「ラスト」イ・ボムス“演技こそが人間を探求できる最高の学問”

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イ・ボムスは最初からスターになることを望んでいなかった。エキストラでも構わないと思った。ただ演技ができる機会さえあれば、どんなキャラクターでも良かった。彼は「小さなキャラクターはないが、待遇を受けるキャラクターはある」という考えで演技への情熱を燃やした。自分が実現できる些細な目標を一つずつ達成して前進した。その結果、イ・ボムスは新人の時に想像したことのない大きな舞台に上がり、彼の演技に熱狂するファンも多くなった。ここ25年間、熱く努力した結果だった。

イ・ボムスは韓国で先月12日、放送終了した総合編成チャンネルJTBC「ラスト」でソウル駅の地下経済を牛耳るクァク・フンサム役に扮して熱演を繰り広げた。彼が「ラスト」で見せてくれたクァク・フンサムという悪役は、映画「チャクペ~相棒~」「神の一手」で見せてくれた姿と違った。イ・ボンスは自分の演技に“キャラクターの歴史”が滲み出ることを望んだ。自分が演じるキャラクターが育った環境、経験、考えがイ・ボムスを通じて表現されることを望んだ。そうやってイ・ボンスはソウル駅のどん底からボスの地位まで上がってきたクァク・フンサムのカリスマ性、勝負欲、卑劣さ、分からない本音などを細やかに描き出した。

カメラの前では名演技を披露する俳優だが、インタビューでのイ・ボムスは質問に答える前に毎回しばらく考える時間を持った。演技に対する自分の考えがもう少し正確に伝わることを望む姿だった。イ・ボムスは「一冊の良い本が人の人生を変えることができるように良いドラマ、良い演技もある視聴者の人生を変えることができると信じている」と話した。それで彼はドラマの制作環境に関する苦言も躊躇しなかった。それは自分を含む俳優たちが良い演技を披露できるようにするためだ。デビュー25年目の俳優イ・ボムスの演技への情熱と愛情は依然として熱かった。

―「ラスト」の原作となるウェブ漫画をわざと見ていないと聞いた。もうドラマも終わったから、原作を見てもいいと思う(笑)

イ・ボムス:近いうちに見るつもりだ。もともと漫画が好きだ。「ラスト」もとても有名なウェブ漫画だと聞いたから、余裕を持って見るつもりだ。

―クァク・フンサム役を準備するためにどんな努力をしたのか?

イ・ボムス:MBC「Dr.JIN」の時は興宣大院君(フンソンデウォングン)を勉強するために様々な本をたくさん読んだ。そして、SBS「外科医ポン・ダルヒ」の時は外科医のキャラクターに扮するために直接病院に行って医師は仕事をどうやっているのか観察した。でも、「ラスト」はそうする必要がなかった。もしクァク・フンサムが小汚いホームレスだったらホームレスに会いにソウル駅に行くべきだが、彼はソウル駅の地下経済を牛耳るナンバーワンじゃないか。殺人鬼役を演じる俳優が殺人は体験できないように、ソウル駅の地下世界のナンバーワンを体験する方法はないからそれなりの想像力を発揮した。監督と脚本家も多くの部分を脚色しているからあえて原作を見る必要はないとおっしゃってくれた。

―イ・ボムスの想像力が作り出したクァク・フンサムはどんな人物なのか?

イ・ボムス:クァク・フンサムは親の死で孤児になって、幼い時にどん底に落ちた。そこから粘り強く上に上がり続けて、結局はソウル駅のトップを手に入れた人物だ。その過程でどれほど多くの汚い喧嘩があったかなと想像してみた。クァク・フンサムの行動に彼の歴史を盛り込みたかった。たぶんクァク・フンサムは絶対に勝って生き残るという考えで頭がいっぱいだった人物だから、卑怯で汚いこともたくさんやらかして、とても小さな喧嘩もたくさんしただろうと思った。そんな彼の歴史が感じられるように、台詞を言う時もできるだけ本音が分からない人に表現しようと努力した。

―映画「チャクペ~相棒~」「神の一手」などでも印象深い悪役を演じた。だが、クァク・フンサムは彼らとはまた違う感じの悪役だ。

イ・ボムス:「神の一手」のサルスは個人プレーが上手で静かな殺し屋として育てられた人物だが、クァク・フンサムは泥で転がりながらどん底から上に上がってその世界の経験が豊富な人物だ。また、厚かましい。このようにキャラクターが生きてきた歴史が違うのに、俳優としてそれを人々に見せずに「サルスと同じだ」と言われてはいけないと思う。

―「ラスト」のクァク・フンサムを象徴する台詞があると思うのか?

