【スターコラム】ヨン・ウジン、江陵の男が俳優になる
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「男が愛する時」で人気を集めている青春スター、ヨン・ウジンがNAVERスターコラムを訪れた。ドラマの中で名門大学出身の人材で、ソ・ミド(シン・セギョン)にどうしようもなく惹かれ、恋に落ちるイ・ジェヒ役を演じている彼は、普段の姿もとても真面目で落ち着いている。言葉数が少ない上、慎重に話すタイプなので、彼とインタビューする記者たちが苦労したとの噂が聞こえるほどである。そのようなヨン・ウジンが、今回のスターコラムでは自身の故郷である江陵(カンルン)への愛情と、軍服務時のあらゆるエピソードをノリノリで語った。そして、人生のメンター(良き助言者)だった父への、胸の詰まる思い出まで…今より先が明るい俳優ヨン・ウジンの生涯初のスターコラムに、読者の皆さんの多大なる声援をお願いしたい。/編集者
NAVER スターコラム:ヨン・ウジン「男が愛する時」のジェヒ役を演じることができて幸せです
こんにちは!ヨン・ウジンです。最近「男が愛する時」の大詰めの撮影で肉体的には大変ですが、常に視聴者の皆様に感謝しています。一層頑張ります。今は、「男が愛する時」が終わったら、思う存分寝て弘大(ホンデ)の町も歩きたいし、カフェに入ってコーヒーを一杯飲みたいし、したいことはたくさんあります(笑)周りから「男が愛する時」への出演で、今や多少顔が知られたはずだと言われますが、人気とかそういうことを実感する余裕がありません。ただ一生懸命に撮影しながらキャラクターに充実するだけです。特にミニシリーズの場合、短い時間の間に集中しなければならず、なおさらそういった余裕がありません。周りからの反応が全てです。わずかでも緊張の手綱を緩めることのできる暇ができません。最終回目前で、できるだけ集中しているため、最近敏感な状態でもあります。終わってから僕自身が余裕を取り戻せば、やっと実感できると思います。
しかし、このように撮影に集中し、重要な役を演じるので撮影分量が多いということは、とても幸せなことです。僕の場合は体のリズム上、一気に溜めて演じるタイプなので、役柄への集中や、感情移入がさらに容易です。更にスムーズに集中できます。体は疲れても精神は生き生きしていることを感じます。体は疲れても最近は本当に良いです^^
僕の普段の性格は
僕の体のリズムは演じる役によって毎回変わります。作品をするたびに変わるのです。今回「男が愛する時」のジェヒの役柄について勉強しながら、体のリズムをキャラクターに見合うよう、明るく元気にしました。多少スタンダードな感じを与えるために体もスリムにしました。大変だったので、たくさん食べても体重が落ちました(笑) 体の疲れが溜まっても、できるだけ表に出さないようにしているし、シャープな感じを与えるために頑張っています。撮影現場で疲れを取る方法は、とにかく良く食べることです。ドラマを見ると序盤の頃は顔もぽっちゃりで太っていることが分かります。その時は6kg増えて64kgでした。今はその時に比べ7kg痩せました。ドラマの序盤、過去の話が登場する時はぽっちゃりしていて、7年が経った今は体重が落ちてほっそりとしました。ある方は、キャラクターのための変化かと誤解されたようですが、そんな余裕はありませんでした。^^;;
普段から落ち着いていると良く言われます。しかし、これもまた僕の本当の姿ではない気がします。正直インタビューが苦手です。僕自身の話をたくさんしなければならないですが、僕が自分の話をするほど魅力的だと思いません。口下手なので、何か失礼なことを言うのではないかと緊張もします。本来の僕の姿ではないと思いますし、慎重になろうとしているので大人しくなります。
僕の本当の姿は友達にしか分からないと思います。実際の姿は演技とインタビューの中間です。若干緊張感のある姿が良いと思います。極端にならないために努力しています。演じる時も中庸の姿勢をしているのがマインドコントロールに役立ちます。感情に大きく左右されたくありません。
