チャン・ナラ「12年間の芸能活動は、銀メダル」

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写真=ナラチャンドットコム
「赤い口紅が付けたいです。20代の時、本当に付けたかったけど、付けませんでしたからね。30代の女性たちが素顔に赤い口紅だけ付けることが羨ましかったけど、今からは私にもできるでしょうね」

いきなりなぜ赤い口紅の話なのか。それは、まだ赤よりはピンク、イエローなどのパステルカラーがよく似合いそうな歌手、チャン・ナラに会ったからだ。30代に差し掛かったが、まだ20代前半のようなルックスと細い声。「甘いチョコが好き」と笑うチャン・ナラは少女のようだった。

だが、2001年デビューだから、デビュー12年目だ。しかも、ドラマ「童顔美女」(2011)への出演を除けば、3年ぶりの歌手としての復帰だ。チャン・ナラは「ひどく緊張した。デビューの時も、これほどではなかった。プレッシャーが並大抵ではない。」と語り始めた。また「長い間中国で活動し、韓国の芸能人に会う機会がなかったけど、これからはよく会える」と微笑んだ。


バラエティは狭き門……やはり厳しい

新曲「I Only Think Of You」は、彼女が歌える一番韓国的で、大衆的なバラード曲だ。静かに始まり、爆風のように高調し、最後には切なくなる感情表現が印象的だ。細くて軽い感じの声で、爆発するような感じはないが、経験を重ねるうち成熟した感情は単純な感じではない。ただ、アレックスと共に歌った「It’s you」は、気楽に聞ける歌だ。

「私はアレックスさんの声が好きです。都会的で洗練された感じでありながらも、微妙に憂鬱ですね。もちろん甘いし。何か複雑な声です。多彩な感じで好きです。私とよく似合いそうで(デュエット曲を)頼みましたが、やはり似合いました。私に歩調を合わせてくれたみたいでしたけどね(笑)」

自分に対し「結構しらじらしくなった」と言ったものの、特別なエピソードなしに地味な人生を暮らし、働かない時は面倒臭くて動かないと言うチャン・ナラに、バラエティ番組は依然として宿題に残っている。「バラエティはやはり難しい。トークは罠みたい」と言いながら、むしろ隣でレゴブロックを作りなさいと言われると、何も言わずにうまく作れるはずと話す。


中国は第二の故郷……“アジア”を一つに考えないと

チャン・ナラを語る時“中国”は避けて通れない。アン・ジェウク等、第1世代の韓流スターに続き、中国で歌手や俳優としてドラマに出演する等、活発に活動したためだ。しかし、本人は「私が別に爆発的な人気を得たわけでもないのに」と少し躊躇しながら言った。

「中国は私にとって第二の故郷みたいなところです。いろいろ経験したし、いい人達にも出会いました。たまに行くと、外国人でもなく、中国人でもない状況に置かれる時がありますけど、私は主に中国人の間で働きました。」

デビューして間もない頃、チャン・ナラは日本で活動するために契約を準備したと言う。だが、年に少なくとも3~6ヶ月は日本に滞在しなければならない」という条項を見て、すぐ帰ってきた。当時は「家からそんなに離れているなんて死んでもできない」と思ったが、中国ではそれ以上活動したこともある。「他の国に進出する計画はないのか」という質問には「ありません。家に戻れないから」という返事が返ってきた。

彼女に中国進出を控えている後輩のための一言をお願いすると「商業的なアプローチよりは“アジア”という一つの観点から見てほしい」という返事が返ってきた。本人より優秀な人が多いが、たまにはかなり危険にプロモーションする人もいるという。“広報”よりは“一方的な強要”に近いことを見る度に、気の毒だ思うと言った。


最後の目標は、演劇の演技で父を乗り越えること

チャン・ナラは、これまでの活動を“銀メダル”と表現した。満足度は金メダルだが、能力が足りなかったと思うので、全体的に金メダルにまでは至らなかったと言う。チャン・ナラは「銀メダルも結構いいんじゃないかと思います。60歳頃になって自分に金メダルを与えればいい」と話した。

「その当時には後悔したり、怒ったり、悔しかったり、申し訳なかったりしたけど、時間が経ってから振り返ってみると、後悔することばかりではありませんね。私にはやるべきことがたくさんあります。今半分にも来てないし。出発点にも立てなかったこともありますから。私の最後の目標はいつか芝居に挑戦し、父(演劇俳優のチュ・ホソン)の演技を乗り越えることです。俳優になりたいと思ったのは、父の演劇のためだったので。これから10年は、いろいろ経験を重ねる時間になるでしょう」

芸能人としての人生がこれから楽しくなりそうだと言うチャン・ナラ。これから彼女は、急激な“変身”よりは、徐々に“進化”する女優になっていくのだろう。

記者 : イ・ソンヒョク