【スターコラム】イ・ハイ「『K-POPスター』で2位…YGに入れなかったらと焦っていた」 ― Vol.1

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誰かは「2位はすぐ忘れられる」と言った。しかし、この可愛らしい少女は、世間のそのような偏見を見事に吹き飛ばしてくれた。イ・ハイはSBSの音楽オーディション番組「K-POPスター」シーズン1でパク・ジミンに次ぐ2位となったが、魅力的な歌声を存分に活かしたデビューシングル「1.2.3.4」で2012年下半期の主要音楽ランキングを総なめにし、“怪物新人”とも呼ばれているからである。同時期にデビューしたライバルのパク・ジミンを圧倒し、大逆転劇を繰り広げたのである。音楽界のシンデレラとして大ブレイクを果たしたイ・ハイ。年明けに、新しいアルバムのリリースを控えている彼女が、これまでの休みを利用して自身の短いが中身の濃いストーリーを綴る。ゆりかごから歌手デビューまで、全4回にわたって掲載される彼女の初エッセイ。ご声援をよろしくお願いします。/編集者

NAVER スターコラム:イ・ハイ

写真提供=イ・ハイ、YG

16歳、中学校のバンド部からYGへ…「夢みたい」

16歳、まだ知らないこともやりたいことも多い年頃です。一つだけ分かっていたのは、歌うことが何よりも大好きということでした。ただ歌が好きだった少女がどうやって歌手になったの?と聞かれれば、私のことを信じて応援してくれた姉と中学校の先生のお陰だと答えたいと思います。SBS「K-POPスター」に参加してYGエンターテインメント(以下YG)で夢を実現するようになったきっかけはこの二人です。

私は中学校1年生のある日、学園祭で私の歌を聞いた体育の先生の勧めでバンド部に入ってボーカルを担当することになりました。そして3年生の時に京畿道(キョンギド)主催の青少年歌謡祭で優勝したら、周りが「K-POPスター」へ応募するように騒ぎ立てました。もともと私は「K-POPスター」というオーディション番組の存在すら知らなかったんです。最初はそうでした。

親は最初バンド部が勉強もせず歌ばかりする部活動だと誤解していました。でも実はバンド部には怖い先生がいて、親のハンコをもらわないと入部もできなかったし、部員の成績もチェックされるほどでした。バンド部に入部してから、私は先生に努力不足だとよく叱られました。恐らく私がろくに練習もせず先生の言うこともよく聞かなかったから、関心を持って見守ってくださったのではないかと思います。厳しかったですが、優しく見守ってくださいました。


オーディションで順位は大事?でも心配事もたくさんあった

「K-POPスター」に参加している間、ずっと「YGに入れなかったらどうしよう」と心配していました。最後のトップ2になってからは、緊張しすぎて息もできないくらいでした。優勝者が入りたい事務所を先に選べるから、ジミンがYGを選んでヤン・ヒョンソクさんが私をYGに呼んでくれなかったらどうしようと、その考えが頭から離れませんでした。YGは本当に入りたかった事務所だったのです。

オーディションで順位はそれほど重要ではないと思います。ジミンはトップ2のステージで誰もが驚くほどのパフォーマンスを披露しました。それで優勝したのです。でもオーディションの後、YGの練習生になって素晴らしい方々から色々とアドバイスや指導を受けて足りない部分を補うことができたので、頑張れば2位も1位になれると信じていました。オーディションでの1位、2位はそれほど重要ではないということを教わったのもYGでした。


なぜYGなのか?と聞かれたら…

5歳上の姉が色々とアドバイスしてくれます。姉は大学生なので、頻繁には会えないのですが、辛い時や寂しい時は電話します。姉は私の音楽を探すためには、YGがもっとも相応しいとアドバイスしてくれました。SMには本当に素晴らしい方々が大勢いらっしゃいますが、音楽的に私の目指す方向と違うと思いました。JYPは私のスタイルに近いように見えて少し遠いと感じました。

私が切実にYGに入ることを願っていた理由は、ヤン・ヒョンソクさんがプロデュースに専念しているから、所属歌手に集中するだろうという期待があったからです。本当にそうですし。また「K-POPスター」の期間中に優しく声をかけてくれたり、私のやりたいことにいつも親指を立ててくれるんです。私の好きなジャンル(ソウル)が流行のジャンルではないにもかかわらず、応援してくださってとても元気付けられました。

「K-POPスター」で歌っていた時は審査員の反応をまったく意識できませんでした。自分だけの世界に入り込んでいて、審査員がどんな目で私を見ているかをチェックする余裕がなかったんです。それで審査コメントの時間になると、「どう感じたんだろう」と胸がドキドキしていました。いざステージでは審査員と目が合っても、私の歌をちゃんと伝えたいという気持ちで見ただけで、どう見られるかを気にしたりはしていませんでした。

事務所のオーディション?まだまだ早いと思っていた

もともとYGに入りたい気持ちはとても強かったのですが、まだまだ早いと思っていました。私は歌を専門的に習ったこともないので、オーディションに受かるなんて想像もできませんでした。ただ歌を聴くのも歌うのも好きな子でした。事務所のオーディションに応募してみようかな?という気持ちもあったのですが、親の反対もあり、とても勇気が出なくて。でも青少年歌謡祭の優勝で断固反対だった親も前向きに考えるようになってくれたし、姉も「K-POPスター」のオーディションを強く勧めてくれたので、やっと決心がつきました。

私は大会で賞を受賞した時も「運が良かったのかな」と考えただけで、確信はありませんでした。みんなとても上手で親からももっと頑張らないとねと言われていたので。親の前で歌う時は毎回アドバイスをもらいました。それが私にプラスになったと思います。振り返ってみれば自分に厳しくしてきたのでここまでこれたのではないか、とも思ったりします。


中学校に入った時の夢は…

まだまだ不安定な時期だったので、歌を続けたいという漠然とした願いだけがありました。まさか本当に歌手になれるなんて。高校進学も漠然とどんな学校に志願したらいいか悩んだ末、公演芸術学校を選びました。親は反対していました。一般高に進んで勉強もしながらやりたいことをやりなさいと。私は落ちてもいいから是非試験を受けたいと説得しましたが、反対されて。締切日に親に内緒で先生と公演芸術学校に志願しました。

「K-POPスター」予選1次のブースオーディションを通過した日、高校合格の知らせも一緒に来ました。一つでもできなかったら、音楽を続けないような気がしましたが、この機会を通じて自分の力でやったことを親に知らせることができて嬉しかったんです。結果を聞いてもう一度確かめました。「本当に受かったんですか」と。その時を思い出すと今もドキドキします。何でもできそうな気がしました。

こんなに長い文章は初めて書きます。私のストーリーが「NAVER スターコラム」に載せられるなんて。今、私は「K-POPスター」のステージに立った時よりも緊張しています(涙) まだまだ分からないことばかりですが、温かく見守ってください(笑) 次回は子供時代の悩みと葛藤、そして楽しい思い出を紹介しますね。楽しみにしてください。

文:イ・ハイ

「NAVER スターコラム」は、注目の俳優やアイドル、アーティストたち本人がコラムを執筆。話題のスターが直接書いたコラムをお届けしています。

記者 : Kstyle編集部、編集 : ソン・ナムウォン(OSEN局長)