「客」チョン・ウヒ、演技スタイルは“引き算の美学”

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ここ3年間韓国のどんな女優より“ドラマ”のような時間を過ごしただろうと思った。映画「サニー 永遠の仲間たち」(2011)公開直後には'“ボンドを吸引していた少女”を思い浮かべた人々や芸能関係者が彼女の真価を確認し、注目し始めたためだ。

周りの先入観あるいは偏見に晒されてもチョン・ウヒはマイペースでいった。この話を聞いて「私はもともとプラス思考です」と言いながら笑ってみせたが、チョン・ウヒが自ら乗り越えなければならなかった内外の葛藤は確かにあった。結局チョン・ウヒは自身の強みを「ハン・ゴンジュ」(2013)や「優しい嘘」(2014)などで証明した。集団暴行の被害者である女子高生と少女家長(一家の暮らしを支える少女)として妹の世話をする演技に観客は感動し、評論家たちも各賞を授与することで彼女の演技を認めた。

韓国で7月9日に公開された映画「客」でチョン・ウヒは観客に向き合っている。作品の一部から半分以上について責任を負う女優に成長するまで耐えて頑張ってきた彼女の秘訣が気になった。最近、ソウル三清洞(サムチョンドン)のあるカフェでチョン・ウヒに会い、詳しい話を聞いた。


「サニー 永遠の仲間たち」から1年6ヶ月…“自分に対する疑いが生じた”

映画「ハン・ゴンジュ」でチョン・ウヒは初の主演女優賞を受賞した。2004年「花嫁授業」でデビューして以来、10年間端役から助演、助演から主演になるまでの経験が積み重なっている。そのときを思い出したのだろうか、チョン・ウヒは昨年青龍映画祭の受賞式で涙を流しながら受賞の感想を語った。当時司会を務めたキム・ヘスは「実力で武装した女優だ」と励まし、話題になった。

チョン・ウヒのそのときの発言を振り返ってみると大きく二つの部分に分かれる。「有名でもない私がこんなに大きな賞を受けるとは」と「この賞をくださったのは諦めないでという意味だと思う。これから女優として疑わず、本当に自信を持って一生懸命に芝居をする」だった。「ハン・ゴンジュ」を演出したイ・スジン監督や一緒に苦労したスタッフ、そして家族への感謝の挨拶も忘れなかったが、女優としてチョン・ウヒが一人で悩んできたその気持ちが感じられる発言だったためさらに胸に響いた。

映画「サニー 永遠の仲間たち」の公開直後1年6ヶ月間彷徨った。自らも「あまり挫折しないし、挫折しても何でも良い方向に考える主義」と言ったが、何度も映画のオーディションで不合格になり、本人も知らないうちに疑いが生じた時期だったという。

「もともとオーディションで不合格になっても、困ったことがあっても『私の人生がもっとうまくいく兆しだろう』と思いました。ところが、ある分野で苦杯をなめ続けることになったことで私に対する疑いが生じました。その瞬間気分はどん底に陥りました。芝居以外のことを考えたこともないのに私が信じていたことは勘違いだったのかと疑うようになりました。不安症になりましたが、それをあえて隠そうとはしませんでした。もちろん親には話せませんでしたが。娘の一挙手一投足が心配なので家で仕事の話はあまりしない方です。

友達には気楽に話しました。『この頃よく眠れない。不吉な事故が私に、あるいは私の周りの人々に起きるような気がする』と言ったらほとんどは『治療を受けた方がいい』と言いました。ところが、ある友達が『私はそれでもあなたのこと心配しないよ。不安が大きいということは生きていきたいという気持ちが強いってことなの!』と言いました。その瞬間私の悩みが一気に飛んでいきました。人には潜在力があって、それが事実なら全ては心持ち次第だと思うようになりました」


チョン・ウヒの演技スタイルは“引き算の美学”

