「プデュ」「アイドル学校」出身イ・ヘイン、オーディション番組の過酷な撮影を暴露…内容に衝撃“人権はなかった”

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イ・ヘインがMnet「アイドル学校」をめぐる議論についてコメントした。

イ・ヘインは本日(7日)、自身のInstagramに長文の文章を掲載した。Mnet「アイドル学校」の操作論議、人権侵害疑惑などに関する文章である。

イ・ヘインはMnet「プロデュース101シーズン1」に続き、「アイドル学校」に参加して顔を知らせた。しかしその後「アイドル学校」の結果操作の犠牲者にされている人物である。

イ・ヘインは「操作があったかどうかは分からない。真実は警察調査で明らかになると思う」と慎重に綴り始めた。その一方で、撮影過程にあった不公平な部分について公開した。

また、最近提起された「アイドル学校」の人権侵害疑惑に対して、「それこそ人権というものがない撮影をした」と暴露し、契約解除の厳しい過程についても明らかにした。

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写真=イ・ヘイン Instagram

【イ・ヘイン Instagram全文】

こんにちはイ・ヘインです。

今までどう話せばいいか、またどう行動するのが正しいのか悩んで、また今は事務所という柵がないため、どのようにコメントすればいいか考えて、このようにここに文章を掲載します。

決して良い案件でもないし、だからもう言及されたくないと思いましたが、これ以上私のことを父親または他人を通じてではなく、私からありのままの事実を話したかったんです。
マスコミを通じて、知人を通じて聞いた話では、誇張や誰かの2次解釈が入る可能性があると思います。

実際に、私は操作があったどうかは分からない人だと思います。
そして、その有無が私の人生において、そこまで重要なのかどうかも分かりません。
多くの時間を通じて、人生は誰にも公平ではないことを感じたし、今回のことに関係なく、色々な活動をしながら私を応援してくれたファンに出会えた機会や運が私にはあったように、ただ「アイドル学校」という機会も、私が掴めなかっただけだと思って過ごしていました。

真実は警察調査で明らかになると思います。

今議論になっている“3000人オーディション”に関しては、最初は参加しないように求められたのが事実です。
もし全員が参加したという立場を制作陣が言いたいのであったら、その人々の1回目のオーディション映像を公開できるのかと聞きたいです。
放送日と実際の合宿開始日は、はっきりと異なりました。
番組撮影中に、心で感じた私の推測は除いて、真実で整理できる、私が知っている部分だけ申し上げます。

アイドル学校「Mr.Mr.」競演の準備をしていた当時、プロデューサー・ポジションバトルのように、チーム内で1位を選ぶ競演を準備していたのですが、急に競演当日のステージ上で、チーム内対決ではなく、チームとチームの対決に競演のルールを変え、競演中に他のチームのパフォーマンスも「Catallena」の場合、ライブ・ダンスポジションの相手チームは口パクで競演に参加し、最後の生放送ミッションだった新曲ミッションでは、曲のオーディションで落ちた後、私を落とした方々から「制作陣の方々が私を反対した。申し訳ない」というコメントを聞きました。

その他にも、音楽をかけていない状態でリズムに乗りながら「曲がいい」と言ってほしいと言われたり、ただ後ろを向いて笑ってほしいと言われたり、ドラマのシーンを撮るように撮影したこともありました。

その他にも、撮影途中に専属契約書をもらった人数は、記事で報道されたのとは違って、41人全員ではなく、一部の人でした。
本当に全員が契約をしたと主張するのであれば、これも契約金が振り込まれた口座履歴を公開すればいいと思います。

「アイドル学校」で落ちた最後の日の前日に、デビューしそうだけど、(デビューを)したがらなかった特定の参加者を呼んで、なだめる姿に「私は落ちるんだ」と思ったし、もしかしてと思って、予め脱落の思いを整理して、翌日にステージの準備を終えた時に、私はそれが私の人生において最後のステージだろうと思って登壇しました。
予想通り、私は11位で脱落しました。

マイクをくださった制作陣の方々にお聞きしたいです。
9位までを選ぶオーディション番組で、誰も言わなかった脱落の思いを10位ではなく、11位に言わせた理由は何ですか?
最後に、私と一緒に認知度があったサバイバル出身の他の参加者を残して、ツーショットを撮らせた時、何を考えていたか知りたいです。

先日ニュースで出た話のように、5月頃に楊平(ヤンピョン)の英語村に入って、最後の生放送日まで、私たちは1日も外部に出たことがありません。
携帯電話も回収されて、「プロデュース101」のようにしばらく合宿をして外に出られるシステムではなかったため、また保護してもらう事務所がなかったため、できたことだと思います。

月に一回ほど、オリーブヤング(韓国のコンビニ)で必要なものを購入することができたし、食事の時間を除く時間は、食べられるものが全然なかったため、その時間に疲れて寝たり、さまざまな理由で逃した人は、その英語村の中に売店があったにも関わらず行けずに何も食べられませんでした。
なので、学校に月に1~2回ほど行く人々は、ニュースの内容のように、服の中にこっそり食べ物を隠し持った人もいたし、それすらもボディチェックをする過程で奪われることがほとんどでした。

