「ゆれながら咲く花」チャン・ナラ先生とチェ・ダニエル先生にとって2年2組とは?

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恋愛ストーリーがなくても温かいドラマだ。KBS 2TVドラマ「ゆれながら咲く花」で、スンリ高校2年2組の共同担任を務めているチョン・インジェ(チャン・ナラ)とカン・セチャン(チェ・ダニエル)の関係は愛より友情、友情より同志愛に近いが、立場も価値観もあまりにも違う二人がだんだんとお互いを理解し、認めていく過程は、大人も揺れながら成長することを見せてくれ、ひそやかな微笑を呼び起こす。寒い冬、撮影が佳境を迎え、休む隙のない強行軍を続けている「ゆれながら咲く花」の撮影現場で、スンリ高等学校のチョン・インジェ先生とカン・セチャン先生、いやドラマよりはるかに仲が良いパートナであるチャン・ナラとチェ・ダニエルに会った。

―以前、チャン・ナラは学生や組織の中で一番年下の役を演じることが多かったが、いつの間にか学生に対し大人として向き合わなければならない教師の役を務めることになった。最初に提案を受けた時はどうだったのか。

チャン・ナラ:教師役は、以前から演じてみたかった職業の一つだ。外見から漂うイメージのためか、教師、医者、弁護士のような専門職の役はあまりオファーされてこなかったので。

チェ・ダニエル:僕は、もう専門職はやりたくないな(笑)

チャン・ナラ:私はすべて演じてみたかったけど、教師の役を演じることができて本当に良かった。

チェ・ダニエル「チョン・インジェはカン・セチャンの昔の姿」

―チョン・インジェというキャラクターは、職業以外にもラブコメディで見せてくれた愛らしい姿とは全く違った印象を受ける。不安定な雇用である任期制教員という現実的な状況と、教師としての理想を追求する性格を両方とも見せる人物だが、最初チョン・インジョに対してどう理解して受け入れたのか。

チャン・ナラ:現実的に描こうというのが監督と脚本家の意見で、私もその面を一番大事だと思っていた。だけどチョン・インジェが持っている理想や挫折を表現する方法について、深く悩まなければならなかった。本当に演じてみたかった役だったのにもかかわらず、最初台本を渡された時、漠然と思ったのは、チョン・インジェが感じる挫折をはじめ、感情の強度を全く掴めないということだった。私が実際の教師ではないから、うまく掴みきれず、予測もできなかったので、一歩間違えたら誰も共感できない挫折になるかもしれないと思った。それで、とりあえず口調から一つずつリアルに表現しようとした。

―口調や仕草だけでなく、地味な衣装に髪型、化粧など、外見的にも教師という職業に合わせたようだ。

チャン・ナラ:まず、飾らないようにした。人物自体に関してもそうだし、外見を飾ることも最大限控えた。最初はそういうことで始めたが、その後はシーンを繋げやすいようにとヘアスタイルを変えなくなった(笑) これが本当に現実的な問題だ。私がヘアスタイルを変えると、他の出演者たちが待たされたり、急いで進行しなければならなくなる。だから、テレビに映る姿は、私が教室にいても、職員室にいても、違和感なくみんなの中に自然に溶け込めるよう努めた。

―キャラクターを準備する過程で、現場で働いている教師に会って、直接話を交わしたと聞いた。どんな点を参考できたのか。

チャン・ナラ:私は学校の外側にいて、外から学校を見つめる人間であるため、視線を学校の中から見れるようにするため先生たちに会った。だけど、正直に言うと、私も最初は学校についてあらゆる部分をとても懐疑的に考えていた。ジョン・インジェとは違って。“悪い学生たちは、悪い。子供であれ、大人であれ関係なく、悪いものは悪い”と思っていた。それに、現場で大変なことをたくさん経験した先生たちもそのように考えていると思ったけど、そうではなかったので驚いた。子供たちに対する希望を捨てず、「このような心がないと、この仕事はできません」と話していた、その言葉が本当に感動的だった。

―カン・セチャンの場合、“一打講師(一科目で最高の売上を上げる人気講師)”から学校の教師になった独特な設定の人物だ。どうキャラクターを具体的に表現したのか。

チェ・ダニエル:僕は少し急ぎで「ゆれながら咲く花」に投入され、チャン・ナラさんのように実際に仕事をしている方にも会えなかったので、人気講師たちのインターネット講義やEBS(韓国教育放送公社)の言語番組の講義をよく見て観察した。チョン・インジェが現実的な設定ならば、カン・セチャンは現実の中でのファンタジーを見せてくれる人物で、プロフェショナルな講師として教壇に立つ時の利益を追求する姿と、プライベートの場での姿はまた違うと思ったので、その差を見せたかった。だけど、いざ演技をしてみたら、ビジネス的な側面を見せるシーンがそんなに多くなかったので、普段の口調から、この人物自体が染み出るように演じようと思った。