演技への夢
演技というものがある瞬間、一気に来たと思います。荒波のように。それがいつだったのかは曖昧です。元々は演技の準備よりは映画に好奇心がありました。故郷が江陵で、勉強は工学部でした。映画を専攻せず工学部の勉強をしましたが、その時から思春期に似たような何かが始まりました。悩みができ、数年後には本当にしたいことをしなければならないと思いました。20歳は彷徨していた時期でした。一応軍隊に行こうと思って20歳に軍隊に行き、そこで考えを整理し心を決めました。
除隊して、映画科の授業を受けながら勉強を始めました。演技に対する何かはありませんでしたが、いつからか、ふと心の中に入ってきました。運命のような感じでした。
当時、工学部の授業と映画の授業との間で悩み始めました。そのようにして1、2年を過ごすうち、短編映画に出演するチャンスができました。演技に関することが目に入り、演技が僕の全てになるほど燃え上がりました。演技への意欲、夢が膨らみました。そうして演技を始めるようになり、この仕事をすることによって、これが僕の仕事だ、幸せだと感じるようになりました。その後は何もかもが順調にいきました。悩む瞬間が歳を取ってから訪れましたが、良い人々にめぐり会えて、運も良かったです。
高校時代の思い出
高校の時は何と言うか、江陵での生活が大変でした。教育熱心な都市で、僕は学校で唯一夜の自由学習をしない生徒でした。僕もその度胸がどこから出たのかは分かりません(笑) とても運が良かったと思います。高校2年と3年は連続で同じ担任の先生でしたが、僕のことを色々と理解してくださいました。僕の決定を尊重するとおっしゃってくれました。午後3時半頃に正規の授業が終わってから映画サークルで活動しました。サークル部員は少なかったですが、映画を観ながら映画の話をしたりして高校2年まで過ごしました。しかし、高校3年生になって現実にぶつかりました。大学に入らなければならず、そのために勉強をしましたが、大変でできませんでした。最初は建築を志望しましたが、本当に入りたかった学科には入れませんでした。そのため20歳の時が更に大変でした。よく考えてみると、その時間が今、演技ができるようにしてくれたのだと思います。本当に悩み、現実的に世の中を見れるようになりました。運命的な高校生活だったのです。
江陵の訛りは、お仕事でお会いする方には使わないほうですが、友達と電話するときは出ます。実は僕は、自分の会話でどこが訛りなのかも分かりません。そうでしょう?(笑)
それでも江陵出身なので水泳がとても上手です。子供の頃から海と近いところに住んでいたせいか、水が大好きです。水際で楽しめる遊びも好きですし、海を眺めることも好きです。作品が終わったら、すぐに江陵に行く予定です。
陸軍儀仗隊での生活は緊張の連続
軍隊は議政府(ウジョンブ)306補充隊に入りましたが、龍山(ヨンサン)にある国防部儀仗隊に送られました。ただ背が高いという理由だけで儀仗隊に入りました。そこで運命的な人に出会いましたし、本当に人生において必要であった2年を過ごしました。未だ「大韓民国の姿勢と行動を代表する」というフレーズを覚えています。儀仗隊での生活は緊張の連続でした。いつも緊張しながら行事に参加することが主な業務でした。そのせいか、たくさんの人の前で何かをすることに慣れ、楽しみながらできるほどの快感を覚えました。全国を回りながら行事を行ったので、ロマンチックな思い出もあります。今考えてみると、1ヶ月ほど兵長生活をしてみたい感じ?必ず兵長でなければなりません。とても楽しかったし、思い出も多く、除隊する時号泣しました。
いつも緊張していなければならないので、内務生活は大変でした。内務生活では少しの余裕もありませんでした。だからと言って何か道徳に反することとかはありませんでしたし、徹底した規律のなか、ロボットのように緊張しながら暮らしました。そういうことに対する圧迫感で、一等兵、二等兵の時はトイレでたくさん泣きました。あ!こういうこと書いてもいいのかな……(笑)
