オム・テグ「My name is...」

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My name is
オム・テグ。漢字では“太九”と書き、本名である。最初はただ父親が知り合いから付けてもらった名前だったが、後から聖書に載っている“九つの実”という意味が付けられた。

1983年11月9日
に生まれた。幼い頃に考えていた30歳と現実の30歳はかなり違うと思う。30歳になったら、結婚して子供もいて、アパートに住み、車を持つような安定した姿を想像していたが、僕だけでなく周りの友達を見ても実際は全然違うから。

映画「棘(とげ)」で「若者が頑張って生きようとしているのに」という台詞が
一番記憶に残っている。映画の中のユノと僕は職業が違ったり、大変なことに直面したりした時に取る行動が違うだけで、最近、僕と同世代の人々はみんな同じ立場にいると思う。何かをしてみようと思ってもみんなそれが難しい環境にあって、夢はあるけれどまだ始めることができずに、それぞれ自分の中で苦しい気持ちを持っているところが似ていると思う。

ドラマ初主演作である「アート」のジュン監督は
体を使うことのほうが気楽な僕とは違い、主に頭を使うキャラクターだと思った。台詞も長いし、ひけらかすような表現もよく使うけれど、それでも、パク・ヒョンソク監督は僕が持っている部分をキャラクターにたくさん盛り込んでくれて、気軽に演じることができるように配慮してくれた。

パク・ヒョンソク監督のすべての短編ドラマに
出演した。監督の初作品だったドラマスペシャル「南派トレーダー キム・チョルス氏の近況」が僕のドラマのデビュー作でもあり、そこで解決者役を演じた。オーディションで自由な演技を披露するときに独立映画(配給会社を通さず、制作者が直接映画館に売り込む映画)の台詞を言ったけど、監督は演技より独立映画をやってきた僕の情熱が気に入って僕を選んだと話した。監督のおかげでドラマの現場も経験することができ、様々な役を演じることができて本当に感謝している。

演技はオルチャン(整った顔)だった教会の友達に勧められて
始めるようになった。当時、僕は高等学校卒業程度認定試験の準備をしていたが、その友達が一緒に演技教室に通おうと僕を誘ってきた。僕が何もやっていないことを心配していた両親はその誘いをとても喜び、演技教室を調べてくれるなど僕を後押ししてくれた。でも、その友達は美術教室に通い始め、今は、デザインの仕事をしている。

母親が授業料を払いながら「ウォンビンより大スターになりなさい」と
言ったのが今でも忘れられない。当時、「秋の童話」が大人気だったので、母親がそういうことを言った。でも僕は、自分は大した人じゃないし容貌もまったく違うのに、どうしてそんなことを僕に言うのかと思って凄く悲しくなった。そういう気持ちで演技教室に行ったが、自分も知らないうちに最善を尽くしていた。

映画監督であるオム・テファが
兄である。兄は僕も俳優として参加した「森」という作品で今年のミジャンセン短編映画祭の大賞を受賞した。「アート」でジュン監督が「正直言って、オム・テファが僕よりうまく撮れるのか?」と兄を言及する部分があるが、個人的にはかなり恥ずかしかった(笑)

「森」の後から仕事が
うまくいっている。その前は8ヶ月ぐらい仕事がなく、演技をやめて格闘技をやろうかと思ったこともある。荒仕事、イベントのアルバイト、パン屋でのアルバイト、演技の家庭教師など、色んな仕事をした。パン屋でアルバイトをしている途中、映画「怖い話」で宅配ドライバーの役を演じることになり、兄にアルバイトを頼んで、撮影に行ったこともある。

同じく、兄が演出した短編映画「ホーム・スィート・ホーム」のホームレス役には、
本当は他の俳優がキャスティングされていたが、その俳優が髪を切りたくないと言ったので僕がやることになった。正直、その役をやりたいと思った俳優は一人もいなかったと思う。僕もあまりやりたくはなかったが、その時、兄が少しかわいそうに思えて兄の仕事が上手くいったらいいなと思い、出演することにした。最近、賞を受賞するなどして兄さんの仕事が上手くいっているようで嬉しい。

映画「同窓生」で高校の“不良”役を
演じる予定だ。BIGBANGのT.O.Pさんとハン・イェリさんをいじめたりして殴られる役である。兄の長編デビュー作である「イントゥギ」(常識から外れたことばかり言って人々から“剰余”と呼ばれるキーボードファイターたちが集って行われる格闘技を意味する新しい単語)ももうすぐ撮影に入るが、この映画でも殴られる役だ。

「完璧なスパイ」のテグや「暴力サークル」のように活発に動き、体を使う役の場合、
演技において基本はできるという自信がある。しかし、医師など頭を使う役はかなり苦手な方だ。同じ刑事役でも体を使う刑事はうまく演じることができるが、推理したり分析する演技はとても苦手。そういう部分の演技を練習し、もう少しうまく演じるようにする必要があると思う。

ハン・ソッキュ先輩が
好きだし、尊敬している。過剰でも不足しているわけでもなく、ちょうど良い演技を見せてくれる先輩の境地とは!現場で聞いた話だが、スタッフにもとても優しく接するようだ。発声も凄く良いし。僕は声がコンプレックスなので、先輩が物凄く素晴らしいと思える。

今のハスキーな声は
喉を酷使してこうなったと思う。5年前はまだこんなに酷くはなかったのに、ちゃんと食べずに練習を続けたため声が枯れてしまった。この声のせいで悪口を言われたこともたくさんある。台詞をきちんと伝えることができなかったり、聞く人がぎこちなく感じるかもしれないので、パンソリ(韓国の民族芸能:歌い手と太鼓の伴奏者の二人だけで演じる、身振りを伴った一種の語り物)を習ってみたらどうかとアドバイスされたことがある。今度一度、習ってみようと思っている。

どもりがちな言葉遣いは昔の方がもっとひどかったが、
今はかなり直したほうである。20歳のとき、ある人からテレビに君と言葉遣いがそっくりな人が出ていると言われて見たら、ヤン・ドングンさんだった(笑)

多くの人と
会うタイプではない。会う人が決まっているけど、その人たちと一緒にカフェでおしゃべりすることが好きだ。バニララテを飲みながら話すのが本当に好きだ(笑)

記者 : キム・ヒジュ、写真 : イ・ジンヒョク、翻訳 : ナ・ウンジョン