―学生たちに「休め」という台詞の口調のように、本音と冗談、思いやりと無関心を行き来するような態度がカン・セチャンの性格を表している。

チェ・ダニエル:もし僕が上流層の間で、ある程度権力を握っている位置にいたならば、社会的な仮面、社会用の人格があると思った。そうするうちに、カン・セチャンの本心が表に表れて、仮面が取れる瞬間、壁がなくなる瞬間を区別したかった。実は、カン・セチャンも昔はチョン・インジェのように理想を追求したかったができなくて、世の中に妥協した俗物、お金だけを大事にする人物なので、その虚飾を最大限に表現しようとした。だからその仮面が割れた時、劇的な効果をもたせると思った。

―カン・セチャンの心理的な変化で一番説得力を感じたり、共感した瞬間はあるか?

チェ・ダニエル:実は、台本では大きく変わった感じがしない。特別なきっかけがあるというより、いつの間にか徐々に変わっていく感じだが、表現する立場からは行動が変わった時、見る側が「あの人、急にどうしたの?」と違和感を抱かないように演じなければならないので、彼に合わせて徐々に感情を表現した。あえてきっかけを言うなら、チョン・インジェが学生問題に悩んで疲れ果てた時、「どうして、そんなにバカなの。君はろうそくではない、自分のことを大事にしろ」という台詞を言いながら、慰めていたら、自分も知らないうちに同化されたようだ。なぜならば、それは昔のカン・セチャンがそうだったからだ。だから、チョン・インジェが間違っているとは言えずに、今のままだと傷つくのは君だということを教えて、慰めながら、心の中では「僕はそれができなかったけど、君は学校に残らなければならない」と思っているようだった。

チャン・ナラ「学生たちよりもさらに激しい思春期を通り過ぎたようだ」

―チョン・インジェは、学生たちに希望を捨てない分、挫折して絶望する瞬間が多い人物だが、自分でもチョン・インジェを可哀想に思った瞬間はあるのか。

チャン・ナラ:演技をする間ずっと可哀想で、もどかしかった。この作品の舞台自体が学校の中、教室、職員室であり、とても狭く、互いが全て別の問題のようでも、根本的には同じ原因から繰り返される挫折がとても多かった。それを表現しようとしたら、私も挫折感を感じて、学生たちよりさらに激しい思春期を経験したようだった。

―チョン・インジェがほうきで学生たちを殴ろうとしたが、ほうきではなく、自分の手の平で学生を叩きながら叱るシーンが印象的だった。

チャン・ナラ:本当はそのシーンと、その次のシーンでカン・セチャンに「子供たちは悪くない。私もあなたもそう教えてきたし、親もそう教えてきた。それに、学校側も仕方がないと言って、そのまま子供たちを放置している。子供たちは何も悪くない」と言うシーンを撮影するまでは、チョン・インジェがどんな感情なのか分からなかったけど、子供たちとカン・セチャンと向かい合って演技をしていたら、自然に感情があふれ出た。

チェ・ダニエル:チャン・ナラさんがそのシーンをそのように演じるとは思わなかった。本来の台本ではそのように感情に満ちた設定というよりドライで、そのシーンで泣く設定もなかった。ただ“ほうきで殴る”だったのに(笑)

チャン・ナラ:実は、ほうきをうまく掴めなかった……(笑)

―チョン・インジェが子供たちに詩を読むシーンがあったけど、詩は相手と台詞を交わす時と表現方法も違うし、一歩間違えたら、オーバーに見えるかもしれない設定だったにもかかわらず、ドラマに自然に溶け込んでいる。台本をどう受け入れたのかによって、雰囲気が変わったと思う。

チェ・ダニエル:チャン・ナラの特技ですよ、特技!そのシーンは自信持っていましたよ(笑)

チャン・ナラ:少し恥ずかしいようなシーンは、むしろ得意な方だ(笑) 少し恥ずかしい演技は、自分で恥ずかしがらずに演じてこそ、見る人も恥ずかしく思わない。とにかく演技をする時は、できる限り感情を表さないようにした。私一人で詩を朗読するのではなく、子供たちに何かを伝えなければならなかった。でも誇張して伝えたら、かえって逆効果になると思ったので、ただ淡々と朗読した。あ、自慢話になちゃった(笑)

チェ・ダニエル:でも、本当に上手くできていた。

―カン・セチャンが学生たちやチョン・インジェに話した言葉の中で、普段の自分の考えと似ている台詞はあるのか。

チェ・ダニエル:勉強については、僕もあまり勉強してこなかったからよく分からないが、僕と似ている考えは、「自分自身が一番大切だ」ということだ。どんなことにおいても、本当に重要な理由がないまま、あまりにも多くのことを犠牲にすること、そしてそれによって自分がもし傷つく可能性があるならば、その行動と効率に対して、もう一度考える必要がある。人生で一番大切なものは自分自身だから。

