【スターコラム】ソ・イングクの“メンター”たち、ソン・シギョン、パク・ヒョシン、そして… ― Vol.1

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新年早々、自身の夢に向かって走る青年が一人いた。身一つで“夢”のためにソウルに上京し、“韓国型オーディション番組”の元祖と呼ばれる「SUPER STAR K」の初代優勝者となったソ・イングクだ。ようやく笑えるかと思った矢先、冷たい現実の壁にぶつかり挫折を味わった。しかし“道”があった。ステージの上で誰よりも情熱的に歌う、そしてテレビで真剣に演技をする“マルチエンターテイナー”を目指して一歩ずつ堂々と進んでいる“ソ・イングク”という人間。彼の素直な話を聞いてみよう。/編集者

“じゃ~ん”僕もついに「NAVER スターコラム」に投稿することになりました!もちろん写真は夏にどこかで撮った写真です。
NAVER スターコラム:ソ・イングク

こんにちは。ソ・イングクです。「SUPER STAR K」で優勝したのが昨日のことのようですが、もうこんなに時間が経ったなんて、時々信じられません。ベッドで横になり天井を見つめていると、これが夢じゃないだろうなと頬を抓ってみたりします。バカみたいにニヤニヤしながら眠りについたりするからです。忘れるかも知れないと思っていた話を日記で書いてみようと思ったところ、このようにNAVERスターコラムで皆さんにご挨拶することになりました。このコラムから僕の日記が始まるわけです。それではソ・イングクのスターコラム!今からスタートです!

ソ・イングクの“メンター”たち…ソン・シギョン、パク・ヒョシン、そして両親

皆さんは最近、いかがお過ごしでしょうか。新年早々日常に追われていますか? 僕も最近、体が一つしかなく大変です(泣) ぎっしり詰まっているドラマの撮影が終わると、へとへとになります。でも、僕の本業は歌手でしょう? スケジュールが深夜に終わっても、必ず練習室に寄って歌の練習をしてから寝ます。歌っていると、体は疲れていても、それまで受けたストレスが全部吹き飛ぶ感じです。だから“音楽”は“ヒーリング”という言葉があるようです。

これだけ音楽を愛するまでは、僕自身の心と努力はもちろん、多くの方々の助力がありました。今回のスターコラムを通じて一人ひとりご紹介したい気持ちですが、ここだと都合が悪いので、他の方々には是非新年の挨拶と感謝の気持ちを直接伝えたいと思います。とにかく、今から僕を今のソ・イングクにしてくださったメンター(良き指導者)の皆様をご紹介します。

新聞記者さんと真剣にインタビューしています。
まずご紹介する方はバラエティ「1泊2日」で活躍中のシギョン兄さんです。あ、この場をお借りしてシギョン兄さんに伝えたい言葉があります。「兄さん!『KBS芸能大賞』で新人賞を受賞できなくて残念です!」

シギョン兄さんは、うーん…何ていうか…歌手としてよりは、人として僕を接してくれます。芸能人という職業が、皆さんに自分の姿をお見せすることなので、気をつける部分がかなり多いです。特に歌手としては、3分あまりの歌とステージのコンセプトに合わせて、全てを準備しなければならないので、僕の本当の姿とは多少離れる可能性があります。更に演技となると、他人の人生を生きるので、こういった部分がもっと大きいです。最近は若干(?)人気がありまして、僕に気づいてくださる方々も多くなり、色々と気をつける部分が増えました。

こういった部分についてびしっと指摘してくれるのがシギョン兄さんです。うーん…兄さんに言われた言葉でもっとも記憶に残っているのが「生意気になりたければ、今から生意気になれ。中途半端に生意気なのはいけない」という言葉でした。当時は意味が分からず首を傾げていましたが、考えてみると、僕は誤解されやすい面があるかもしれないと思いました。シギョン兄さんの一言は、心を入れ替えるきっかけとなりました。僕のためになる言葉だったからです。あ、もちろん僕が本当に生意気というわけではありません!絶対!誤解しないでください。

僕が常に思うのが、自身に嘘をつく人生を歩まないようにしようということです。芸能界の特性から、イメージを作るわけにはいかないけれど、その他の部分では徹底して一人の人間としての“ソ・イングク”でいたいです。シギョン兄さんは、僕がそのような“人間ソ・イングク”として生きられる羅針盤の役割をしてくれます。

このコラムを通じてシギョン兄さんに是非伝えたい言葉があります。兄さん!最近コンサートに「1泊2日」の撮影まで重なって大変でしたよね。頻繁に会うことはできないけれど、弟イングクがいつも応援していますので、ファイトです。兄さんに合うたびに、表には出していませんが、僕も元気を貰っています。シギョン兄!あ…あ……あいし…………好きです!

