「7番房の奇跡」…「I am Sam」や「ライフ・イズ・ビューティフル」よりも切ない映画

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写真=「7番房の奇跡」

偉大な父性愛のすべて…リュ・スンリョンの「7番房の奇跡」

時々後ろ髪を引かれるような映画に出会う。いくら前に進んでも後ろを振り向くしかない映画に。「拝啓、愛しています」がそうであったが、この「7番房の奇跡」もそうである。私でなければ誰も彼らを助けてくれないような弱々しい存在の登場で、長らく心に重い石を抱えたような気になってしまう。

「7番房の奇跡」は出来の良い映画だ。監督の思惑通りに陳腐でもなく軽々しくもないコメディ映画が誕生したのである。ポスターや予告映像の中のヨング(リュ・スンリョン)の笑顔に騙されて映画を見た観客は、頭を殴られたような気分で映画館を後にするかもしれない。

写真=「「I am Sam」
「7番房の奇跡」の6歳児並みの知能を持つヨングと彼より頭の良い娘イェスンは、「I am Sam(アイ・アム・サム)」を連想させる。映画制作会社側がイェスン役を演じたカル・ソウォンちゃんを“韓国のダコタ・ファニング”と紹介したことを見ても、彼らも「I am Sam」との比較を避けられないことを分かっているようだ。

しかし「7番房の奇跡」は、ナチスのホロコーストを題材にした「ライフ・イズ・ビューティフル」により似ていると思う。「ライフ・イズ・ビューティフル」のグイド(ロベルト・ベニーニ)は、ユダヤ人という理由だけで強制収容所に送られる。ヨングも一緒である。ヨングがもし健常者であったなら、彼は刑務所の7番部屋に行くことも、娘と離れ離れになることもなかったはずだ。

写真=「ライフ・イズ・ビューティフル」
弱肉強食の世界に翻弄されながらも彼らは笑顔を忘れない。彼らにはかけがえのない、目に入れても痛くない子供がいるため、自分のことはどうなっても構わず子供のことだけを心配する。

グイドは息子に最後までこの全てがゲームだという嘘を貫くため、動揺せず落ち着いて死を迎える。終始娘のイェスンに明るい姿だけを見せていたヨング。しかし彼のことを何も知らない馬鹿だと思っていた観客も、彼の理由のある選択に言葉を失ってしまう。

映画の結末は、観客を空しくさせるが、すぐに続いていた苦痛の解消を描き、悲しみから観客を救う。「7番房の奇跡」は、笑える映画だと思って映画館に足を運んだ観客を笑わせてくれる。それにもかかわらず天真爛漫なヨングの笑顔を忘れられないのはなぜだろうか。

写真=「7番房の奇跡」

記者 : イム・ジュヒョン