(G)I-DLE「デビュー直後に1位獲得…想像もしていなかった」

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清純、セクシー、可愛さ……どの言葉も彼女たちを表すのに十分ではない。(G)I-DLEは「私(I)」という言葉だけが彼女たちを表せる言葉と言えるだろう。彼女たちにとって最も重要なのは「個性」だという。自分のカラーを偽って万人に愛されるのではなく、好き嫌いが分かれたとしても「私」を表現していくという新しいガールズグループが誕生した。

(G)I-DLEにとって、ここ数ヶ月は人生の大きな転機であった。5月2日にデビューアルバム「I am」を発売して、タイトル曲「LATATA」で活動を始めた彼女たちは、デビューからたった20日でSBS MTV 「THE SHOW」で1位を獲得した。誰も予想していなかったことだ。彼女たちの「私たちの存在を知らせたい」という素朴な希望が叶った瞬間であった。

これについてミンニは「想像もしていませんでした。舞台裏で私たちが1位候補だという話を聞いて、皆『私たちが? 』と言いながら驚きました。しかもまさかの1位! みんなまた『私たちが? 』って言いました(笑)」 と伝えた。

ウギも「とても感謝しています。1位だと言われた時には練習生時代を思い出しました。私たちを助けてくださった多くの方々やCUBEエンターテインメントの方々、メンバーに本当に感謝しています。そして『ウギもお疲れ! 』と言ってあげたいです(笑)。大きな賞をいただいた分、もっと一生懸命努力しようと思いました」 と、これからの覚悟を話した。

あまり泣かない方だと話したチョン・ソヨンも、1位のトロフィーを手にした日は涙が出そうだったという。Mnet「プロデュース101」や「UNPRETTY RAP STAR」に出演し、絶えず自らの実力を証明しなければならなかった彼女にとって、音楽番組での1位獲得は特に貴重なものであった。チョン・ソヨンは「私が作った曲で、こんなにも良い評価をもらえたのは生まれて初めてでした」と打ち明けた。

ミヨンは「初めて音楽番組に出演した日を忘れることはできない」と語った。観客が誰もいないかと思い心配していたという彼女は、会場いっぱいに埋まったファンの姿を見て驚き、曲の合間に入るファンの応援の声にもう一度驚いたという。一方で、ミンニとウギはカメラの位置を探すのが大変だったと伝えた。ミンニは「カメラが回っている時に赤い光が付くのですが、それを探すのが難しいという話をたくさん聞いていました」とし、ウギも「本当に大変でした。だからみんな難しいと言っていたんだなと思いました」と付け加えた。

音楽番組での活動最終日に(G)I-DLEは、放送局の近くでファンに会った。スジンは「ファンミーティングにこんなにも多くのファンが来るとは思っていませんでした」と話した。メンバーの中で最も感性が豊かだというミンニはこの日、ファンの姿を見て涙を流したという。この日について、彼女は「収録の時に目が腫れるのではないかと思って心配しました(笑)」と話して笑った。ウギは「ミンニ姉さんは、ショーケースの時も泣きました」と明かした。タイ出身であるミンニは3年前、歌手になるために韓国にやって来た。そのため、ショーケースで久しぶりに両親の姿を見た時には、感情が込み上げてきたため涙を流すほかなかったという。

(G)I-DLEは中国、タイ出身などの外国人メンバーがいる。短くて1年、長くて3年間韓国に滞在し、デビューの準備をしてきた。そのため韓国語の実力はかなり優れている。メンバーたちと本物の姉妹のように話しながら過ごしたおかげで、早く習得したという。ミンニは「大変な時にはメンバーたちが力になってくれました」とメンバーに感謝の気持ちを伝えた。

デビューアルバム「I AM」では、(G)I-DLEならではの個性を見せている。チョン・ソヨンは「メンバー1人1人のことを考えながらをタイトル曲を作りました」と説明した。そのおかげで、メンバーの容貌やイメージ、声がそれぞれの個性を表しつつも絶妙に調和している曲が出来上がった。これについてメンバーは「収録曲も本当に良いです」と口を揃えて称賛した。ミヨンとジュファは「特に、バラード曲の『聞いて下さい』が好きです。必ず聞いてほしいです」と強調した。

活動についてミンニは「6週間がとても早く過ぎました。最近、活動が終わったばかりなのですが、まだ実感が湧きません」と話し、チョン・ソヨンは「新しいアルバムに対する負担がないといったら嘘です。成績に対する欲より、ファンを失望させたくないという気持ちの方が大きいです。ファンには常に素敵な姿を見せなければならないと思っています。どうすればもっと良くなるか、今後もっと悩まないといけませんね」と目標も伝えた。


