チョン・ウソン「苦しい恋も恋なんです」

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もし韓国を代表する美男を選ぶ大会があったら、決勝戦まで無難に進出する人は断然チョン・ウソンだろう。男女問わずみんなから好感を持たれる彼の顔は、創造主が“スペシャルエディション”で作り出した欲望の絵のようだ。過度にハンサムな顔は俳優チョン・ウソンが乗り越えなければならないハードルでもあった。かつてチョン・ウソンは商業映画で自分のハンサムな顔をわざと崩す方法で大衆の先入観を壊そうとした。スマートなスーツではなく田舎臭い花柄のシャツを着て、お金持ちの息子ではなくどん底に落ちたアウトサイダーを演じた。「トンケの蒼い空」は美貌が致命的な毒になる恐れを知っている人の選択だった。

一方、映画「私を忘れないで」は大衆が望むチョン・ウソンの甘い姿を正確に取り出した恋愛映画だ。だが、実はこの作品は、大衆の欲望よりもチョン・ウソンの切実さがより強く投影された映画かもしれない。「私を忘れないで」はチョン・ウソンが設立した映画会社「W FACTORY」の1作目だ。後輩であるイ・ユンジョン監督が書いたシナリオの独特な雰囲気に魅了されたチョン・ウソンは、投資者が見つからず漂流していたこの作品のために制作会社を設立し、後輩にチャンスの手を差し伸べた。制作者チョン・ウソンとスタートラインで会った。

―「私を忘れないで」は「グッド・バッド・ウィアード」のスクリプターだったイ・ユンジョン監督が2010年に発表した同名の短編小説から出発した映画です。監督がチョン・ウソンさんを念頭に置いて書いたシナリオで、だから男性主人公の名前がWだったと聞きました(笑) 自身のファンだった監督と一緒に行う撮影は普段とは少し違う点があったと思います。

チョン・ウソン:監督が「カット」の代わりに、「キャー!」と叫ぶことが時々ありました(一同笑) でも、撮影現場には私的な感情が介入されてはいけないから、新人監督に接する先輩のように臨みました。厳しい制作者でした。たぶんイ・ユンジョン監督にとっては撮影現場がとても大変だったと思います。大変な時間をよく耐えたと言ってあげたいです。

―制作者としても参加した作品です。過去、短編映画「キラーの前の老人」「3生/Three Charmed Lives」を通じて演出を経験しました。演出者、役者、制作者、それぞれの立場で映画という媒体は違うように感じますか?

チョン・ウソン:違います。それぞれの任務が明確に違うからです。俳優は感情の表出を通じて役の人格を作っていきます。監督は全体的な世界観を確立し、俳優と観客がコミュニケーションできる言語を選びます。俳優と監督は感性的な部分では一致する部分があります。一方、感性の作業者たちを理性的に制御する役割を果たさなければならないのが制作者です。


「“メロやくざ”というニックネームがあるなんて知りませんでした」

―それでは、演出をしながら演技をすることと制作をしながら演技をすることには大きな差はありますか? 俳優と監督の役割は感性的な側面で相乗効果の可能性がありますが、俳優と制作者の役割はその中で衝突が起こることもあるからです。

チョン・ウソン:ぶつかる恐れがあります。感情の衝突が起こることがあります。僕は俳優だから、より特別な制作者の経験をした感じがします。制作者の中で撮影現場に常駐したり、頻繁に来たりする方は珍しいです。でも、個人的に制作者は撮影現場を頻繁に訪れるべきだと思います。撮影現場で発生する問題点を正しく直してサポートすることが制作者の役割だからです。僕は俳優でもあるから撮影現場にずっといました。だから以前、撮影現場で感じた問題点をより確実に把握する機会になりました。

―俳優の立場では、制作者が撮影現場に頻繁に来ることは演技の邪魔になりませんか?

チョン・ウソン:いいえ。邪魔になる制作者は制作者としての資格がないと思います。

―明快ですね。「私を忘れないで」は大衆が望むチョン・ウソンの姿を正確に取り出した作業である気がします。チョン・ウソンだけの恋愛映画を待っていた観客がたくさんいたからです。

チョン・ウソン:実は、チョン・ウソンだけの恋愛映画がどんなものなのか僕はよく分かりません(笑) “メロやくざ”というニックネームが僕にあることも今回、インタビューをしながら知りました。「観客が僕のこんな姿を待っていたんだ」と気づいているところです。

―知らなかったんですか? やっと知ったんですね(笑)

チョン・ウソン:そうなんです(笑) 大衆が俳優チョン・ウソンに望むイメージにこだわっていなかったから、それを守るマネージングができていなかった気がします。今回の映画に観客が寄せてくれる関心を見ながら「ファンが望むものを守ってあげるべきだ」と考えています。

