. Beenzino)の発売とともにチャート1位を記録して払拭できた。12年ぶりに完全体で復帰した“国民のグループ”godとも肩を並べた。
「正直に言って心配でした。『Some』はソユのおかげというのが事実ですから。恥ずかしくもありませんでした。しかし、それだけが全部ではないと言いたかったし、誰かには是非わかってもらいたいと思いました。『ソユがいないとだめだね』と言われたくありませんでした。今の結果ですか?ほっとしています。次の曲はもっと楽にできると思います」
ジョンギゴ、今やっとお腹が減った…次の食事は?
「Some」「Want U」のヒットで、それこそ夢のような状況が繰り広げられた。本人の表現を借りると、生きていてまたこんなことがあるだろうかと思う日々の連続だった。「大規模コンサート」について聞いたら、「1stフルアルバムの発売」という答えが返ってきた。まずは、彼の念願、フルアルバムの発売が先だということだ。「ただやらなければいけないことと言いましょうか。あえて試みもしませんでした。“確信”がある時にやりたかったので。2~3年前にミニアルバムを出す時も、フルアルバムにしようかという悩みはありました。でも“確信”がなくて止めました。今ですか?最高です。身に余る状況です。結果的に見て、欲を出してみてよかったと思います。フルアルバムが発売されれば、溜飲が下がる気分になりそうです」
インディーズミュージシャンがオーバーグラウンドで大成功した時に必ず付きまとう言葉がある。「変わった」という指摘だ。ジョンギゴの従来のファンも例外ではなかった。もちろん一部だ。「ジョンギゴもやるだけやった」「これまで苦労した」という温かい雰囲気もある。しかし、ジョンギゴは、過去自身が格好悪かった時代から応援してくれたファンにぜひ、必ず肉声で話したい言葉があるという。
「ファンの方々にぜひお話したいです。あなたたちが、友だちや人々に僕について話す時、誰も知らなかったあの時、あなたたちが間違っておらず、正しかったことを証明したいです。僕のファンというのが恥ずかしいものではなく、堂々として誇らしく感じられたらと思います」
記者 : パク・ヒョンミン