僕のメンターたちと一緒にやった、いわゆる“ハートプロジェクト”。この瞬間は永遠に忘れられないと思います!
2番目のメンターは我らがラブリーボーイ、ヒョシン兄さん! 早くから女性の方々の胸のときめきが感じられるようです。ヒョシン兄さんは、まさに伝説、レジェンドです!

正直告白しますと、最近兄さんも本当に忙しいし、僕もドラマの撮影やらなにやらで忙しく、ほとんど会えません。でも、誰よりも見習いたい先輩がヒョシン兄さんです。いつもヒョシン兄さんの歌からは、感動、それ以上の何かを感じるからです。

ヒョシン兄に惚れた瞬間は…うーん…僕に歌を歌ってくれたときです。パク・ヒョシンが目の前で歌を歌ってくれる…どうですか? 想像するだけで鳥肌が立ちませんか? 僕にその夢のようなチャンスが訪れたわけです。今考えても本当にしびれます。やはりJELLYFISHエンターテインメントに来て良かったと改めて思います。

ある日、ラジオでシギョン兄さんの「私に来る道」を歌う機会がありました。これをどう歌うべきかと何日も悩みました。シギョン兄さんの原曲があまりにも見事なので、ソ・イングクの「私に来る道」を作るのが難しかったわけです。そのとき! 映画のように登場したのかヒョシン兄でさんした。早速行って歌を教えて欲しいとねだりました。今考えてみると、若干恥ずかしいような気もしますが、当時は本当に切実でした。

私のメンターのシギョン兄さん(左)、ヒョシン兄さん(右)と一緒に携帯で“カシャ”。メガネをかけた真面目な姿の二人の間で喜んでいる僕の姿が対照的ですか?
ヒョシン兄さんが僕の耳元で低く歌ってくれました。感動とはこういうものなんだと感じました。「歌の神」と呼ばれる人が耳元で歌を歌ってくれると想像してみてください。男なのに男に惚れそうだったと言えば、多少理解できるでしょうか。その活かされたディテール! それは、聞いてみないと絶対分からないと思います。羨ましいでしょう?

とにかく、その日ヒョシン兄さんのレコーディングを見学しながら、たくさん学びました。あれだけ歌の上手い人なのに、1曲のレコーディングにかなり時間がかかりました。録音室で全員が本当に大丈夫と言っているのに、本人がやり直すと欲張る姿を見ながら“これが本当の歌手だな”と思いました。ヒョシン兄さんを見るたびに、自分自身について考えるようになります。歌手ソ・イングクの進むべき道がそこにあるからです。ヒョシン兄さん!本当に尊敬、尊敬します!

そして最後に絶対欠かすことのできない方がいます。僕の両親です。僕の人生を一言で整理すると「挫折と試練の歴史」と言えると思います。歌手という夢を抱いたときから苦難の連続でした。裕福な家庭ではないにもかかわらず、実用音楽塾に通いながら歌うということ自体が、ある意味で親不孝です。実は母と話し合って父には内緒にしていました。勉強は元々得意ではなかったので、父には運動だと騙して2年間音楽を学びました。そこで感じたのが、狭いところではなく、もっと大きいところで競争すべきだということでした。歌手になるためには“チャンスの地”ソウルに行く必要がありました。そこで大きな決心をしました。