―「監視者たち」で久しぶりにスクリーンにカムバックした当時も「もう大衆が望む姿をたくさん見せるつもりだ」と話した気がしますが。

チョン・ウソン:その時は大衆が男性俳優に望むものはアクションだと考えました。それで「監視者たち」に出演し、「神の一手」を選びました。「私を忘れないで」は俳優として観客にある姿を見せたいという目的性よりも、違う意味で企画した作品です。それなのに、観客の期待と絶妙に一致するようになったケースです。本当に幸いです。


「忘れたい記憶? 一つもありません」

―恋は誰もが知っている感情です。だから、むしろ表現が難しい部分もあると思います。騙すことができないからです。

チョン・ウソン:恋という感情はとても妙な部分があります。恋をしている人もたまに「ああ、恋したい!」と言うじゃないですか。単語が与える妙なファンタジーがあると思います。俳優も人間だからそんな感情に対するファンタジーがあります。だから、その感情に忠実にすればいいと思います。

―記憶を失った人物を演じながら混乱する部分はありませんでしたか?

チョン・ウソン:ソグォン(チョン・ウソン)はむしろ気楽でした。ソグォンは無意識的に現実から目をそむける人物です。自分の記憶が蘇ることを恐れる人物です。そんなソグォンを見つめるジニョン(キム・ハヌル)こそ大変だったと思います。複雑な感情をキム・ハヌルさんがとても上手く演じてくれました。

―人は本能的に悪い記憶を忘れたがります。

チョン・ウソン:強い自己防御機制を持っているからです。

―チョン・ウソンさんにも個人的に忘れたい記憶はありますか?

チョン・ウソン:(きっぱりと)ありません。

―かなりしっかりした口調ですね。

チョン・ウソン:すべてが大切だからです。

―辛い記憶もですか?

チョン・ウソン:はい。僕は幼い頃、貧しかったんです。お金がありませんでした。ある日、バス停留場で「何を食べようか? どこに行けばいいんだろう?」と迷っていたら、秋の風に乗って街の匂いが鼻まで届きました。その時のその匂いを大切に記憶しています。恋と関わった記憶の場合、多くの人は勝手に編集して良い思い出だけ記憶しようとする傾向があります。胸痛む恋は恋ではないと拒否します。自己防衛によることですが、苦しい恋も恋なんです。その瞬間は真実で切実だったはずです。相手が自分の気持ちを分かってくれなくて胸が苦しかったかもしれないし、自分が持っている恋のファンタジーと違う現実的な恋に辛かったかもしれませんが、その瞬間の感情は真実だったはずです。そんな記憶をすべて受け入れて記憶することが一人の人生の完成だと思います。


「貧しかったからといって不幸だったわけではありません」

―バス停留場で街の匂いを嗅いだという話は、感受性豊かな青年を想像させます。

チョン・ウソン:多くのことを感じようとした時代です。僕は人より早く世の中に飛び出してきました。幼い頃に世の中を観察して、僕という存在を確立しなければならなかったのですべてのものに敏感だった気がします。

―記憶には嗅覚、触覚、視覚など様々な感覚が動員されますが、どんな感覚に強いですか?

チョン・ウソン:えーと、当時の共感など感情的な記憶です。視覚や嗅覚的な記憶力がかなり良い方ではあります。でも、最近は街の匂いがなくなった気がします。もちろん、僕が街を歩く機会があまりなくなったから、自ら失った部分もあると思います。職業的な特性によって喪失したものがかなりあります。

―先ほど、辛い記憶も大切だと話しましたが、貧しかった時代はチョン・ウソンさんにとってどんな記憶に残っていますか?

チョン・ウソン:しかし、それは貧しかった記憶で、不幸な記憶ではありません。成長する時に貧しかったからといって不幸だったわけではないからです。お金持ちの家で育っても不幸な人はたくさんいます。それから、その時は世の中に対する漠然とした憧れがありました。それがその時代の僕を動かす力でした。

―漠然と憧れていた世界を経験してみてどうですか?

チョン・ウソン:俳優という職業は現実と断絶された面があります。先ほど話したように、街の匂いを嗅ぐ機会も多く失いました。俳優として長い時間を過ごして経験を積み上げながら、この業界に対する考えと価値観は成長したと思います。でも、世の中のことはまだよく分かりません。世の中は今も僕にとって不思議です。

―もしかしたら世の中との距離がより離れているかもしれませんね。

チョン・ウソン:はい。なぜなら「ビート」が終わって“青春のアイコン”と言われるようになりました。でも、実際の僕には青春という時代がなかったんです。一般化されている青春の時代を経験できませんでした。学生時代もなく、大学に通いながら恋愛をしたこともありません。


「夢だけでこの業界に飛び込びました…無一文で」

―そのような人生についてどう思いますか?