―いろんな悩みを持つ2年2組の学生たちの中で一番気になる生徒は誰なのか。

チェ・ダニエル:実際の学生だったら、みんな気になるけど、たぶんカン・セチャンの立場だと、一番たくさん対立したオ・ジョンホ(クァク・ジョンウク)だと思う。問題を起こす学生は手がかかる分、それだけ情も深くなる。あの子はどうして、あんな風になったのかな、どうして人を嫌って、ひねくれたのかな。だから叱っても、申し訳ないという気持ちで、ご飯をおごったりしながら情が深くなると思う。

チャン・ナラ:私もオ・ジョンホだ。初回からオ・ジョンホとぶつかったけど、演技しながらチョン・インジェとして、腹が立った。「オ・ジョンホがどんな子なのか、分かりません」という台詞を言った後にも、この子を理解したり、根本的に彼に対して知っていく姿勢が足りなくて、私はなんてダメなんだろうと思った。それにずっと見守ってきたオ・ジョンホはくるみのように硬く見えて、あちこちぶつかってくるけど、中身はとても軟らかいところがある学生だと思う。


チャン・ナラ「人々と近くなった気がする」

―カン・セチャンをはじめとしてKBS「童顔美人」、MBC「明日に向かってハイキック」、KBS 「彼らが生きる世界」などで演じてきたキャラクターたちは実在しない人物であるにもかかわらず、日常的な面と現実的な面を明確に見せてくれた。いろんなキャラクターを経験しながら特に現実性が強化されることについてどう思っているのか。

チェ・ダニエル:僕は演技を特に習ったことがないので、現実での経験をネタとしてたくさん見つけようとしている。時代劇ドラマの場合、ある人があれこれと話したら、「何事じゃ!」とドンという効果音を入れて終わる。ところが現実には、「あの人がそう言ったの?」と言うと「本当に、一体どうしたんだろう」といったように、お互いが常に目を合わせながら会話をするのわけではなく、ドラマではどうしてあんな風に表現するのかなと疑問に思ったことがある。だから、より現実的に表現しようとしたけど、その反面、劇的な要素が足りない時もあって、そのような部分については、また勉強しなければならないと思う。

―チャン・ナラはドラマ「ゆれながら咲く花」を通じて、これまでの明るく愛らしいイメージだけでなく、より多様な顔を持った女優ということを証明した。このドラマによって学んだり、得たことがあるのか。

チャン・ナラ:まず……

チェ・ダニエル:生きていると、こんなこともあるんだな?

チャン・ナラ:視聴者の方々に一歩近づいた感じがして、期待したよりもたくさんの方がドラマを見てくれるので嬉しい。こんなにたくさんの出演者と演技をするのは初めてなので、ドラマの序盤では魂が抜けるような時もあったけど、私にとって「ゆれながら咲く花」はいろんな意味でスパルタ訓練みたいなものだった。

―「ゆれながら咲く花」を見て気になったが、実際、学生時代にはそれぞれどんな子供だったのか。

チャン・ナラ:ただ静かに寝ている子かな(笑) 問題も起こさないし、勉強もしないで、ただ静かに寝る学生だった。

チェ・ダニエル:僕も問題は起こさなかった(笑) 問題を起こす状態でもなかったし、友達も多かった。喧嘩が強い友達、勉強が得意な友達、サッカーが上手い友達、就職準備クラス、入試準備クラス、みんなが友達だった。たくさんの友達のおかげで学生時代は楽だった。だけど、その時を説明する場合、いい表現だと、他人に振り回されなかったし、悪い表現だと、“島”のように孤立した感じだった。頑固だったから(笑)

―では、2組の学生と同年代の頃、一番大きな人生の悩みは何だったのか

チャン・ナラ:いつデビューできるかな。

チェダニエル:うわ、本当に? かっこいい!

チャン・ナラ:本当よ、中学校を卒業してからずっと練習生の生活をしていたので、それ以外の夢はなかった。

チェ・ダニエル:僕は何も考えていない時期だったので、悩みがあったのかさえも覚えていない。

あ、考えてみたら、一つあった。当時、家計が苦しい時だったので、制服が一着しかなくて、それが汚れるのが本当に嫌だった。汚れたら、夜に僕が手洗いして、朝着なければならないから。特に夏の制服は白と水色だったので、誰かに汚される度に喧嘩をした。

ご飯を食べながら、制服に醤油が飛んで大変なことが起きたこともあった(笑) “僕の制服にはノータッチ”のような感じだった。性格が細かいからではなく、洗濯が面倒くさいから、その時は汚い制服を着たり、昨日と同じ靴下を履いて学校に行くのが本当に恥ずかしかった。

チャン・ナラ:そうだね、その時は本当にそうだったよ!(笑)

記者 : カン・ミョンソク、チェ・ジウン、写真 : イ・ジンヒョク、編集 : イ・ジヘ、翻訳 : チェ・ユンジョン