ミヨン「どうにか生き残っていく自信がありました」

ミヨンは今年で22才で(G)I-DLEの最年長だ。だが、年上だからといって妹たちに説教したりはしない。かえって友達のようなお姉さんに近いという。ソヨンは「ミヨン姉さんは本当に可愛いし気楽な存在です」と伝えた。自身に対する称賛に、ミヨンは「私の方がメンバーに頼っています」と恥ずかしそうに答えた。

幼い時から音楽が好きだったという彼女は、単純に歌が上手くなりたいという理由で音楽のレッスンに通った。そして中学1年生の時には、YG ENTERTAINMENTのオーディションも受けたという。3次審査で不合格となったものの、勇気を出して直接事務所を訪ね、その翌日からYGの練習生になった。

「前の事務所には5年ほどいました。デビューができなくなってしまったので事務所を出たのですが、その当時私を心配してくれる人がたくさんいました。『5年も練習したのにこれからはどうするの? 学校も行っていないし……』と。でも私は本当に大丈夫だったんです。少し休んで頭を冷やそうと思いました。そうしているうちに、今ここまでやってきました」

ミヨンは「私は小川のようだ」と話した。目標に向かって突進するというより、流れるがままに自分の身を任せたからだという。その過程でも、常に自身の信念は揺るがなかった。「『私はもうダメだ、出来ない』という考えは一度もしませんでした。私はどうにか生き残っていけるという自信があったんです」


ミンニ「メンバーのおかげで強くなりました」

ミンニは感性が豊かだ。そして涙もろい。デビューショーケースの日や初めて1位を獲得した日、最後の音楽番組の日にもミンニは涙を見せていた。歌も感性的な雰囲気のものを好んで聞くという。最近はトロイ・シヴァンの「Bloom」にハマっていると話し、韓国の曲ではペク・イェリンの「BYE BYE MY BLUE」やIUの「夜の手紙」が好きだと語った。ミンニは「時々、聞き取れない歌詞もあるのですが、それがさらにロマンチックです」と説明した。

5才の時からピアノを習ったおかげで、演奏の実力はハイレベルだ。スジンは「練習室でミンニ姉さんが一人でピアノを弾きながら、自分の世界に入っている姿を何度も見ました」と話して笑った。ミンニは「歌を聞く時は、多くの感情が生まれます。その時は歌に酔っていました(笑)」と付け加えた。音楽を聞いたりピアノを弾いて自身を慰める彼女にとって、一人でいる時間はとても重要な時間だという。

「19歳で韓国に来たのですが、その時は今よりもっと弱かったです。毎日泣いてました(笑)。言語のせいで上手く意志疎通ができないという点が最も大変でした。当時の事務所にソヨンも練習生でいたのですが、1年半の間ほとんど話さなかったです。今は韓国語も上達して、韓国生活にも慣れてきたので大丈夫です」

ミンニは一人娘であったため、韓国に行くと言った時に両親はとても辛そうにしていたという。しかし、両親はミンニの夢を応援した。ミンニもまた、両親の思いに応えるために歯をくいしばった。韓国で会ったメンバーたちは、そんなミンニの新しい家族となってくれたという。彼女は「メンバーのおかげでさらに強くなりました。そして今はメンバーのためにも、さらに強くなりたいです」と話した。


スジン「私たちだけの個性を100%は見せられていないです」

スジンは、カメラに対しても物怖じするするほどの人見知りだ。彼女は「所属事務所を通じて公開される活動ビハインド映像があるのですが、最初はビハインド映像を撮影するカメラも避けていたくらいです」と打ち明けた。だが、親しい友達にはいたずらもたくさんするという。その主な標的になるのはルームメートのシュファだ。スジンは「私がシュファをよく困らせています」と話して笑った。

(G)I-DLEとしてデビューする前、スジンはビビディバ(VIVIDIVA)というグループに少しの間、身を置いていた。その当時、彼女は18才であった。幼い年齢でデビューと解散を経験した彼女は「社会生活をたくさん学びました」と話した。

スジンは自身について「見た目は弱く見えるかもしれませんが、芯は強い方です。思ったより簡単には挫けない方です」と説明した。この話を聞いていたウギは「大変そうな状況でも辛そうな素振りを全く見せないです。本当に辛くないのか、我慢しているのか、分からないです」と付け加えた。さらに、練習生の頃は暗記力が良くなくて大変だったと告白しながらも、その当時の経験のおかげで今は振り付けを早く覚えることが出来るようになったとポジティブな一面も見せた。

「(G)I-DLEというグループを人々に知らせることができたという点、そしてその中にいる私、スジンという人を知らせることができたという点で、自分を褒めてあげたいです。でも、今回の活動に満足している訳ではありません。まだ私たちだけの個性を100%は見せられていないと思うからです。ステージには慣れたので、次の活動時にはもっと良い姿をお見せすることができそうです」