楊平はソウルとは気温が違うし、体感上はもっと寒い場所でした。
撮影が終盤になるにつれて、寒がる人が多くて意義を申し立てましたが、それでも絶対に外出させられないという意見があったため、両親から宅配便を一度だけもらえるようにしてくれました。

このすべてが、ただご飯を食べられず、少し寒かったためでしょうか?
制作陣の方々は出前をとって食べたり、おやつを食べたりしている間、私たちは残ったものを密かに持ってきて食べたりして、それこそ人権というものがない撮影をしました。
ほとんど未成年者である出演者を連れて、撮影遵守時間を守らず、窓一つないスタジオで、毎日皮膚が病気になっているのに、寝ろと強要する制作陣の言葉に、何度も抗議してやっと他の宿舎に移動する時に感じました。
言わなければ変わることはないんだと。

病院も選択して行くことができました。
このすべてのことは、これだけ多くの人員を制御することができるマネージャーが足りないからだということを知っています。
しかし、だからといって彼らが楽するためにずっと合宿を進めながら、基本的なサポートもしなかったことは、変わらないと思います。
5ヶ月間ずっと、24時間という時間の概念もなく撮影した私たちに、法案が作られる前だから出演料も全く支払ってもらえず、そこに閉じ込められて生活しなければならなかった理由が、ただ「君たちがやりたくてやったんだろう」と言われたら、本当に何も返す言葉がありませんが、どの会社も自分が好きで就職したからといって、不合理なことまで我慢しなければならないと強要することはできないと思います。

最後の生放送が終わった日、私は両親に会う自信も、打ち上げに行く心の余裕も残っていなかったため、1人で先生たちに会って心をなぐさめました。
離れた場所で座り込んで泣き続ける私に、これが泣くようなことかと聞く制作陣に、私は本当に言うことも残っていませんでした。

落ちた次の日に契約解除を要求し、当時あった操作論争に対して真実が何か教えてほしいと言いましたが、「あなたリアルタイム検索ワードに上がったじゃない。君が勝利者だよ」と言って、これ以上疲れてグループ活動などしたくないという私に、君のためのグループを作ってあげると約束しました。
そして出演したい番組は何か、その当時、個人的に連絡が来たドラマやさまざまな仕事をさせてあげるし、練習室に絶対に放置しないし、個人活動をしながらグループデビューを準備できるようにしてあげると約束して、後日比較的に練習期間が短かった練習生たちと一緒にいた時も、「私はここでデビューの約束をしたのはヘインしかいない。みんな準備できなければ、ヘイン一人でもデビューさせる」と話しました。

今すぐには「MAMA」のバックダンサーの準備をしなければならないから、少し延期しようという言葉に、その通りにしましたが、「MAMA」が終わって、時期が曖昧になっているから活動したらイメージ消耗だという言葉に、最年長でリーダーが練習に集中しなければ、妹たちはついてこないという言葉に、本当に一緒に練習した人々だけを見て、頼りにして時間を過ごしました。

その中で「PRODUCE 48」を制作するという記事を見て、わらをも掴む思いで出演したいという意向を明かしましたが、「君は出演しないほうがいい」と止められ、だから私は事務所に1人で練習しながら時間を過ごしました。
約束していた10月デビューだけを見ながらです。

練習生は練習生契約をして、アーティストはアーティスト契約をします。
契約金が交わされるアーティスト契約は、お互いの役割を忠実に果たさなければならない義務があります。
私が契約期間が経過する間、練習生を再びやるなら練習生契約をすればいいわけで、なぜアーティスト契約をしなければならなかったのかも分かりません。
活動といっても、ラジオ1回、ファッションウィーク1回が全部だった私に、とにかく仕事はあげたでしょうと言われたら、本当に返す言葉がありませんが、嫌だという人を掴んで説得する時は積極的だった方々が、経済的に本当に大変で、約束した10月を優に超えた今年、契約解約を求めたら、上層部の関係者の方々は誰も会ってくれませんでした。
私が要求したのは、会社を出ていくというのではなく、具体的ではないにしても進行方向を提示してほしいということでした。
最初に契約する当時に話していたデビュープロジェクトは頓挫に近かったので、新しい方向を知りたかったです。
しかし、すぐに答えられるものがないと言われ、ソロも演技も今すぐには無理だと言われ、専属契約書上の義務を甲が履行できないと判断して、解除合意を求めたのです。
正確に2月でしたし、解除合意書上の日付は4月30日と明記されていましたが、これすらも毎日急かしたが故にもらった解除合意書であって、実際にもらったのは数ヶ月後の夏頃でした。

写真は、解除合意書に実際についていたポストイットです。
あのポストイット1枚に私の何年もが入っていると思うと、虚しい気持ちを隠せません。
言いたくもなかったし、言っても失うものしかないこともよく知っていますが、言わなければ多くの誤解を生んで、後日後悔するんじゃないかと思って、事実だけを記録します。
良からぬことで文章を掲載して申し訳ありません。

契約をしていた私が落ちたように、契約が合格につながらなかった人もいたし、契約していなかった人もデビューしたので、それが操作の証拠や指標ではないことを、合格の有無に対して人々は推測するだけで、誰も確信したり、分かることはできなかった事実に付け加えます。

記者 : イ・ミンジ