パク・チャヌク監督が語る同性愛、パルム・ドールそして活タコ

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パク・チャヌクはパク・チャヌクだった。問題作が一本くらいは出るくるはずのカンヌ国際映画祭であるが、今年は不思議にも静かだった。フェスティバルが中盤に向かっていたインタビュー当時、好評と酷評を同時に受けたパク・チャヌク監督の「お嬢さん」が平穏だったカンヌ国際映画祭を熱く沸かせていた。

映画「お嬢さん」は、1930年代の韓国と日本を舞台に莫大な財産を相続したお嬢さんをめぐる4人の男女の互いを騙し騙されるストーリーを描いた作品だ。「ストーカー」でハリウッドの映画制作システムを厳しく(?) 経験したパク・チャヌク監督の7年ぶりの韓国映画復帰作だ。

同性同士のベッドシーン、サディステッィクな性行為、身体の切断……パク・チャヌクの映画を構成するDNAの中で欠かせない“破格”は今回も変わりなかった。しかし、「細やかな面白みが多い映画」という監督の言葉通りに、映画の随所に隠されているブラックコメディを探してみるのも「お嬢さん」を楽しむもう一つの面白みである。明快なハッピーエンドも既存のパク・チャヌク監督の映画とは異なる点である。

「戦争映画に戦争のシーンが登場するのと同じく、同性愛者の愛を描いたので同性同士のベッドシーンがもちろん必要だった」というパク・チャヌク監督の説明通りに、「お嬢さん」の同性同士のベッドシーンは確かに「あっ」と驚くほど破格的だ。しかし、熱い官能に全身を投げた俳優たちの熱演に、同性または異性という基準は無意味になった。

「オールド・ボーイ」で審査員特別グランプリを、「渇き」で審査員賞を受賞したパク・チャヌク監督だ。今回も何も手にしないまま帰ることはないという期待が大きかった。映画に対する現地の反応は激しく分かれているが、これは「オールド・ボーイ」「渇き」の時も同じであった。“カンヌ・パク”ことパク・チャヌク監督に受賞を期待しているかと慎重に質問した。

「いいえ、その“カンヌ・パク”というのはリュ・スンワンさんが初めて言ったのですが、恥ずかしいです、本当に(一同爆笑) 受賞は全く期待していません。冗談ではなく、本気です。カンヌ国際映画祭が賞を与えるにはあまりにも商業映画を前に掲げています。コンペティション部門への進出も意外でした。まずは18日に旅行に行きます。僕も少し休まないと。もし(閉幕式に) 呼ばれたらまた来ます(笑)」

■以下はパク・チャヌク監督との一問一答

―ついにプレス上映、公式上映まで終わった。大きな山を一つ越えたが、どんな気分か。

パク・チャヌク:技術の発展で、音、CG、色などとても細かいもの一つまでできることが多くなった。あまりにも微細で観客のほとんどは気付かないものだが、少しだけ時間をかけると修正できるものなので、知らないふりをして見過ごすことはできなかった。出国直前まで直して、また直した。それでも僕の目にはまだ欠陥が見える。

―原作として「荊の城(Fingersmith)」を選んだ理由が気になる。

パク・チャヌク:「荊の城」を読んでいなかったら知らなかっただろうけど、読んだら誰でも映画にしたいと思ったはずだ。1部のどんでん返しが終わった時に、本当に衝撃的だった。自分がすべてを主導して相手を騙していて、自らとてもスマートだと思っていたのに、実はそうでなかったということではないか。人生も同じだ。威張っても実はそうでない場合が多い。ここに、愛すればするほど悲惨になるストーリーがとても絶妙だと思った。

―二人の女性の愛を視覚的に描写するのが鍵であったと思う。

パク・チャヌク:「オールド・ボーイ」の情事シーンも同じだったが、脚色の過程から「強気で行こう」「魅力的に撮ろう」と思うのは重要ではない。例えば、戦争映画に戦争のシーンが必ず登場するのと同じく、同性愛者が主人公であるなら同性愛のシーンが必要ではないか。これまでは検閲や様々な理由で同性愛を描くことができなかったが、今はできるので。できるのならやらないと。

―男性の演出者として、女性同士の同性愛を描くことにおいて悩みが多かったと思う。ややもすれば男性がレズビアンの情事に持っているファンタジーが映画に盛り込まれるかもしれないので。

パク・チャヌク:そうだ。実は、悩んでいたが止めた。悩んだからと言って、悩みがなくなるわけではないので。もちろん、男性の立場から女性の同性愛をエロチックに描くのは絶対に避けようとした。言い換えれば、男性からの窃視的な視線は避けた。

―当初のシナリオではキム・テリがしていた男装を、キム・ミニがすることに変えた。特別な理由があったか。

パク・チャヌク:テリに男装をさせたら、本当に面白くしか見えなかった。子供みたいだった、子供。テリは年齢に比べて童顔である上に、髭まで付けたら学芸会のようだった。爆笑されると思った。また、一般的に同性のカップルがいると一人が男性役でもう一人が女性役という話があるが、そのような固定観念を乗り越えたかった。ある瞬間にはヒデコ(キム・ミニ) が主導しているようで、またある瞬間にはスクヒ(キム・テリ) が能動的にリードしたりもする。性(役割) に対する固定観念に混乱を与えたかった。

―「オールド・ボーイ」では活テナガダコだったが、今回は活タコだ。

パク・チャヌク:意図してはいない。そんな共通点があるというのをカンヌ国際映画祭に来て知った。西洋の観客たちは、タコとテナガダコをディテールに区分できなかった。自ら自身の作品の中で有名なシーンを使ったわけでは絶対にない。僕の想像力の中で、最も悍ましく鳥肌が立つほど想像すらしたくない題材とは何かと悩んで、タコを思い出しただけだ。

―女優を抜擢する目が特別だ。キム・テリも普通の女優ではなかった。

パク・チャヌク:胸が一杯で、誇らしい。テリが誇らしいというよりはテリを見つけた僕自身が誇らしい(一同爆笑) 冗談だ。他の監督がテリを見たとしても一気に選んだと思えるほど印象的だった。

―どのような点がそこまで印象的だったか。

パク・チャヌク:まずは、いじけることがない。テリは心の中ではとても緊張していたと言ったが、表的には全然そう見えなかった。とりあえず「はい、はい」と答えるのではなく、初対面の時から自分の考えをはっきり伝えていた。実は、今振り返るとこういう色々な理由のためだと説明をしているが、その時はただ直感的にキャスティングした。

―いつの間にか愛称が“カンヌ・パク”になった。受賞に関する関心が高いが、プレッシャーを感じないか。

パク・チャヌク:ああ、カンヌ・パクはリュ・スンワンが始めたものだが、本当に恥ずかしい(笑) 受賞は全然期待していない。冗談ではなく、本気だ。映画祭が賞をあげるにはあまりにも商業的な映画だと思う。コンペティション部門に招待したのもとても意外だった。

―カンヌにはいつまでいるか。

パク・チャヌク:まずは18日に旅行に行く。僕も少し休まないと。

―「渇き」の時も、旅行中に受賞のニュースを聞いて急いで戻ってきた。

パク・チャヌク:ハハハ。そうだ。今回も戻れということなら戻る(笑)

記者 : キム・スジョン、写真 : キム・ジェチャン