最初は本当に怖かったです。父のカッとしやすい性格と説得力に自身の決心が鈍ってしまうのではないのか、不安だったからです。しかしそれよりも強かったのは「歌手になるためにはチャンスの多いところに行くべきだ」という思いでした。今考えてみると…うーん…実は思い出したくなく記憶です。本当に父に殺されるかと思いました。そのときは、どうしてそのような勇気が出たのか分かりません。いつも「すみません」と言うばかりだった僕が、父の前で「いいえ」と答えました。「これは私の夢で人生」と話そうとして、本当にバーベルでお尻を殴られました。ヒュ…その痛みは殴られたことのない人には分かりません。とにかく、そこまで叱られながらも、何があってもソウルに行くと、僕の意志を貫きました。

食べるのはいつも楽しいです。頬張っている僕の姿。自分で見ても笑えてきます。
生まれて初めて父が僕に負けてくれました。今になって当時を思い返すと、涙が出そうです。ただ好きだった父に勝ったという感覚、そして開放感と達成感が何故悲しい思い出のようになっているのか分かりません。とにかく、そのようにしてソウル行きを許してもらったんですが、他の現実の壁にぶつかりました。お金です。いっそ軍隊に行けと。軍隊に行っている間、僕に使った金を集めて、したいことができるようにしてあげるという母の話が、そのときは本当に恨めしかったです。軍隊にいる2年の間、今練習している同年代の人たちは更に成長し、結局競争で負けそうな気がしたからです。そこで自分で何とかするとだけ話してソウルに向かいました。

今からは本当に涙の話が始まります。本当に悲しかったです。最初は友達に頼んで居候しました。申し訳ない気持ちで掃除や洗濯、ご飯まで僕がしました。できる料理は卵料理しかなくて、朝早起きして茶碗蒸しや卵焼き、目玉焼きで友達の朝ごはんを作りました。今や、卵料理に限っては1流料理人になったと思います。ハハ。しかし、それでもやはり友達は、僕と一緒に暮らすのが苦痛だったようです。いつからかその友達から出て行けという視線を感じたからです。バスルームに入ろうとしたら洗うなと言われたこともあります。本当に男としてのプライドが全て崩れ落ちました。

僕が友達にとってこれしかない存在だったのかと思い、本当に腹が立ちました。やつを殴りたいとまで思ったからです。そのように業を煮やしていたら、蔚山(ウルサン)にいる母の顔が思い浮かびました。父に立ち向かい、母にねだったのに、これくらい我慢できずここで終わらせるのか。ここで怒って全て終わらせてしまうと、親不孝に、自らの人生を駄目にすると思ったので、本当に卑屈で従順になりました。友達に図々しくごめんと、ちょっとだけ洗うと言ってからバスルームに入ったんですが、本当に堰が切れたように涙が溢れました。歯を食いしばるようになった出来事でした

そのときから波乱万丈の宿無し生活が始まりました。あちこち違う友人たちにあらゆる願いをして回ったと思います。そうして入ったのが新林洞(シンリムドン)でした。「あいつが僕にこんな態度を取るのにここでどう暮らせというのか。助けて欲しい」と必死にお願いして入った部屋は、ちょうど2坪の狭い部屋でした。そこまでして耐えたのに、その友達も結局歌手の夢を諦めて蔚山に戻ることにしました。結局またその部屋から出て他の部屋に移りました。お金と言うのが、あれだけ恨めしかったときはありません。たったの5万ウォン(約4200円)のせいで、部屋の真ん中に柱があるところで寝ながら数え切れないほど涙を流しました。親のことを考えながら耐えていなかったら、今のソ・イングクもいなかったと思います。

いつの間にか第1弾を終えるときが来たようです。このように書いてみると本当に感慨深いです。これから書くスターコラムに、僕もまたどんどん期待が膨らんでいます。ちょうどこの前、友達と色々と話しながらお酒を飲みました。大変だった僕の話を聞いてその友達も泣き、僕も泣き、本当にドラマみたいでした。皆さん、ソ・イングクの素直な話が聞けるNAVERスターコラム第2弾も、忘れずにチェックしてください!

文:ソ・イングク

「NAVER スターコラム」は、注目の俳優やアイドル、アーティストたち本人がコラムを執筆。話題のスターが直接書いたコラムをお届けしています。

記者 : ソ・イングク、編集 : ファン・ヨンヒ(Issue daily局長)、写真 : Issue daily、ソ・イングク、JELLYFISHエンターテインメント