【スターコラム】チャン・ヒョク、僕の人生でもっとも大切な二つのもの…“家族と軍隊” ― Vol.2

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チャン・ヒョクはいつも情熱的で真面目だ。演技に誰よりも熱い情熱を持っている彼。男らしい姿だが、内面には意外と親切でおしゃべりな性格を持っている“意外な魅力”が溢れている人でもある。1997年SBSドラマ「モデル」でデビューし、「学校」「日差しに向かって」「明朗少女成功記」「ありがとうございます」など、多数の作品に出演し俳優としての地位を固めた。最近では、MBCバラエティ番組「僕らの日曜の夜-リアル入隊プロジェクト本物の男」(以下「本物の男」)や映画「FLU 運命の36時間」などに出演し、あらゆる面で活躍している。

男の中の男である彼の実際の軍隊生活はどうだったのだろうか?二人の息子がいる父チャン・ヒョクの幼い頃の姿は?NAVERスターコラム読者のため、2部では俳優としてのチャン・ヒョクの他に人間チョン・ヨンジュン(チャン・ヒョクの本名)の姿を詳しく公開する。それでは、まもなく公開!ご期待ください!/編集者

NAVER スターコラム:チャン・ヒョク

こんにちは。チャン・ヒョクです。1部で僕の“演技人生”について色々と話しましたが、楽しんで頂けましたか。もうちょっと面白く書きたいのですが、言いたいことがあまりにも多くてどこからどういうふうに話し始めればいいのか分かりません。第2部では幼い頃の僕と愛らしい妻、子供に関する話はもちろん、軍隊時代や「本物の男」に関連するエピソードもお話しします。最後までお楽しみ下さい。

海外勤務が多かった父

幼い頃、父は長い間建設業に勤めていました。だから海外勤務が多かったです。1年中で父に会えるのは長くて1ヶ月か15日ほどでした。最近皆キャンプにはあまり行きませんが、僕はキャンプへの強烈なイメージを持っています。父がテントを持って僕たちをよく連れて行きましたので。長い間離れていて実質的に一緒に暮らすようになったのは18歳からだと思います。

父は現場と宿舎にいて月1、2回だけ家に帰りました。だから僕の幼い頃の夢は先生や会社員でした。なぜかというと、6時に退勤できるためです。早く家に帰れるし、たまには友達にも会えるのではないでしょうか。長期間父と離れていたので僕は子供とよく一緒にいる父親になりたいと思いました。

撮影が終わって家に帰ると実は疲れます。エネルギーを使い切った状態で家に帰りますので。でも、子供たちに会う前に玄関でエネルギーをアップさせなければなりません。ハハ。それからリラックスして眠ります。重要なことは、子供たちが僕と一緒に過ごせる時間があまりないということです。一緒にいられますが、共有できる時間は長くありません。小学校に入っただけも友達と遊んで親とはあまり付き合わないと言われました。今がどれほど黄金のような時期なのかが分かればこのまま見過ごすわけにはいかないでしょう。だから週末はできるだけ一緒に出かけます。


愛と信頼が作り出した家族

ご存知の方もいらっしゃると思いますが、僕には息子が二人いるだけです。多くの方から「娘は欲しくないか」と聞かれますが、そんなことには僕より妻の方が敏感だと思います。実質的に育てるのは妻ですので。僕は、息子も娘もいいけれど、妻は本当にずっと子供と一緒にいなければならない立場なので簡単ではないと思います。弟に最近娘ができたのでそれで満足しています。

妻の話が出たついでにもうちょっと話しますと、妻は本当に理解と配慮が多い人です。長い間ダンサーとして生活していたのでパートナーシップについて誰よりよく知っています。仕事をしながら調和を求めることの意味と必要性がよく分かりました。だから僕が活動し、俳優として生活する際にお互いに不必要な誤解が生じたことはなかったと思います。

僕たちが恋愛した8年間、僕は浮気をしたことがありません。それが事実なのか疑う方もいらっしゃいますが(笑) そうなるしかない状況でした。一応2年は軍隊にいたので除けば、残りの6年は現場にいました。僕は21歳でデビューしましたが、「モデル」というドラマは事前制作でしたので96年にデビューしたことになります。それから97年末から98年にオーディションを受けて映画「チャン」を撮りました。ドラマ「学校」「日差しに向かって」に続き、映画「火山高」「ジャングルジュース」を撮影しました。「僕の彼女を紹介します」以降「王の男」を準備していたある日、軍隊に行きました。現場から離れた時間がなかったので浮気をしたりする時間もありませんでした。もちろん、愛と信頼があってこそ可能なことでした。