イ・ボムス:クァク・フンサムが第1話で初めて登場する時、クラブでむちゃくちゃな喧嘩をする中間のボスたちに「紳士的に生きよう」とせきたてるシーンがある。だが、これは自分を含めて紳士的に生きていない人々に言う台詞だ。自分たちが紳士的ではないということも、紳士的になれないということも知っていながら彼はこう言う。だから、この台詞がクァク・フンサムが持った二重性をそのまま見せてくれる台詞である気がする。

―個人的に最も記憶に残る台詞があるのか?

イ・ボムス:最終回で「後悔することはないのか?」というチャン・テホの質問に「後悔はない。ただ俺ができなかったことが残念であるだけだ」と答える台詞が記憶に残る。

―正統派アクションドラマなのに、クァク・フンサムのアクションシーンはドラマの中盤が過ぎてから出てきた。体がむずむずしなかったのか?

イ・ボムス:「ラスト」は男たちのタフな世界を扱っているから、ドラマが始まる前からアクションシーンを覚悟していた。それなのに、ドラマの序盤はアクションを披露する機会がなくて少し残念だった。だが、スタッフたちから「序列1位が早くから喧嘩するつもりなのか?」「後半から喧嘩するから待って」と言われた。それで、より楽しみになった。どんなにかっこよく出るだろうと気になった。

―第7話のペントハウスのアクションシーンは映画だと言っても過言でないほどかっこよかったシーンだ。そのシーンでディテールな部分を生かすためにたくさん気を使ったと聞いた。

イ・ボムス:そのシーンを撮影する前に俳優やスタッフの全員が集まって会議を行った。そこで、クァク・フンサムが喧嘩が一番強いから一番怪我が少ないはずだという意見が出た。でも、僕は「違う」と反論した。チョン社長(イ・ドギョン)の一堂はクァク・フンサムだけを殺しに来たわけだから、クァク・フンサムが一番たくさん殴られるはずだと答えた。それで、毛細血管が破裂したように目に色素を入れて、血ももっとたくさんつけた方がいいと言った。その話を聞いて演出部は少し驚いた表情を見せた。僕が身を入れないと思ったようだ(笑)

―制作発表会や記者懇談会で総合編成チャンネルの制作システムを褒めた。

イ・ボムス:「ラスト」のように新しいジャンルのドラマを制作したり、一度の撮影に3台のカメラを同時に回すなど大胆に投資する一連の試みがいいと思った。一方、地上波の一部のドラマ関係者には残念に思ったことがある。もちろん、地上波だから多くの理由で「ラスト」のようなドラマには投資できないのかもしれない。それは十分理解している。だが、地上波に対するプライドや自信があるんだったら、それだけ大人っぽく行動すべきだと思う。より良いドラマを制作するための環境を作ろうとする人々を褒めることはできず、総合編成チャンネルやケーブルチャンネルのドラマだからといって批判する人々がいると聞いたが、そんな偏見はなくなってほしい。

―事前制作システムが定着しなければならないとも話した。事前制作が多くなるべきだと主張する理由について詳しく聞きたい。

イ・ボムス:僕はドラマの制作環境が発展してほしい。そのためには、ドラマを作る人がより堂々としなければならないとも思う。チョク台本(撮影直前に台本を渡されること)、マクチャンドラマ(非現実的で、ありえない設定のドラマ)が良くないということは誰もが知っている。でも、そんなことが出るしかない理由は準備期間が短いからだという。本当に話にならない理由だと思う。ただ事前に完成品を作っておく自信がないだけだ。「視聴者の意見を反映するためだ」という理由も聞いたが、それもおかしい。例えば、台本を第4話まで書いて、第5話からは視聴者の意見を反映したとすれば、すべてのドラマの視聴率は100%が出なければならない。前向きな表現では反映といえるが、自分がもともと描こうとした物語に視聴者の意見を反映したら、果たしてそれを自分の作品だと言えるだろうか? 意見を参考にすることと意見に左右されることは質的に違うと思う。映画界を見てほしい。シナリオ作家は観客の意見を反映しなくても1千万人の観客を動員する。これは習慣だ。この習慣を直さなければならない。

―「ラスト」で共演した同僚の中で印象深かった俳優がいるとしたら?

イ・ボムス:カマキリ役のキム・ヒョンギュだ。彼は僕たちが冗談でリアクションだけでも軽く100個以上超えると言ったことがある(笑) カマキリは台詞なしで表情と眼差しだけで表現しなければならない役だった。台詞という装置がないので、感情を伝えるのが簡単ではなかったと思うが見事だった。台詞がある部分では大胆に演技をするので良かった。撮影現場で集中力も高く、期待される俳優だ。

―とても多様なキャラクターを演じている。主にコメディ演技をしていたが、一時期ロマンスドラマに出演し、最近は悪役を頻繁に演じている。次はどんなキャラクターを演じたいのか?

