「へルタースケルター」蜷川実花監督“沢尻エリカをキャスティングした理由は…”

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写真=チョ・ソンジン
映画「さくらん」(2007)でベルリン国際映画祭に招待され、華やかにデビューした蜷川実花(40)監督が、5年ぶりの新作「へルタースケルター」で戻ってきた。

写真集の売上が日本一と言われるフォトグラファーでもある蜷川実花監督は、前作で見せてくれた優れた演出力を「へルタースケルター」でもう一度遺憾なく発揮した。

「へルタースケルター」は、全身整形を受けて美人になったトップ女優りりこが一瞬にして人生のどん底に落ちていく過程を、破格と言ってもいいほどの果敢なミジャンセン(ステージの上での登場人物の配置や役目、ステージ装置、照明などに関する総体的な計画)で表現した。沢尻エリカはりりこ役を通じて、デビュー以来初の大胆な露出を披露し、日本はもちろん、海外ファンの期待を一身に受けた。

ドイツのパンクロック歌手ニーナ・ハーゲンの曲とりりこの独り言から始まる「ヘルタースケルター」は、蜷川実花監督の力強い演出力が終始際立つ作品だ。

蜷川実花監督は17日、韓国の取材陣とのインタビューで「『へルタースケルター』はセット、衣装、俳優、雰囲気、映像など、すべてが華やかな映画だ。引き続き上昇する感じで撮影した」と説明した。

続いて「女性とって美は、人生が平等なものではないということを確認させてくれる真理だ」とし、「多くの人々があえて話さないことを外に放り出した作品がこの『へルタースケルター』だ」と演出の意図を明かした。


蜷川実花監督との一問一答

―「へルタースケルター」で韓国を訪れた感想は?

蜷川実花:「へルタースケルター」が韓国で上映されるという話を聞いてとても嬉しかった。韓国は美意識が非常に強い国じゃないか。韓国の観客が我々の映画をどのように思うのかが気になる。韓国に来るのは今回で3度目だ。来るたびにいつもまた来たいと思う。

―沢尻エリカさんのどういった部分に惹かれてりりこ役にキャスティングしたのか?

蜷川実花:沢尻エリカとは撮影の仕事を何度もしてきた。そのたびに、もっと深い作業がしたいと思っていた。企画段階から沢尻エリカを念頭において作業した。撮影しながら思ったが、今も沢尻エリカがいてこそ「へルタースケルター」という作品が可能だったと思う。

―もっと詳しく説明して欲しい。

蜷川実花:りりこは全身整形手術を受けたモデルであるため、まず圧倒的に美しいルックスの持ち主でなければならなかった。「へルタースケルター」は基本的に女性観客をターゲットにした映画だ。女性は女性にもっと厳しいじゃないか。完璧な美貌を持つ女優でないと、りりこ役をやりこなすことはできなかったと思う。また、りりこは感情の浮き沈みが激しいキャラクターだ。抜群の演技力を持っている女優が必要だった。「ヘルタースケルター」は制作陣と俳優が共に戦いながら挑戦する映画だ。沢尻エリカ以外の女優は想像することもできなかった。

―監督が思う美しさはどのようなものなのか。

蜷川実花:内面の美しさも大事だが、女性にとって外面の美しさは人生の前半にかけて非常に重要な影響を及ぼす要素だ。世の中は平等ではないという真理を美しさが教えてくれるじゃないか。「へルタースケルター」は誰も口にしようとしない真理を水面上に上げた映画だ。

―映画の中で、りりこはトップスターとしての悩みをたくさん持っている。沢尻エリカさんもかなり共感だろうと思うが。

蜷川実花:沢尻エリカは意外に着実なタイプだ。劇中のキャラクターにすれば、こずえのような性格だ。沢尻エリカはルックスに大きくこだわらないスタイルだった。

―劇中で性接待、麻薬中毒に関する素材が登場する。日本でもこういった問題がドラマや映画として作られるのか。

蜷川実花:日本では性接待の問題がそんなに広く知られてはいない。映画のプロデューサーをやっている知人も「へルタースケルター」を見た後、「僕、こんなにいい経験したことないな」と言った(笑) もちろん「へルタースケルター」を準備しながら、芸能界が怖いところだということは分かった。モデルだけを見ても、拒食症で食べたものを全部吐いたりするから。日本はこのような問題がドラマや映画として活発に制作される方ではない。

―りりこの体が果たしてりりこのものなのか、そうでなければ誰のものなのかが悩ましくなった。

蜷川実花:りりこの体は欲望の象徴だ。「へルタースケルター」の結末で、りりこは自ら欲望の鎖を断ち切り、全く違う人生を選ぶ。みんなの欲望から脱したりりこの姿を見せたかった。原作の漫画とは違う結末だ。

―美しさに対する歪んだ欲望だけでなく、大衆の二重さに対する風刺も目立った。

蜷川実花:大衆の無責任さを描こうと思った。監督より、写真作家としてもっと長く活動してきた。身近なところでスターをたくさん見てきたけど、彼らは表では華やかに見えるが、下ではあがいていた。大衆はスターのことをいかにも簡単に口にし、非難し、消費するが、自身の無責任さには気付いていない。映画を通じて大衆を責めるよりは、「自身が消費するスターがどんなに努力しながら生きているのか、どんなに素晴らしい人なのか、あなたたちは分かっているのか」という問いかけを投げたかった。

記者 : キム・スジョン