チョン・ソヨン「ありきたりなことにインスピレーションを得たくありません」

チョン・ソヨンは(G)I-DLEのリーダー兼プロデューサーだ。タイトル曲「LATATA」を作詞・作曲し「聞いてください」を除くすべての収録曲の作詞にも参加した。チョン・ソヨンは、多様なものからインスピレーションを受けるという。「LATATA」はお笑い芸人ソン・ジュングンの流行語「ラッタラッタアラッタ」から浮かんだものだと説明した。また、彼女のソロ曲「Jelly」と「(G)I-DLE song」はそれぞれ、アニメーション「Jellabies」と「スポンジ・ボブ」からインスピレーションを得たという。

「ありきたりなことからインスピレーションを得るのは好きじゃありません。超能力、お笑い番組、ドキュメンタリー、アニメーションなど色んなものがアイディアをくれます。特にアニメーション映画や小説が好きです。それらにハマると、まるで別の世界にいるような気分になります」

彼女は「私が決めた目標に忠実に従っていると、ストレスもたくさん受ける方です。だけど成し遂げよう決めたことを成し遂げられなかったことはあまりないです。目標を実現させるために全力を注ぐからです」と話した。

「愛する人のために踊る」という「LATATA」の歌詞は、チョン・ソヨンの性格とよく似ていた。自分の考えが明確で、言いたいことは我慢しないという点だ。チョン・ソヨンは歌詞を書く時に、自身の性格がよく反映される方だという。そのため彼女の歌詞を追ってみると、彼女が理想としている自我を見つけられる。「私はむやみに他人に従いません。何にせよ、対象を偏見なしで見ようとしています。他の人々には変に見えても、当事者が堂々としていればかっこよく見えます。なので、堂々としてる人には大きな魅力を感じます」


ウギ「友達がたくさんできてとても幸せです! 」

ウギのトレードマークは“ヒッピー風のヘアスタイル”だ。彼女の可愛いらしい容貌をより引き立たせ、ファンの心を鷲掴みにした。少女のような容貌を持っている一方で、その声はとてもハスキーだ。ウギは「顔と声があまりマッチしないので、以前はどちら側にコンセプトを定めればいいか、すごく紛らわしくストレスでした。でも今はギャップとして受け入れています」と話した。

ウギは誰かに出会い、友達になるのが好きだ。そのためメンバーは特に大切な存在だ。友達を超えて実の姉、さらには母親のように感じられる時もあるという。ウギは「辛い時にはいつもメンバーに頼ります。両親にも話せないことを姉さん達に打ち明けたりします。私が考えてもなかったことを、他の人が言ってくれて参考になるからです」と伝えた。

一人でいる時間が重要だと考えるミンニとは正反対の性格だ。そのためウギとミンニの間には小さな衝突もあったという。ウギは「今は私がミンニ姉さんに合わせている(笑)」と冗談も言った。

「私には友達がたくさん必要です。なので初めて韓国に来た時は、コミュニケーションがうまくできなくて大変でした。あの人と友達になりたいけど話しかけることができないということがよくありました。今は多くの人に会うことができてとても楽しいです」


シュファ「風のように自由でいる時が幸せです」

シュファの携帯電話の壁紙は、彼女が家で育てている愛犬の写真だ。シュファは小学生の時から犬を飼っており、悲しいことがある時には愛犬に悩みを打ち明けていた。シュファはいつも傍にいてくれた愛犬の存在がありがたかったという。そのため、時々夢で愛犬に会ったりもするという。

最近は野良猫を世話し始めたというシュファ。ソヨンは「シュファが夜になると『野良猫と遊んでくる』と言っておもちゃを持って出て行くんです。本当に不思議です」と話した。ミヨンは「猫のご飯は用意するのに、姉さん達のご飯は一度も用意してくれません(笑)」と話して笑った。

そんなシュファにも大変な時期があった。シュファは「練習生として過ごす時、挫折をたくさん経験しました」と伝えた。深刻なストレスでほとんど毎晩うなされていたほどだという。その頃からシュファは音楽を聞き始めた。音楽を聞くと悩みが消える気になれたという。シュファは良かった記憶だけを思い浮かべたり、これから起こる良いことを想像しながら気持ちを慰めた。

シュファは自身を表す単語について聞く質問に“風”と答えた。「私は少し……風のようです。風は自由ですよね。私も自由でいたいんです。野良猫にご飯を与えたり、一緒に遊んだりと。些細なことでも私が願うままに出来るならば、それだけで私は幸せです」

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記者 : イ・ウンホ、翻訳 : 藤本くみ子