体が本当に細かったのですが、腕の力が必要な仕事で、腕立てすることが日常でした。1人で訓練し、上司にまで怒られた日がありましたが、たまたま1人でご飯を食べることになりました。腕に力が入らずスプーンを持ち上げることができませんでした。本当にたくさん泣いたんです。たまにその時を思い浮かべ、夢にも出てきます。今考えてみると、どうやってあのような生活を経験したか。後に演技に活かすことができるほどの経験でした。インパクトのある20代序盤でした。最も元気がみなぎっていたときに経験した軍生活でした。
父の絵葉書で貰った褒賞休暇
儀仗隊で軍生活を真面目に送るために努力したせいか、休暇はあまり出られませんでした。褒賞休暇を一度貰ったことがありますが、これもストーリーがあります。クリスマスになると彼女や家族がカードを送ります。そこから選別して褒賞休暇を与えるのですが、他の人たちは彼女から綺麗で華やかなカードが送られました。僕は彼女がいなかったので、父が送ってくれました。父は美術の先生でしたが、画用紙に絵を描いて、素敵なフレーズをいくつか書いて送ってくれました。一見みすぼらしく見えるカードです。しかし、幹部たちは手描きで更に腕も良かったので驚いたのです。雪景色が描かれたカードでしたが、そのため一等になりました。その時に一度、褒賞休暇を取得した覚えがあります。
国防部から外に出て、龍山(ヨンサン)商店街の新龍山駅前のグルメ街でカムジャタンを食べて戻っていたと思います。ソウルにいるよりは、できるだけ早く家に帰りたかったです。ただ江陵が好きでした。
軍生活で最も記憶に残るのは、何と言っても青瓦台(チョンワデ)で行った行事でした。各国の有名人を青瓦台に招いて歓迎する歓迎儀葬行事です。特別なことをするわけではなく、捧げ銃などをしました。それでも青瓦台に入るという誇りが大きかったです。今になって考えると、入ってどうする、内務班(軍隊で寝たり休息を取ったりの生活をするところ)で休んだほうが良いと思いますが。たまに光化門(クァンファムン)の方に行くことがあると青瓦台を覗きます。その時は堂々と入ったのにと思いながら。
父、その懐かしい名前!
音楽に携わっている弟がいます。作曲をします。芸術に関する仕事をすることは家柄です。父は僕が「アラン使道伝」を撮影するときに亡くなりました。僕にたくさんのことを与えてくださった方で、息子を理解してくれる父でした。僕に対して本当に寛大で、亡くなられてから「その時、だからそうしたのか」と思ったりします。今演技に必要な感受性を教えてくれたのも父です。僕を山や海へ連れて行ってくれました。幼い頃にはそれが何だか分かりませんでしたが、今はそのロマンが分かります。今も父としたことを同じようにします。父が自由な心の持ち主だったので、母は苦労したと思います(笑)
最初に役者になると話したとき、両親は本当に心配されたと思います。年配の方々はこういう仕事をとても大変なものだと思われるじゃないですか。詐欺に遭うのではないかとか、その外見でできるのかとか言いながら。それでも僕が決定を下すにおいて力になってくださいました。今後も両親は、僕が役者として大きな絵を描けるような、原動力になるでしょう。
だからこれからもっと頑張ります。父が見守っているからです。読者の皆様もまだまだ足りない僕、ヨン・ウジンを見守っていてください。僕のまとまらない話を読んでいただき、ありがとうございます。「男が愛する時」に多大な声援を送ってくださりありがとうございます。更に良い作品で戻ってきます。それではまた会いましょう!!
文:ヨン・ウジン
「NAVER スターコラム」は、注目の俳優やアイドル、アーティストたち本人がコラムを執筆。話題のスターが直接書いたコラムをお届けしています。記者 : ヨン・ウジン、OSEN ソン・ナムウォン