ユ・アイン「誰よりも強くなってこそ、誰よりも弱い僕を乗り越えることができる」

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ユ・アインはインタビュー中だけでなく、インタビューが終わった後も記者を緊張させる俳優だ。彼が話した“率直でリアルな言葉”は、記者の解釈によって完全に異なって解釈されたり、歪曲されて伝わる可能性があるため、インタビューの記事を書く時、より敏感になって気を遣うようになる。何よりも話した人のニュアンスや雰囲気が排除された“文章”というものが、どれほど多くの誤解を生むか、人々はとてもよく知っている。彼と交わした興味深い会話が歪曲されないように、インタビューの録音ファイルを何度も巻き戻して記事を書き、そうしながら再び感嘆した。“率直さ”というものが鋭いブーメランになって返ってくることもあるショービジネス世界で、こんなにも自分の信念と見解を躊躇せずに表わす、つまり所有している俳優に会うということは、どれほど幸運だろうという感嘆だった。

―「ベテラン」は「完全に新しいユ・アインを見せてやる」という心構えで臨んだ作品のように見えた。

ユ・アイン:ハハ。そんな悲壮な覚悟はなかった。えーと、「こんなキャラクターは少し新しいだろう?」というくらいだった。

―チョ・テオ(ユ・アイン)は典型的とも言える悪役なのに、“新しい”とはどんな意味なのか?

ユ・アイン:悪人と言ったら頭に浮かぶ典型的なイメージがあるのは事実だ。それを僕のスタイルでアレンジして、新鮮に作り出したら面白そうだと思った。典型的なキャラクターなので、むしろ解釈の余地がある感じだった。「ワンドゥギ」(2011年)や「カンチョリ」(2013年)でのキャラクターは、ただユ・アインの固定化された顔だった。あ、実際の僕とは違うが(笑) 善良で、素朴だった。とにかく以前の映画での自分の姿が、貧しくて小汚い姿だったとしたら、チョ・テオは輝いて、悪行を犯して、たばこを吸って、外車を運転する。そんなものを真似するのではなく、僕のスタイルで表現したかった。結局、ジャンルものに移ってきたことだが、ジャンルものに挑戦するまで長い時間がかかった。慎重に思って、避けた部分もあった。「これは僕のスタイルではない!」と思ったからだ。

―もう少し具体的に説明してほしい。

ユ・アイン:例えば、男性俳優ができる映画のジャンルといえば、多彩にあると思うかもしれないが、実はそうでもない。暴力、アクション、スリラー!そして、正統な時代劇くらいのものだ。以前は、それを新鮮に演じる自信がなかった。その典型的な映画の中に入る挑戦意識もなかった。そうしているうちに「ベテラン」に出会った。「密会」という前作があったから、もう少し気楽に演じることができたのもある。ハンコを1回押してから、ジャンルを移ってきた感じがしたからだ。

―「密会」のどんな部分がユ・アインを満たしてくれたのか?

ユ・アイン:「密会」で演じたイ・ソンジェというキャラクターは、僕がやってきた演技のスタイル、もしくは僕が好きだったキャラクターだった。かなり前から自分で守り抜いて、自分なりに偉いと思うほど愚直にやってきた何かがあった。そして、その部分についてはっきりと傍点を打っておきたいと常に考えていた。そんな渇望を感じた時、「密会」という作品に出会い、運命的に演じることになって、結果的にさらに一歩を進むことができた。

―映画デビュー作が「私たちに明日はない」(2007年)だからか、ユ・アインには不安な青春の感じがある。

ユ・アイン:それに対する欲があった。「韓流スターになる」という欲はなかったが、その時代の20代の若者の顔を代弁する俳優になりたいという野心があった。同年代の俳優の中ではそれなりに深みのある作品を追求してきたと思う。それにもかかわらず、機会が多くなかった。20代の俳優が出演するような作品を見ると、ほとんどが企画性で、イベント性で、とても戦略的だ。ターゲットも明確にしている。時代がそんな顔を作ろうとしていないと思う。例えば、ジェームズ・ディーンで代弁されるアメリカ青春の表象、レスリー・チャン、トニー・レオン、金城武に続く香港のアイコンのような顔の話だ。

―韓国にも1990年代に“青春のアイコン”に通じる俳優がいた。チョン・ウソンとイ・ジョンジェがその代表的な俳優だ。その後、しばらくの間いなかったが、ここ数年間再び“青春のアイコン”として頻繁に取り上げられている俳優がユ・アインだ。自分でも知っていると思うが。

