【コラム】チョ・インソン&SHINee&イム・イェジン ― チャン・ウチョル

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自分で決めてテレビの前に座る時間が確実に減った。絶対に見たいと思わせるドラマも、逃すと次の日話についていけないバラエティも、数少ない音楽番組も、だんだんとそれぞれの魅力が見い出せなくなっている。少し大げさに言えば、すべて一つにまとめて芸能ニュースの一コマずつを構成する題材ほどにしか見えなくもない。それだけ、芸能番組そのものより、ネットで覗き見る日常生活のほうがより“バラエティ”で“芸能っぽく”なったからかもしれない。

類似点も、比較点も、対照的な部分もまったくないように見える3人の名前をタイトルに掲げた理由は、いまや何か明白に残っているのは名前だけではないのかという考えからだ。その名前においてでさえも、ドラマなどの場合は、俳優とキャラクターの名前をほとんど区分しない記事が掲載されたりするのだが。「チョ・インソン&ソン・ヘギョ、抱いて撫でて…リアル疑惑?」と「ソヨンの弟、ソヨンに劣らぬ人気」。2月22日の朝、NAVER芸能面に並んで掲載された記事のタイトルだ。このような状況なのである。ともかく、3人の共通点を挙げるならば、一つである。この1週間で“僕”の目にそれぞれの独自性がとても魅力的に映った人物の名前である。

まずはチョ・インソン。「その冬、風が吹く」の放送前、このドラマに対する期待は大きく3つに分かれていた。ノ・ヒギョン脚本家の新しいドラマであるということ、またチョ・インソンの除隊後初めてのドラマであるうえに絶頂期を迎えたソン・ヘギョの5年ぶりのドラマであるということ、さらにその2つが一緒であるということまで。第5話まで放送されただけなのでまだ序盤であるわけだが、このドラマは2人の主役の魅力、いや、ルックスと表情に全面的に依存している。ドラマのストーリーは曖昧だったり足りない部分ばかりのまま、彼らの顔を極端にクローズアップしては、何とかしてシーンをリードしなければならない状況が続く。当代の美男美女への賛辞がドラマの感想の中心になるほどだ。「まあ、ソン・ヘギョを見てよ。あんなにアップされたのに毛穴が見えない」などのざわめき。しかし重要なのは、2人の主役がルックスに頼らず、ルックスを証明する、ルックスに勝る演技をしているという点である。

チョ・インソンの演技に対する面白いエピソードがある。「バリでの出来事」がメガヒットを飛ばしている時だったが、インタビューの場で出会った俳優、ソン・ジェホは若い俳優の中で注目している人がいるかという質問に、躊躇わず「チョ・インソン」と答えた。「今にも爆発しそうだ。触れただけで、すぐにも熱いものが噴き出してきそうだ、彼は」また他のインタビューの場で会った、あるベテラン俳優は、同じ質問にこのように答えた。「最近チョ・インソンが人気だと聞いたが、あのような演技は、まあ良い演技というには少しあれだな。ルックスに頼る演技は若い時のほんの一瞬だけなので」

2人の俳優の評価は一見食い違っているように見えるが、実はニュアンスは同じだった。チョ・インソンは、今の若い俳優だけが見せることができる、ぴかっと光る恍惚な瞬間を披露しているという点でだ。「その冬、風が吹く」で彼は、まだ若く魅力的だ。彼の演技も、若い男性俳優だけが放出することができる、自身でさえもコントロールできなさそうなエネルギーから引き出されている。磨かれた演技の技であれそうでなかれ、それはただひたすら感情という次元のレベルに全てを戻してしまう力を持っている。チョ・インソンはとても細い筆で描いたような顔で、さらにきめ細かく揺れる表情を作り出す俳優へと成長した。受話器を手で塞ぎ嗚咽をこらえていた“チョン・ジェミン”は、表情も隠せる“オ・ス”になったが、彼はすでに“卑劣な街”を通り過ぎていることを、顔そのもので、そして表情で証明している。

