Vol.1 ― 【家族の変化】「馬医」から「Barbie」まで…物語の中の父親たちは“危機”にさらされた

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「馬医」「蒼のピアニスト」「いとしのソヨン」「Barbie」で見られる“父親の不在”

「愛は何のために」というドラマがあった。ドラマで妻のハ・ヒラをこっそり助けた夫のチェ・ミンスに、父親のイ・スンジェが怒鳴るシーンがある。イ・スンジェは、当時多く見られた典型的な家父長の姿を見せ、視聴者はこれに大いに共感しながら笑った。しかし、このようなキャラクターは、最近のドラマではなかなか見当たらない。また、過去ドラマの題材として活用された家父長どころか、最近のドラマでの父親は“危機”そのものだ。

写真=MBC
父親が死に直面するケースはMBC「馬医」で見ることができる。ペク・クァンヒョン(チョ・スンウ)の本当の父親カン・ドジュン(チョン・ノミン)は、昭顕世子への毒殺の陰謀を暴こうとして、反逆者の濡れ衣を着せられ死を迎える。ペク・クァンヒョンの継父ペク・ソッグ(パク・ヒョックォン)までも、矢に打たれ命を落としてしまう。

「蒼のピアニスト」でホン・ダミ(チン・セヨン)の父親ホン・スピョ(オ・デギュ)は、ユ・ジホ(チュ・ジフン)の祖母ミン・バンウォル(ナ・ムニ)からまだ中にいる息子を助けて欲しいと懇願され、ユ・マンセ(チョ・ミンギ)会長を助けるため燃えている家の中に入り、死を迎えるだけでなく、窃盗犯の濡れ衣を着せられる。ユ・マンセ会長もまたチェ・ヨンラン(チェ・シラ)に頭を打たれ、燃える家の中で死を迎える。母親であるチェ・ヨンランがユ・マンセ(チョ・ミンギ)会長を殺害したことでユ・ジホは父親を失う。この火事でホン・ダミとユ・ジホは二人とも父親を失ったのである。

「メイクイーン」では、チョン・へジュ(ハン・ジヘ)の実の親ユン・ハクス(ソヌ・ジェドク)が、友人のチャン・ドヒョン(イ・ドクファ)に銃で撃たれ、息を引き取る。チョン・へジュを本当の娘のように養っていた継父のチョン・ホンチョル(アン・ネサン)もまた、パク・キチュル(キム・ギュチョル)に殺され、チョン・へジュは実の父親と継父を両方とも失う。

写真=KBS
父親はいるが、子ども達の役に立たない形だけの父親もいる。「いとしのソヨン」でイ・ソヨン(イ・ボヨン)にとって消したい存在なのは、他でもなく父親のイ・サムジェ(チョン・ホジン)だ。食事を取ることよりも取らないことに慣れるほどイ・ソヨンが大変な思いをするのは、父親であるイ・サムジェのせいだ。お金を集めては事業を展開し失敗するということを数回繰り返し、その後始末はイ・サムジェ本人ではなく、子ども達にさせるからだ。自身が結婚することを父親に知らせたくなく、父親には「留学をする」と言い、夫の家族には父親がいないと嘘をつくイ・ソヨンの心には、父親への怒りを通り越し、存在自体を消したい“骨にしみる愛憎”がある。彼女にとって父親は誇らしい存在ではなく、重荷に過ぎない。

父親の不在現象は、ドラマだけに限られない。近日公開予定の韓国映画でも見ることができる。「ミス・ママ」は、夫なしで子育てをする未婚の母たちの話を描いた映画だ。子どもには生物学的な父親はいないが、不在の父親の役割を母親が担う。

写真=インディカムメディア
「Barbie」のスンヨン(キム・セロン)は、幼くして民宿の受付の仕事をしながら携帯ストラップを売りお金を稼ぐ。ソンヨンの父親が知的障がい者なので、小学生のスンヨンが家族を養わなければならない。正常な父親としての役割を全うできない父親なのである。

最近の一連の韓国ドラマや映画での父親はなぜ、不在、又は形だけの存在になってしまったのか。「馬医」や「メイクイーン」での父親の不在は、出生の秘密と結びつけることができる。

「馬医」と「メイクイーン」で、父親が殺害されるというのは、主人公のアイデンティティが本物ではないということを意味する。自身の本当のアイデンティティを探すために出生の秘密を暴かなければならず、そうするためには、死んだ父親の足跡を追うしかない。「馬医」と「メイクイーン」での父親の不在は、自身の失われた本当のアイデンティティを探さなければならないという主人公の苦難の道のりに結びつけて分析できる。

「蒼のピアニスト」での父親の不在現象は、チェ・ヨンランが殺人もできるほど悪辣な人物だということを強調するための装置だと考えられる。それでは「いとしのソヨン」と「ミス・ママ」で見られる形だけの父親はなんだろうか?

「ミス・ママ」では、夫がいなくても、未婚の母となった女性が一人で子どもを養育できるという、女性のアイデンティティ確立の面から分析することも可能だが、「私の娘はソヨン」の父親は、男性たちの早期退職、又は高い失業率という社会現象と関連がある。

一家の大黒柱が早期退職で失業者となったり、新しい職場を探せずにいれば、その父親は大黒柱としての責務を家庭内で果たすことができない。「いとしのソヨン」のイ・サムジェが、家庭で父親としての役割を果たせず、むしろ家族にとってお荷物になるのは、父親の早期退職、または失業現象という、現在の我々の社会現象を反映するものだ。これはまた、イ・ソヨンに父親がいなくても、自分の面倒は自分で見ることができるという、強いアイデンティティの確立を意味するものでもある。

一連のドラマや映画で、父親が殺害されたり、無能な、形だけの父親として描かれるのは、このように出生の秘密、女性の確固たるアイデンティティの確立、男性たちの早期退職や失業と結びつけられる現象であると共に、家父長制という軌道から逃れようとしている時代像でもある。

記者 : パク・ジョンファン