ユ・アイン:取り上げてくれる方もいた。でも、みんなが共感してはいないだろう(笑) 実はそんな話を聞いたから、より渇望があった。その言葉に自分は、不十分であることをよく知っているからだ。結局、“青春のアイコン”になれるのは作品を通じてだ。グラビアでも、上手く撮れた一枚の写真でもない。20代の俳優が、俳優として思いっきり生きていくようにするのは結局作品だが、そんな作品があまり作られていない気がする。また、そんな作品のために準備できている俳優も多くないと思う。

―(違う質問をしたが、ユ・アインは前の質問を続けて真剣に答えた)

ユ・アイン:映画「ワンドゥギ」を撮影する時、キム・ユンソク先輩と「『ワンドゥギ』が数百万人の観客を動員して、僕が切実に何度も扉を叩いたら、そんな作品のオファーが来るだろうか?そんな作品が作られるだろうか?」という話を何度も交わした。これは鶏が先か、卵が先かという話と同じ論理だと思う。俳優が証明して頭角を現してこそ、彼を中心に時代相が盛り込まれた作品が作られるのだろうか、それともそんな作品が存在してその中で青春の顔を作り出してこそ、俳優が頭角を現せるのだろうか。本当に正解はない。韓国映画の制作システムの中ではなおさらだ。だから、僕の欲求をある程度見せる必要があると思う。

―それでは、「ベテラン」はユ・アインのどんな欲求が大きく作用したのか?

ユ・アイン:えーと、「青春、青春!20代、20代!」と叫んでいたら、ある瞬間一貫性が生じた気がする。あるインタビューでは「30代に移る砲門を開いてくれる作品です」と話したが、それよりも20代の俳優が抱けるもう一つの顔を見せたかった。ユ・アインが取り出すもう一つのカードと言えるだろう。新しい姿を見せて、より固くなって信頼を作り出したいと思った。

―見せたいと思っているまた違ったカードもあるのか?

ユ・アイン:ラブコメディー!(笑) 今さらだが、ラブコメディをやってみたいと思う。だから僕はあまのじゃくと言われる。実は「Happy Facebook」というオムニバス映画を準備している。そこで韓流スターとして出演する。それも新しい顔だと思わない?(笑)

―「ベテラン」の中でとても楽しく演じているという印象を受けた。

ユ・アイン:楽しく演じていない。完成された映画を初めて見た時、ずっと不安だった。実は今もよく分からない。「良いね、良いね」と言ってくれるから、わざとテンションが高くなっているふりをしているだけだ(笑) 映画については疑う余地がない。ただ、チョ・テオという人物を演じた僕については、もう少し分析して把握する必要があると思う。演技をする時の僕は分析したり、計算するタイプではない。だが、結果についてはとても分析的な方だ。

―その分析はどの部分からどの部分まで行われるのか?

ユ・アイン:それぞれだ。演技そのものだったり、「この部分が異質感を作り出している?」「この部分は驚きを与えている?」「こう演じたから大きな波紋が伝わるのか?」と推測して考察する。リュ・スンワン監督があえてユ・アインという俳優をチョ・テオ役にキャスティングした時は、決まりきっていない新鮮な波紋を期待したと思う。僕もそうしなければならないというミッションを持ってこの作品に臨んだ。だからか、出演作の中で一番緊張しながら完成された映画を見た。新しいカードを取り出したが、それが「この作品で受け入れられるかどうか」と思って、ずっと汗もかいていた。以前の僕と違う異質な感じがするとしたら、誰よりも僕がその異質感を感じていると思う(笑)

―確かにチョ・テオという人物はユ・アインにとって冒険的な部分がある気がする。

ユ・アイン:ある。作品を選んだ時はまったく葛藤がなかったのに、結果に対しては冒険的な部分がある。もちろん、CMが入ってこないかもしれないとか、観客に非難されるかもしれないと思ったからではない。

―それでは、どうして思ったのか?

