2011年の作詞家 ― 昨今の歌詞の裏話 ―

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現役入隊した歌手のフィソンがノンサン訓練所の訓練教官になった。K-POP市場で最もホットな作詞家だった彼が、軍隊で開催する軍歌の歌詞公募に参加したらどんな軍歌が誕生するだろうか。もちろんそれは分からないし、予想すら出来ない。予想し難い彼の独特の感性のせいではない。その軍歌のデモ版が出ない以上、フィソン自身でさえ何を書けばいいのか分からないからだ。ただ一つ、確かなことがある。軍のトップがお望みのコンセプトさえ明確であれば、その方の気に入る歌詞だけは出来上がるだろう。


情緒から企画になった歌詞

曲に合わせ、コンセプトに合わせる。フィソンのような有名人をはじめ、2011年を生きる作詞家の世界ではこれが市場で生き残るための大前提だ。むろん文学的な完成度も重要だ。だから昔のヤン・ヒウンやキム・ミンギ、故キム・グァンソクの歌や、最近の例ではイ・ジョクやキム・ドンリュルのようなソングライターを知る人々には、「止め、止め、止めろ/もうたくさん/Latin girl/Maxican girl/Korean girl/Japan girl」(ZE:A「Mazeltov」)のような歌詞などはレベルの低いものに映るだろう。フィソンの書いた「消えてやるよ、あばよ」と言う叫びも、品がなく直接過ぎると感じるかもしれない。先生と呼ばれる歌手であり、人気DJでもあるペ・チョルス氏はKBS『コンサート7080』の300回特集の記者懇談会で、「近頃の歌はダンスとリズムがあるから聞けるもので、歌詞だけを見ると何を言っているのかさっぱり分からない。」と苦言を呈していた。だが、歌詞は活字だけでは評価しきれないジャンルである。最も伝統的で、吟遊詩人に近いシンガーソングライターと言われるLucid Fallでさえ、「詩のような歌詞を書きたいが、今は詩と歌詞ではそのジャンルが違う。いい詩が必ずしもいい歌詞、いい歌詞がいい詩になるのではない。」と話したように。

過去の美しい歌詞と今の歌詞の違いを、単にレベルの低下と片付けてしまう事と、音楽市場の変化の中でそれを把握する事は、全くの別問題だ。以前から美しい文章がそのまま歌詞になるケースは珍しく、歌詞とは曲に合わせて作るものだった。変わったのは作曲家の役割である。作曲家のキム・ヒョンソクはこれについて、「感情の次元から企画の次元に変わった」と一言で片づけた。作曲家の時代からプロデュースの時代になったと言えるだろう。「昔は普遍的な恋、普遍的な別れを語ろうとしていたので美辞麗句が多かった。でも今は歌手を引き立て、その歌手のファン層を狙った曲を作り、それに合わせて歌詞を作る。」という言葉は多くを物語っている。例えばパク・ジニョンが作詞したRain(ピ)の「It's Raining」では「Rain go rain/It’s raining/It’s raining」とあるが、文学的な美しさや明確なメッセージはなくとも、ここによりRain(ピ)というパフォーマーのオーラを際立たせるには充分だ。ペ・チョルスは「ダンスとリズムがなければ」と条件を付けているが、それ抜きでは歌詞を語れない時代になったのだ。


文学のフレームで歌詞を測った時代は終り

音楽と歌詞、ダンスと衣装までがトータルコーディネートで企画され市場に出る。それだから作詞家にも企画を完全に理解・把握する力が要求される。作詞家のキム・イナにとって「アブラカタブラ」は、「プロデューサーと作曲家、作詞家、ミュージックビデオの監督がチームとして一丸となった初作品」であったし、そうした経験があったからこそサニーヒルの「ミッドナイトサーカス」を書いた時にも「歌詞が耳に残らなくとも、映像と一緒に聞くと神秘的な印象を与える」点を想定しながら作業する事が可能であったのだ。フィソンに対する理解し難い酷評のもとになった、ORANGE CARAMELの「魔法少女」も然りである。フィソンに作詞を依頼したプレディス・エンターテインメントのジョン・へチャン代表取締役は「はじめからORANGE CARAMELのグループコンセプトは明るく愉快に、というものだった。徹底的に幼稚なものを書いてくれと頼んだし、その通りのものだった。大変素晴らしい作詞家だ」と語る。歌詞によって「魔法少女」というタイトルが決まり、「あの」舞台衣装が作られた過程は、企画と言う全体の中で作詞家の役割が何であるかをよく表している。

だから、ユ・ヨンジンやテディ、パク・ジニョンのようなプロデューサー、もしくはキム・ドンリュルやイ・ジョク、Lucid Fallのように作詞と作曲を兼任するケースを除いて、このような市場環境における作曲家と作詞家の共同作業は、ある程度不可避なものと思える。作曲家のデモテープを持ち込みんで数名のライターに作詞を依頼し、競争させるのが今の最も標準的な歌詞の募集方法だ。しかしORANGE CARAMELほどではないにしろ、ターゲットがはっきりとしたコンセプショナルな歌手が作り出される時代、イ・ミンスとキム・イナのコンビのような、全体の絵を描けるパートナーシップこそ、現在最も理想的であると言えるだろう。
ターゲットが細分化され、スタイルも細分化された作曲方法も、この共同作業とマッチするだろう。「昔のような反復的なヴァースコーラス形式のメロディーラインならいざ知らず、楽節ごとに違うリズムや異なる進行をみせながら、作詞家にここに歌詞を入れてみろと言われても到底無理な話」(キム・ヒョンソク)だからだ。つまり、昔もそうだったが、作詞家にとって、今は昔とは比べ物にならない程、活字の領域で苦悩するいる余裕などないのだ。ともすると軍隊のトップに気に入られるために、愛国心などをチラつかせた赤面ものの歌詞を、軍隊の幹部と相談しながら書かなくてはならないかもしれないのだ。これは皮肉などではない。文学のフレームで歌詞を見ていた時代が終わったという意味から、この分野の作業を正しく評価するために新しい基準が必要だという意味なのだ。本当の退行は「Mazeltov」のような歌詞ではなく、過去の目線で今を評価しようとすることにあるのだろう。

記者 : ウィ・グヌ