基本に忠実な生活を追及

これは少し違う話になりますが、僕が人生で重要だと思うことは「基本に忠実にしよう」ということです。僕は多くの芸能人の方々と仲良くさせてもらっているので“義理男”というニックネームもありますが、実は僕が義理を守るということではありません。最小限の基本的なものは守っていこうということです。そういう考えに忠実な人であるだけです。もし僕に出来るのであれば、他人の立場から考えることもできますので。

人が人に向けてできる配慮とはそれほど大して難しいものではないでしょう。僕はそう思います。それから僕は特別に義理があって相手に何かを施すとは思いません。当たり前のことをするだけです^^


軍隊で新しい世界に出会う

僕の30代は、軍隊で始まりました。先に申し上げたように20代はずっと撮影現場にいました。そのときは良くない状況で軍隊に行くことになり、文化的に表現すればその間歩んできた足跡が消えてしまうような感じでした。10年間チャン・ヒョクでしたが、軍隊ではまたチョン・ヨンジュンと呼ばれました。そのとき感じました。僕は本当の自分を忘れていたことを。現実にしっかりと気づいてこそ一つずつまた足跡が残るような気がしました。

以前僕が軍隊に行って感じたのは「ここも人が生きるところだな」ということでした。その前は漠然とした不安がありました。しかし、いざ行って経験すると考えが異なってきました。良くないことがあったその当時、たくさん父と母のことを思い出しました。それでも親は理解してくれると思いました。

しかし、そのときと変わったことは今は子供ができたことではないでしょうか。過去は消えないものなので、僕の子が今は分からなくても後から分かったとき、どういうふうに受け止めるかということについても考えるしかないのです。それでも父として、男として何かしてみようと思いました。それで「本物の男」に合流することにしました。


「本物の男」で再び軍服を着るまで

除隊後再びチャン・ヒョクに戻りましたが、時間が経つと足跡が鮮明でなくなりました。土を踏んでいるのに、浮かんでいる感じとでも言いましょうか。「本物の男」を見てそんな状況に置かれたならば、僕なりに定着できるのではないかと思いました。

そうです。最初にそこに入ったときは感情的な流れが確かにあったと思います。最近では自分にも癒しになるし、色々な面でとてもいいです。その中でこういう話が心に響きました。「静穏な海は老練な船頭を作れない」本当にその通りだと思います。怖くてできないと言うよりは、まず自分自身を投げてみると何かをやっているということです。

「本物の男」は僕個人的に癒しになる番組です。僕も軍隊生活をしていたのでその時期の僕と再会することは非常にいいと思いました。それで出演したいと言いました。今は1週間撮影し、3週間休んでいますが僕の足跡が少しずつ残っていくような感じです^^


ポジティブな平行線

多くの方々は僕がマッチョ役を主に演じてきたとおっしゃいますが、実はまったくそうではありません。僕は優しい役も演じましたし、まったく違う感じの演技もしましたが、ただ男らしい役を演じた作品が目立ったからだと思います。しかし、そのような考えも僕が活動しながら徐々に変えなければならない部分だと思います。僕が軍隊で習ったことは「何でも適応すればできるんだ」ということでした。しかし、慣れるばかりではいけないと思います。世の中は何とかずっと回って行くし、演技も同じですので。

僕は俳優だから人々とポジティブな平行線を持っているべきだと思います。お互いに努力しなければならないでしょう。そうしてこそ長く続くのではないかと思います。「本物の男」もそうですし、「FLU 運命の36時間」もそうですし。最近本も出しましたが、こういうことが少しずつ人々に僕の中の違う部分を見せられるものだと思いますので。このような気持ちをより多くの方々に分かっていただければもっと嬉しいと思います。

NAVERスターコラムの読者の皆様、僕の虚心坦懐な話を最後まで読んでいただき、ありがとうございます。ちんぷんかんぷんになり、面白かったのか分かりません。できるだけ正直に僕をお見せするため努力しました。「本物の男」と「FLU 運命の36時間」、それから僕がこれからチャレンジする作品も見守り応援してください。いつもありがとうございます。暑さに気をつけて、元気にお過ごし下さい!

文:チャン・ヒョク

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記者 : チャン・ヒョク