「限りない愛」資本主義が生み出した家族の誕生

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枝が多い木に風の静まる日なし(韓国のことわざ:子どもの多い親は心配事が絶えないという意味)。JTBC「限りない愛」は、描く絵に何かを加えたり、消したりする必要がないくらいホームドラマの典型である。さらに、主な葛藤内容である結婚と出産、そして離婚は、他のホームドラマはもちろん、脚本家キム・スヒョンの前作でも何度も繰り返されたお話だ。しかし、キム・スヒョンによって緻密に描かれた絵は、見慣れた風景の中でも、改めて発見する状況を通じて、特有の日常性を武器としている。人物同士がぶつかる対立は、スケールを拡大させる代わりに、しつこくそれぞれの立場を説明し、この過程は台詞と表情を詳しく表現することができるドラマジャンルの力を最大限活用し、微妙な感情と欲望の瞬間を捉えている。依然としてキム・スヒョンのドラマが視聴者たちを虜にする秘訣は、誰も見たことがない話を実現するのではなく、誰もが見たけれど、なかなか再現されなかったシーンを復元させたからだ。

私の家族になるには、祖父の意見に従ってください

登場人物のほとんどが対立の軸となっている「限りない愛」は、そのようなキム・スヒョンの特長が衰えていないことを証明している作品だ。歯車のように登場人物の欲望は、お互いに影響を与えたり、受けたりして、加害者と被害者の立場を何度も変えた。当然、事件と事故は絶えず、ドラマは家族という形態を維持するために必要な苦労と疲労を力説する。多数派は、個人の意見や好みを黙殺する力を持っているが、これを年長者という権威だけが超えることができる。すなわち、絶対的な年長者になれないすべての人は、絶えず少数派にならないために、努力しなければならない。しかし、具体的に、生々しく描かれた葛藤に対して、ドラマは解決策を見つけることができない。登場人物たちは、構造を覆したり、脱出に踏み切ることができず、ドラマはそのような欲望を持つ人たちが最終的には家族というシステムに服属し、適応する過程を見せようとしている。家族の愛は偉大であるが、その愛を受ける資格には基準があり、“それにもかかわらず”登場人物が一緒に住まなければならない理由は、“家族”という運命以外では説明されない。結局、生々しく葛藤を描き出すドラマの強みは、自ら乗り越えなければならない最も大きな障害となってしまった。

解決のために最も重要なことは、問題を直視することだ。しかし「限りない愛」に登場する中年世代は、自分の欲求を明確に話さない。彼らは自分自身を親、或いは子供に置き換え、道理というものを完全なる個人の欲求によって押さえつけている。出産した未婚の娘や、結婚適齢期を逃した息子を受け入れたり、結婚をせがむことは、ヒジェ(ユ・ドングン)とジエ(キム・ヘスク)の判断ではなく、アン・ホシク(イ・スンジェ)の“言葉”から始まった決定である。さらにヒョジュ(キム・ミンギョン)の大胆なヘアスタイルに対して文句を言いながらも、ユジョン(イム・イェジン)が心配しているのは“祖父母”の気分を害することだ。ドラマが描き出す中年は結局、お年寄りの考え方と生き方を継承した中年世代の姿であり、彼らは若い世代に継承の方法を伝授するために努めている。ヒジェの息子たちと結ばれるヨンヒョン(オ・ユナ)とオ・スミ(ソン・ナウン)が、身分や年齢とは関係なく生活力と料理の腕を兼ね揃え、子供が産めない身体の限界が性格の欠陥に繋がるセロム(キョン・ミリ)が夫の家の食事まで心配する家事上手の母親を持ったことは偶然ではない。家族として新たに組み入れられる他人は、結局老年層が構築した家族の法則に合致する人物でなければならないということだ。

資本が浸食した家族の日常

そのため、ドラマが提示する解決策は、大局的かつ厳粛な提言へと飛躍する。自分の欲求を明確に表すことができなかった中年たちは、理解して断念する方法を学ぶことができず、彼らは寛容と自衛を通して理解に到達する。ユジョンがヒョジュを受け入れるために、ヒョジュは寛容の受益者という可哀想な子にならなければならず、これが「限りない愛」の親世代が子世代を見つめたがる視線だ。「僕たちの世代は」と個人ではなく、世代全体の立場に関して言い訳をするソンギ(ハ・ソクジン)に「偉ぶるな!」と一喝するジエを見て確信できることは、子どもたちはひたすら親の手助けを必要とする存在だと規定したがる親世代の欲望だ。さらに、地位的に親世代を乗り越えたアン・ソヨン(オム・ジウォン)は、自分の娘の100日祝いのパーティー後、アン・ホシクに感謝しながら涙を流す。資本として置き換えることのできた養育を無償で提供したのは彼女の母であるジエなのに、アン・ソヨンが敬意を表す人はシステムの代表者である家父長だ。そして、アン・ホシクがそんなアン・ソヨンに社会人として寛容な態度を取りながら恩返しすることを呼びかけることで、相互利益的な存在としての人間を浮き彫りにさせる。しかし、家族の中で取るアン・ホシクの態度は一方的で、独善的である。彼にとって理解とは実践的な価値ではなく機能的に選んで取ることができる立場であり、これは中年世代を通じて自分の威厳を代わりに満たそうとする老年のために動員された背景だ。

結局「限りない愛」は、家族でなく権力に関する話であり、この中心には資本がある。退職により資本と権力を失ったヒジェとヒミョン(ソン・スンファン)にとって、アン・ホシクのガソリンスタンドは無視できない権威であり、これは「おじいさんがご飯も食べさせてくれるし、カフェもオープンしてくれるだろう」と思い込んでいるアン・ジュンギ(イ・ドヨン)を通じて、間接的に証明される。離婚を宣言したグムシル(ソ・ウリム)を通じて提示される論争もやはり、葛藤の原因よりは財産分与を巡る問題が大きい。自分の意見に従わないアン・ジュンギに対してジエの脅迫は、「すべてを置いてここから出て行きなさい」は、資本剥奪であり、これはアン・ジュンギが経済的に両親より弱者の立場に置かれているからだ。要するに、「限りない愛」は、資本主義時代の中年が危機を克服するために、老年層の資本と妥協した結果、生み出した家族のスケッチだ。彼らはいろんな人物の台詞を通して、可哀想で哀れな世代と描かれているが、勇敢な人でも、断固たる人でもない。そして、勇気と決断力を持って人生に立ち向かわない彼らが愛を強要することは、あまりにも条件的で虚しい。鋭利な刃物が残した跡は、手術が必要になることも思いやりに変わることもある。ホームドラマという枠の中で「限りない愛」の痕跡がどんなものとして残るのか、結果が予測できるほど不快感は高まっている。

記者 : ユン・ヒソン、編集 : チャン・ギョンジン、翻訳 : チェ・ユンジョン