キム・イェリム、大手芸能事務所ではなくユン・ジョンシンを選んだ理由とは?

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写真=MYSTIC89
一言で言えば、成熟した雰囲気が感じられた。94年生まれという年齢に相応しくない女性の香りが漂っているような気もした。話し上手ではないが、そこには色んな考えが満ちていた。やりたいことも多く、新しいことを体験するのが好きだと言う歌手キム・イェリムは、自分の中にある抽象的な考えを一つ一つ取り出して見せてくれた。

「凄く期待しています。今まで準備してきたものを披露する日が近づいて来ているから、どうなるかも知りたくて。アルバムをリリースするということはいいことだと思います。満足できるほど良くできたものだから、いいことです」

実はキム・イェリムのデビューは、他のオーディション番組出身の歌手に比べると相当遅い方である。同じケーブルチャンネルMnetオーディション番組「SUPER STAR K3」出身のBusker BuskerとULALA SESSIONは昨年デビューした。アルバムも何枚も発売し、良い成果を上げた。キム・イェリムはオーディション番組終了後2年ぶりに歌手として正式デビューする。

「2年近くになります。誰かが先にアルバムを出し、デビューすることに焦ったりはしません。アルバムが重要で、音楽が重要です。MYSTIC89に入ったのが去年の秋だから、まだ1年にも満たないですね。オーディションが終わり休んでいたとき、ユン・ジョンシンさんが食事でも一緒にしましょうと、まず手を差し伸べてくれました。それでMYSTIC89に入ることになりました」

「SUPER STAR K3」の審査委員であり、歌手であるユン・ジョンシンは、キム・イェリムとト・デユンで構成されるトゥゲウォルを、自分が代表を務める芸能事務所MYSTIC89に迎え入れた。オーディション当時からトゥゲウォルに注目していた彼は、苦心に苦心を重ねて慎重にトゥゲウォルに手を差し伸べた。

「理由はよく分かりません。私たちを気に入ってくれたようです。組み合わせや、私の声、デユンのギター演奏などを気に入ってくれたようです。私たちのやっている音楽をいい方向へと導いてくださると思いました。また、私たちにこんな音楽をやってほしいとの話をしてくれました。既に念頭に置いておられるものがあり、君たちがこんな音楽をやってくれたら嬉しいと言って考えを聞かせてくれました」

トゥゲウォルが所属事務所を決めることに悩んでいたとき、ユン・ジョンシンが差し伸べた手は、まるで運命のようだった。一番近くで見てきた先輩歌手であり、審査員であったユン・ジョンシンと共に音楽をすることになるとは思いもよらなかった。トゥゲウォルは自分たちを念頭に置いて絵を描いたユン・ジョンシンの一言一言が信頼に繋がった。

「一緒に音楽をやりたいと先におっしゃってくれてありがたかったです。私たちも所属事務所をどこにするか悩んでいたのですが、まだ幼いということもあるし、それに将来を左右することだからどうすればいいのかよく分からず、たくさん悩みました。そうしているうちに、私たちがどんな音楽をやるべきか、先に教えてくださり『このようにすればいいんだ』と思うようになりました」

聞いてみると、トゥゲウォルにラブコールを送った芸能事務所はかなり多かった。誰でも入りたいと思う大手芸能事務所からアーティストを主とする事務所まで、多くの制作者がトゥゲウォルにラブコールを送った。しかし、会社の規模や資金力などはキム・イェリムが望むものではなかった。“音楽のメンター(良き指導者)”が必要だった。

「それが一番大事でした。私たちを導いてくれる方がいたらいいなと思っていました。音楽を始める立場からするとメンターのような方が必要でした。実はその役割にユン・ジョンシンさんが最も相応しいと思ったんです。それに一番惹かれました」

キム・イェリムはユン・ジョンシンが作詞、作曲を手掛ける「All Right」をデビュータイトル曲として選んだ。この曲はトゥゲウォル、またキム・イェリムに対する絵を描いたユン・ジョンシンが、キム・イェリムの音色、音の高さ、メロディーに基づいて誕生させた曲である。リズミカルなメロディーとキム・イェリムのハスキーボイスが独特な調和を成す。

「私が歌ってきたスタイルの曲ではありません。今まではハツラツとした歌、明るい曲を歌ってきましたが、実は私のカラーは少し暗めの感じなんです。そんな感じを上手く引き出してくれたと思います。ユン・ジョンシンさんは、私に相応しいものを見出してくれました。この曲だけは私の曲だと思います。本当に気に入っています」

自身にぴったりの服を着たと言った彼女は、自信があると語った。ユン・ジョンシンという音楽のメンターを得たキム・イェリムは余裕があるように見えた。目先だけを見るのではなく、既に遠い未来まで描いていた。一歩、また一歩進みながら彼女ならではの“声”を聞かせてあげるというしっかりした夢をハスキーボイスで語ってくれた。

記者 : チェ・ジイェ