ユ・アイン:結局は可能性に関する部分だと思う。20代に守り抜いてきた僕の好みと違う姿を見せなれなければならない作品だったからだ。だから、以前と違う姿が上手く受け入れられるだろうか、名監督と名俳優の間で僕だけ浮かんでいないだろうか、僕のカラーを守り抜きながらその作品の中でいられるだろうか、新鮮に演じると言ったのに、ひょっとしたらpターン化された部分はないのか、観客が新鮮に感じるだろうかなど、本当に様々なことを計算して、分析して、顔色を伺って、インターネットで検索したりした。

―実はアーティストとしての欲が、より多く反映された作品は「ベテラン」よりも、9月に公開される「王の運命―歴史を変えた八日間―」だと思った。だが、会話しているうちに、その反対かもしれないという気がする。

ユ・アイン:その通りだ。反対かもしれない。チョ・テオを演じながら、本当に多くのことを感じた。以前は計算的にキャラクターを作り出すよりも、自分の欲望を投影する方法で演技をやってきた。自分を反映して表現することに執着してきた。そうやって20代は自分の好みを守り抜いてきたとすれば、今は僕がどう進んでいくか方向性を見せてくれるキャラクターに関心を持つようになった。

―どうして自分を反映したり、投影することに執着するのか?

ユ・アイン:僕が演技をして、人前に立つ最も基本的な理由であり、原点が、結局「自分を表している」からだと思う。最近、それを関心種子(注目されたい人)と言うんだよね(一同笑) 相当の関心種子でなければ俳優になれないのではないかな。別の話だが、Mnetのオーディション番組「SUPER STAR K」で静かな参加者が「僕は人前に立つと、緊張します」と言っていた。そしたら、ユン・ジョンシンさんが「それなのにオーディション番組に参加したの?」と言っていた(笑) それが二面性を持つ人間の気持ちのようだ。

―隠せない気持ちでもある

ユ・アイン:そうだ。隠す必要がない気持ちである。隠すほどに恥ずかしくなり、小さくなる。ただ、僕は凄い“関心種子”であり、寂しがりやで愛されたい存在なので、自分を表現したくて、他の人と僕の間に線を引いて、僕が誰なのか知りたい。本能的にもそうだ。アーティストの本能は、先祖が原始時代に洞窟に壁画を描いたように、自分を表しながら記録することだと思う。もちろん、俳優としてのその欲望は、一歩間違えたら欲深いことになるかもしれない。そのようなことが魅力を作り、スタイルを作り出し、面白味を作ることはできるが、映画は一人だけの作業ではない。だから「俳優の欲望がキャラクターを汚染する」のは避けなければならない。

―最近、Twitterの書き込みも減っているが、SNSを通じて自身の信念と意見、そして態度を表すことにためらわなかった。謙遜が美徳に評価されるショービジネスの世界で、ユ・アインの行動は確実に独特な面がある。それにより応援される時もあるが、非難される時もある。

ユ・アイン:僕はそれをある程度パフォーマンスだと思っている。刺激を与えた後にリアクションを引き出すことはパフォーマンスである。「ふざけているのか?」ではない。僕は自分なりに新しい試みであり、固定観念への挑戦である。だから、結局アートというものは、すでに存在するものにあるフレームを被せ、どう発展させ、どう上昇させるのかにかかっている。俳優もある意味では大衆芸術家だ。現実を便乗し、そこに留まりたくないからだ。僕は弱い人間なので、そのような考えを持とうと努力している。それでこそ、堂々と立ち向かうことができる。

―弱い人間なのに、弱くないふりをしているのか?

ユ・アイン:とても強いけど、弱い面もある。本当に強いけど、本当に弱い。

―矛盾だと思うが、どう受け入れればいいのか?

ユ・アイン:うん……強い人たちが実はとても弱い。そのような意味で僕は弱くて、軟弱で、気が弱くて、病弱でもある(水を飲みながら)これは毒だ!(一同笑)

―ユ・アインさんが軟弱で気が弱いなんて!信じられない(笑)

ユ・アイン:こんなことを言うと、皆「君が?」と信じてくれないが、幼い時に僕はマザコンだった。おっぱいも長く飲んでいたし、親戚の家に行くとお手洗いも一人で行けず、母に「(ささやきながら)お手洗いに行きたいよ~!」と言っていた小心な子供だった。育ちながら変わった。他人を気にしたり、小心でトリプルA型なので、そのような問題点を克服しようとしたら強くなった。誰よりも強くなってこそ、誰よりも軟弱な僕を乗り越えることができるから。

―映画の中で「財閥がこんなことして遊ぶとは知らなかったぞ」というソ・ドチョル刑事(ファン・ジョンミン)の言葉に、チョ・テオが「財閥は何をして遊べばいいんだ?」と反感を表す。人々が財閥に持っている先入観、そのような先入観を俳優にも持っている。

ユ・アイン:俳優の人生とチョ・テオの人生を比較してしまう点が確かにある。財閥3世として生まれ、そのような環境で自然に育った怪物がチョ・テオだと思う。僕が気持ち悪いと思うことがまさにその“自然さ”だった。似たように、芸能人として生きながらただ自然に流れてしまうと、皆から「芸能人病にかかった」と言われる(笑) でも、それを克服すると本当に素晴らしい人になれるのが俳優だと思う。俳優のように、世の中の人を観察する職業もないだろう。俳優のように人間に対する理解度が高くて、愛している人も多くないだろう。だから、上手く克服すると素晴らしい人になるのは間違いない!