イ・ボムス:コメディ演技が見たいとファンからよく言われているし、切ない愛を描いたドラマが見たいという方も多い。もっと歳を取る前に切ない愛のドラマにも出演してみたいが、実はその時その時に魅かれる作品がある時に決めるので、次にどんな姿をお見せするのかは自分でも分からない(笑)

―優しい役と悪役、どの役を演じてもまったく違和感がないまさに“信じて見られる俳優”だ。イ・ボムスだけのノウハウがあるのか?

イ・ボムス:以前から俳優は固定されたイメージがあるのではなく、与えられた人物によって扮する職業だと思ってきた。この間、俳優イ・シオンが色んなキャラクターを見事に演じているから僕をロールモデルだと言っていた。褒めてくれてありがたい。

―エンターテインメント事業にも飛び込み、所属事務所で後輩役者を養成している。所属事務所の名前であるテスピスはどんな意味を持っているのか?

イ・ボムス:文献に記録された最初の俳優の名前がテスピスだ。演技を専攻として勉強していた学生時代から印象的だと思っていた人物だ。色んな俳優たちが集まったテスピスエンターテインメントがどこに根を下ろし、どこへ向かうべきなのかを見せたかった。

―エンターテインメント事業に飛び込んだ特別な理由があるとしたら?

イ・ボムス:僕は俳優だが、「俳優になるためにはどうすればいいですか?」と質問されると当惑する。“俳優”という職業が専門分野であり、特殊な分野だが、俳優になろうとする人々を導いてくれるガイドがないので、とても残念なことだ。僕も演劇映画科を卒業したが、よく分からなかった。全国に76個の演劇映画関連の学科があるが、その学科を卒業するからといって俳優になれるという保障はない。以前、演劇映画科に在学中の学生たちが休学をして演技アカデミーに通っていると聞いた時は本当に悲しくて腹が立った。そのような後輩のためにどこかでは俳優を責任感を持って養成し、現場に登用できるシステムを整えた会社を作りたいという目標ができた。必ず叶えたい。

―ちゃんとした俳優の所属事務所を作りたいという心が伝わる。

イ・ボムス:役者になれる場合の数は多いが、高いところへ上がる確率は希薄だ。定道がないからだ。以前は放送局で公採という新人の登竜門があり、ドラマや映画で新人たちが経験を積み重ね、より成長した俳優になれる制度があったが、今はもうない。アルバム企画会社で練習生を養成するように俳優たちにもそのようなシステムを構築した会社が必要だと思う。思い切って挑戦したい。

―俳優になってもう25年目だ。俳優で生きながら感じたことは?

イ・ボムス:演技を好きになった理由は演技こそが人間を探求できる最高の学問だったからだ。演技には人間の欲望と夢、喜怒哀楽、そして栄枯盛衰などが盛り込まれている。僕はそれに対してとても興味があるので、演技に対する態度が自然に真面目になる。素晴らしい文学の本が一人の人生を変えるように素晴らしい映画が、また素晴らしい台詞一言とある俳優の見事な演技が、それを見る人の人生を変えることができると思う。そのような部分でプライドを感じ、今まで俳優活生活ができたようだ。

―「ラスト」でグァク・フンサムは、ソウル駅の屋上に上がり、自分の事業が繁盛する想像をした。俳優イ・ボムスはどんな未来を描いているのか知りたい。

イ・ボムス:最近始めたエンターテインメント事業が初心を忘れずに上手く行ってほしい。僕が無名の時に演技への渇きが激しかったので、どうやって俳優になるのか分からない後輩たちに俳優になれる土台を作ってあげたい。素晴らしい俳優たちを僕の会社を通じて輩出するのが僕の描く青写真だ。もちろん、僕も俳優としてより成長した姿をお見せしたい。まだ早いが、映画製作や演出、そして投資など、その方向に事業が大きくなる可能性もある。どんな選択をしようと一生懸命に臨みたい。僕の今後の歩みが自分でも知りたいし、期待している。とても面白そうだ。

―今後、自分がどんな演技をするのか期待しているようだ。40代を超え、50代、60代になったら演じる役が変わるからなのか?

イ・ボムス:今になってやっと演技とは何なのか知ることができた。例えば、今までは波が来ると、その波に倒れないためにサーフィンボードの上でバランスを取ることに集中した。今は先に波を楽しむようになった。経験が重なり年輪が積もったからだと思う。やっと波に乗る楽しさが分かったので、もう少し乗ってみないと(笑) 新しいキャラクターや、新しいジャンルになるかもしれないが、常に新たな姿をファンに見せるために悩むだろう。「次にどんな姿を見せればいいのだろう」と心配する瞬間が来ないように。

記者 : ユン・ピルジュン、写真 : ク・ヘジョン、翻訳 : ナ・ウンジョン、チェ・ユンジョン