「SHINee's Back」。SHINeeが帰ってきた。ミュージックビデオの中のネオンカラーが眩しい。そして、一層たくましくなった。「Dream Girl」は無駄なところが一つもない、良い楽曲だ。不可欠なものだけを残し、手に余るものは容赦なくスパっと切り捨て、“すっぽり”中身だけを見せている楽曲だ。つまり、この楽曲には自らの手に負えなさそうな偽りや、厄介な欲がない。それは、一度も妥協した音楽をしたことがないというSHINeeの歩みのうち、全く力の入っていない傍点であり自信感だ。今なお「Sherlock」がさらなる反響を起こせなかったこと(そしてテミンの素敵なロングヘアを一度しか見れなかったこと)への心残りはあるが、彼らはそのことでさえ平気で乗り越えてしまった結果物を手に帰ってきた。

アルバムを公開する前に行われた「SHINeeミュージックスポイラー」は、多少異例なイベントだった。これまでSHINeeが見せ、聞かせていたスタイルと音楽について、担当関係者のある“説明”があったことからも特にそうだった。これまでのSHINeeの“見える”部分を担当していたSMエンターテインメントのビジュアル&アートディレクター、ミン・ヒジン室長は、SHINeeの“ビジュアル”という面で最も重要なのは、限界を決めず主流と非主流、メジャーとインディーズ、オーバーとアンダーを行き来しながら作業した点だと語った。それは結局、“メジャーの中のメジャー”であるSHINeeが、“インディーズらしい”イメージもいくらでも楽しんでいる、ということに集約される。なるほど、「JULIETTE」の時にフォトグラファーのlessが撮った写真は、SHINeeが他とどのように違うのか写真一枚で見せつけてしまうほどの破壊力を持っていた。

はばかるものがないSHINeeの前進にもう一つの願いを託するなら、その部分だ。そのように、何かに限界を作らないことが、反対に足かせとなることもある。「僕たちのこのような他の人との違い」が一定のコンセプトとして固まってしまい、標榜する立場になってしまうと、一瞬にして面白さを失う。例えば、こんなに“イケる”アルバムを出したのに合わせて、写真家のINEZカップルが撮った写真で、M/M(Paris)がデザインしたアルバムならどうだったろうか。飛んでいくハエにも自慢したくならないか?そのような惜しさと願望が入り交じった期待がある。SHINeeだからだ。

週末、特に日曜日の夜、「限りない愛」のようなドラマを見ることができるのは、個人的な感想を超え、現代人の精神的な健康にも役立つのではないかと思う。ドラマだから当然葛藤があり、そのうえ家族間の問題でうるさくはあるが、キム・スヒョンの手掛ける脚本には、どういうものが大人としての正しい言葉と態度なのかについての省察と判断が存在する。そして、それを“独り言のお説教”ではなく、人物の性格として表す。それが、普通の“うるさいばかりの”ドラマには絶対に真似できない、キム・スヒョンドラマならではの安定感だ。

また、「限りない愛」は、良い脚本が良い俳優を生むという話を確かに実感させる。全ての俳優の好演が印象的だが、特にイム・イェジンの演技は改めて素晴らしい。それは、これまでイム・イェジンという女優に上塗りされてきた単純なイメージ(澄ましている、つんつんしている、未だにどこか子役のような)をまるごと切り捨ててしまったからだ。気難しく、ドライで、ケチで、欲深く、顔にいつもデリケートな神経質さを浮かべている中年の女性をイム・イェジンが演じているが、スタートから30話あまりが放送された今まで、イム・イェジンは専らその女、“ユジョン”に見える。相嫁の関係、お義姉さんと呼ぶイ・ジエ(キム・ヘスク)と食卓で会話しながら、温かい目で「お義姉さん、本当に大変だったですね」と言い、すぐに眉毛をぴくっと動かし、「うち、味噌切らしてるんですけど、お義姉さん」と話すイム・イェジンは、生まれて初めて見るイム・イェジンだ。そのような瞬間こそが、特別だ。死に物狂いで新しいものだけ求めた末、力尽きて倒れていく人たちの中で、すでに固着化されてしまったと見えたイメージを容赦なくぶち壊してしまった中堅女優の革新は、まさに美しい。

文:コラムニスト チャン・ウチョル

「NAVERコラム - チャン・ウチョル編 -」では、今話題の人物にクローズアップし、コラムニストのチャン・ウチョル氏が執筆。韓国で注目が集まっている人物や出来事についてお届けします。

記者 : チャン・ウチョル