チョン・ウソン:胸が痛みます。日常では豊かな感情とたくさんの人間関係が存在します。そのようなことから孤立されたわけだから……ある面では残念です。

―寂しい時はどうしますか?

チョン・ウソン:ええと、お酒かな?(笑) 映画館で映画を鑑賞するのが好きです。その瞬間だけは芸能人ではなく一般人に戻れます。僕は今でも映画を観る時は徹底的に観客になります。僕の映画を観る時は違うけれど、他の俳優の映画を観る時は観客になり、映画に没頭します。そうしていると、また演技への夢が強くなります。

―後輩のイ・ユンジョン監督が書いたシナリオが投資家を探せずにいて、自ら映画制作に乗り出したと聞きました。

チョン・ウソン:それがイ・ユンジョン監督だったからやったわけではありません。後輩たちが先輩から感じる漠然さと自信のない姿を見た時、僕の方から先に手を差し伸べたかったんです。ちょうどそんな時にイ・ユンジョンという後輩が「私を忘れないで」のシナリオを持って僕のところに来たので、この作品が映画として制作されたのです。格別な親交のある人への義理と友情で制作したのではありません。業界の先輩として後輩にチャンスを与えたかったからできた映画です。

―誰かの力になりたいという考えを実践にまで移すのは難しいことです。

チョン・ウソン:20代の時は社会体制や現実に対する不満を話し、30代の時はある程度傍観してもいい年だと思います。でも、40代は人生の先輩だから、先輩は不満を言ってはいけません。既にその時間を経験したので、不満があったら、それを変えようと行動しなければなりません。こんなことを考えました。「いつの間にか僕が大人になった。若い時の僕は社会への不満を言っていたが、今の僕の年齢には何をすればいいのだろう?」と、結局実践でした。先輩として間違っていることを正しく変えていく行動を見せる時だと思いました。

―興味深い話です。デビュー当時からチョン・ウソンさんは多くの監督や制作者たちが一緒に仕事したいと思う俳優でした。何か問題があって挫折を経験した俳優ではありません。もし、大変な20~30代を経験した俳優が後輩のために手を差し伸べたら「本人も辛かったので、後輩たちの力になっているんだな」と思いますが、今までずっとトップの座を守り続けた俳優だからもっと興味深いです。

チョン・ウソン:そうですね。僕も興味深いです(笑) 僕って夢だけでこの業界に飛び込んだ人なんです。無一文で。その夢で叶えたことがたくさんあるから、今は他人に施す時が来たのです。人生の中で夢はとても重要なものだと思います。だから、夢を早く諦める後輩を見ると残念に思えて。そのような後輩を引っ張っていくのは先輩の役目だと思います。それが世代間の疎通だと思います。それができなかったら、断絶なんです。


「年齢を重ねるたびにいい大人になる人がカッコいい」

―そのような先輩がチョン・ウソンさんにもいましたか? それとも無かったからより気を使っているのですか?

チョン・ウソン:いなかったから未練があったのかも(笑) 実は韓国の映画界にはそのような余裕がありません。今は観客2億人時代と言われていますが、観客動員数1千万人を突破した制作者はそれほどいません。1千万人突破の映画が完成するまで皆が苦労すると思います。1千万人を超えて大きな収益が出ても、突然のことで少し時間がかかると思います。そのような面で少し余裕がある僕のような人が率先垂範しなけれならないと思いました。

―どう受け止めるか分かりませんが、成功した人だけが考えることだと思います。

チョン・ウソン:僕がもっと大きな夢を抱いているからでもあります。映画業界がしっかりしていてこそ俳優として僕の本務も安定しますから。

―お話を聞いていたら、“正しい大人になろう”と無意識に考えてきたのでは?

チョン・ウソン:そうです。年齢を重ねるたびにいい大人になる人がカッコいいと思います。ルックスだけが全てではありません。

―最後の質問です。恋とは何だと思いますか?

チョン・ウソン:恋ですか? 恋はファンタジーです。輝くファンタジーが私たちの人生の中で毎日起きているけど、いざ自分のことになると気づかないのです。他人の恋話には「ええ、本当? そんな風に出会ったんだ」を驚きながらも自分のことになるとそう受け止めないのです。日常で起きている恋のファンタジーに気づき、感じてほしいです。

記者 : チョン・シウ、写真 : ク・ヘジョン、翻訳 : ナ・ウンジョン、チェ・ユンジョン