ヨ・ジング「『代立軍 ウォリアーズ・オブ・ドーン』の撮影中は毎朝登山、ますます元気になった」

OSEN |

写真=21世紀フォックス
2005年「サッド・ムービー」で、可愛く天真爛漫な少年として注目を浴びて俳優の道に入ったヨ・ジングは、もう完全な男として、しっかりとした成人俳優として成長した。

SBS「イルジメ」から「ペク・ドンス」「根の深い木」、MBC「太陽を抱く月」、SBS「テバク」まで、幼い時代からさまざまな時代劇に出演して、安定した演技力と特有の重みのある声で好評を受けたヨ・ジングは、映画「代立軍 ウォリアーズ・オブ・ドーン」(監督:チョン・ユンチョル) を通じて、これまで時代劇での経験をすべて注ぎ込んだ。

映画「代立軍 ウォリアーズ・オブ・ドーン」は、1592年の壬辰倭乱(文禄の役の朝鮮側からの呼称) 当時、明に播遷(王が都城を離れて避難すること) した王・宣祖(ソンジョ) に代わって、臨時で朝鮮分朝を率いることになった世子(王の跡継ぎ) 光海(クァンへ) と、生存のために他人の軍役を代わりに行った代立軍が、残酷な戦争に対抗して運命を共に分かち合う物語を描いた作品で、ヨ・ジングは劇中で光海を務め、ヨ・ジングならではの新しい光海を作り出した。

ヨ・ジングは最近、ソウル三清洞(サムチョンドン) で行われたOSENとのインタビューで、作品を選択したきっかけについて「シナリオを読みながら光海に共感した。あの歳で一夜にして朝鮮を導いて行かなければならないプレッシャーや、父親に捨てられたという虚しさなど、寂しくて大変だったんじゃないかと思った。傷を1人で背負うのではなく、周りの人々によってプライドを取り戻して、身分の重さを背負わなければならないことに気づき、その分信頼が厚くなり、そうやって成長していく姿が羨ましかった。いつやってくるか分からないが、これから人生で僕も虚しさを感じるときがあると思うが、そういうときに『代立軍 ウォリアーズ・オブ・ドーン』を観れば役に立つと思った」と答えた。

光海という人物は、ドラマと映画を問わず、多くの俳優たちが演技したキャラクターだ。ヨ・ジングに先駆けて多くの先輩俳優の演技や作品が気になったはず。彼は参考にした作品があるかという質問に「僕も監督に(参考作品を) 聞いてみたりしたけれど、特に『この作品を観て』という作品が思い浮かばなかった。光海だけど世子であり、今まで自分が知っていた姿とも違ったので、どんな作品を観ればいいか悩み、参考にせず、気にせずキャラクターを作ってみようと思った。だから最初は漠然としていた。しかし、監督が僕の子役の時の演技をご覧になったのか、突然あの時の演技が気楽で良かったと言われて、初めて準備するときに、自分の幼い頃の演技を観ながら研究した」と打ち明けた。

また、彼は「あの時、先輩たちがさり気なく、今の姿を忘れないでほしいと言ってくださったが、あの時はその意味が分からなかった。今になって考えてみると、あの時は何も知らずに純粋に演技していた。今はキャラクター研究もして、個人的に欲も出ているので、演技があまりにも考えに囚われすぎているような印象もある。あのときは純粋に演技が好きでやっているのが見えたのに、戻りたいけれど、戻れないような気がして悲しかった」と付け加えた。

今回の作品を通じて、大きく成長したと明かした彼は「初めて自分から何かしようとしなかったと思う。民衆と代立軍の眼差しから光海が説明されなければならないような気がした。光海が積極的に出ていく姿が、かえって僕が考える光海の資質、一風変わったリーダーの姿とは似合わないと思った。光海という人物が水面に浮上して、特にリードするわけではないけれど、小さいことが周りの人々に余韻を与えられると思って、初めてほぼリアクション中心に考えたと思う。むしろ、もっとぶつかってみようと思って、現場で演技する場合が多かった」と説明した。

「代立軍 ウォリアーズ・オブ・ドーン」はリアルな映像のために、実際に全国を周りながら山と野原で撮影を行った。俳優とスタッフには厳しい日々の連続だった。「序盤は山と野原を歩き回るシーンの撮影が大変だった。一日中歩くシーンだけ撮影した。1つのシーンをさまざまな場所で撮影する場合も多かった。僕たちよりスタッフの方々がもっと苦労した。装備を本当に背負子の上に乗せて担いで移動した。今までは撮影現場が準備されていたことが多かったが、今回は本当に山に行って手配した場所でも撮影してみて、新しい場所でも撮影してみて、さまざまなものを撮影してみたと思う」

また「代立軍 ウォリアーズ・オブ・ドーン」を、一番大変だった作品として挙げたヨ・ジングは「精神的には、妙に一番(役に) 入りやすかった。覇気を持って現場に向かって、先輩たちの感情を受けて演技しようと思って、少しリラックスして撮影に臨んだ。だから今回は雑念がわかなかった。肉体的な部分は当然最高だったと思う。毎朝登山をするので、本当に撮影しながらますます元気になる気分だった」と打ち明けた。

記者 : チ・ミンギョン