―先ほど、「気持ち悪い」という表現を使ったが、ユ・アインさんがよく使う表現だ。正確にどんな意味で使っているのか?

ユ・アイン:あ!(笑) 僕が嫌がることをまとめて気持ち悪いと言う。不自然で、恥ずかしいこと、意図的なことやクールじゃないことだ。そのようなことまとめて「気持ち悪い」と表現してきた。

―デザインをしたり、雑誌も発刊するなど、他の分野でも活発に挑戦している。それはどんな意味なのか?

ユ・アイン:俳優としての人生とは無関係なことだ。あるいは俳優として生きる人生で感じる渇きを解消してくれるのかもしれない。絵を描く友達、写真を撮る友達などが何人か集まり、アーティストグループを作った。「お金も稼いで、面白こともやろう」という夢のような趣旨だ。あるいは同僚意識?大げさに言って時代精神もあるかもしれない。少しは特権を享受することができる職業なので、同じことをしても僕がもっとお金を稼いで享受していることもある。同じ能力を持っているにも関わらず、市場の論理や年齢で、あるいは職業の特徴により、状況が分かれるのが現実だ。実際に絵の具を買うことさえ難しい友達もいるので、分けてあげるのも良いと思う。

―先ほど、時代精神と言ったが、ユ・アインさんにとって時代精神とは?

ユ・アイン:最近は精神が重要ではない。皆、精神は持っているが、本当に重要なことは行動だ。うん……贅沢な言葉に聞えるかもしれないので慎まなければならないが、怒り、絶望、挫折、悲しみなど、僕が同時代に感じている感情は本当に多い。でも、結局、重要なことはどんな感情を感じたのかではなく、どう行動し、どう動いて生きているのかにあると思う。そして、同僚愛を持ってほしい。特に僕たち世代は、兄弟が1人、2人しかいない世代なので(しばらくして)あ……突然、話が重たくなったようだ……。

―そのような話をもっと聞きたい。

ユ・アイン:資本主義の中で、僕だけが何不自由なく生きることはできない。結局、誰かは食べられず貧困な生活を送っているから、僕が何不自由なく生きることができるのだ。富益富(富めばますます富むこと)、貧益貧(貧しい者がますます貧しくなること)で、そのような面で「僕が能力があるから何不自由なく生きているのだ」という態度を見せる人は、とても見苦しい。結局、金は天下の回りものだから、他人への愛情と関心が必要だと思う。我が国は他人に関心を持つのが得意だが、悪い関心ではなく、愛情たっぷりの関心を持ってほしい。それでこそ、この世界がより幸せになれると思う。だけど、僕のこの言葉、ややもすれば虚勢を張っていると思われるかも知れない(笑)

―ユ・アインに対して“所信”を持っていると思う人が多いと思う。

ユ・アイン:二十歳の時は、今よりもっと真剣だった。ユーモアもなかったし。世間話や人生の話に関心が多かった若者だった。二十歳の若者がそんなことを言うと似合わないし、あまりにも不自然に見える。それに、芸能人に対する先入観もあったと思うので、“ユ・アイン虚勢”と言われたと思う。もちろん、虚勢を張る時もあった。何か目標を決めて、それに向かって走りたいと思った時もあったから。でも、結局重要なことは、僕が決めた目標に近づくことができるかどうかだ。虚勢が重要なわけでははい。

―ユ・アインももう30歳だ。30歳として8ヶ月が過ぎたが、どんな気持ちなのか。変わったことはないのか?

ユ・アイン:いいや。特別だ(笑) 今日もリポビタンDを2本飲んでインタビューしている。体力が以前とは違う(笑) 僕がスタイリッシュでもクールでもない理由が、このように数字に執着する。訳もなく何かをしなければならないようで、大人の真似をしなければならないと思ったりする。

―他の俳優は気にならないが、ユ・アインさんの40代がとても気になる。40歳のユ・アイン。

ユ・アイン:必ず生き残っていることを!(笑)

記者 : チョン・シウ、写真 : ク・ヘジョン、翻訳 : ナ・ウンジョン、チェ・ユンジョン