「ハン・ゴンジュ」に出会ったことをチョン・ウヒは天運だと表現した。現実の壁にぶつかったとき、友達の言葉で心を入れ替えた瞬間出会った作品だったためだ。実はこの言葉に積極的に同意することはできなかった。一気に主役を演じたわけでもなく、言葉どおり一段階ずつ成長してきたじゃないか。主演か、助演かがその俳優の芝居の水準を意味するわけではないが、10本余りの作品を経てチョン・ウヒは表現の幅を広げ、深めてきた。運では決して手にすることのできない成果だ。

別の言葉でチョン・ウヒの演技スタイルを“引き算の美学”と表現したい。下手な人であるほど欲を出して無駄なことを入れてしまう。「客」を例にあげよう。未熟な巫女役を演じたチョン・ウヒは多数のドキュメンタリーと文献などを参考にして巫女を研究した。グッ(巫女が歌い踊るシャーマニズムの儀式)の種類と用途も欠かさず勉強した。既存の巫女と違う姿を見せるためだった。

「本来注文を唱える設定や接神する設定もありましたが、私がそんなふうにすれば観客の視線を奪いすぎるのではないかと思って別のやり方でしたいと監督に話しました。新しく表現するためにはたくさんのことを知らなければならないと思います。そうしてこそ表現の仕方も増えるでしょうし、無駄を省いて役作りをすることができると思います。『ハン・ゴンジュ』のときは資料の調査よりはたくさん想像しました。女子高生としてそういう悲劇に遭ったらどういうふうに行動するだろうかなどについてです。

作品ごとにアプローチの仕方は異なってくると思いますが、共通的なことはたくさん準備することです。答えを決めておくことは絶対にありません。現場で新たな状況が生じる可能性がありますので、場合の数を一つずつ考えてみて私がそういう状況に置かれたと仮定してみます。私のことを好きだと言ってくださる方の中には特に俳優志望者が多いです。私が端役から始めただけに私を見て力を得たとおっしゃいます。私は必ず現場でまたお会いしましょうと言います。その方々のことを思い出すと、本当に頑張らなきゃと決心します」


巫女になったチョン・ウヒの「客」を正しく鑑賞すること

再び映画「客」に戻ってみよう。実は、他の作品より「客」でチョン・ウヒは多くの部分を隠し、抑えなければならなかった。映画は西欧の作家ハーメルンの「笛吹き男」を原作にした作品で、背景を朝鮮戦争直後に変えた。孤立した村に偶然世話になることになったウリョン(リュ・スンニョン)とその息子ヨンナム(ク・スンヒョン)が経験する奇怪な事件がストーリーの中心をなす。ここで未熟な巫女ミスクは村の陰惨な秘密を隠そうとする人々とウリョンの間で葛藤する人物だ。

演出を務めたキム・グァンテ監督は約束に関する映画だと強調したが、チョン・ウヒはそれに加え本能と恐怖など、人間の本性に関する作品として理解していた。大量のネズミを追い出してくれれば謝礼すると言っていた人々があるきっかけによりお互いを疑い、ひいては客であるウリョン親子まで疑うようになる。

「恐怖の対象は色々あるじゃないですか。ネズミになることもあるし、見知らぬ人になることもあるし、シャーマニズムになることもあります。映画を見たら『生きるため犯した悪行は罪にならない」という村長(イ・ソンミン)のセリフがあるが、それは結局自身に対する妥協で合理化です。人間本来の利己心について考えさせられる作品です」

チョン・ウヒは妥協に対しては厳しい。人との関係においては融通が利くが、人の道理や不正とは妥協しない主義だ。芝居も同じだ。自分の芝居から足りないところが見えてくるときとても辛いと話したので少しは気楽にしてもいいじゃないかと慎重にアドバイスした。「客」以降チョン・ウヒは「ビューティー・インサイド」「愛を歌う花」「哭声」などに出演する。来年まで楽しい気持ちで彼女の様々な姿を待ってみよう。

記者 : イ・ジョンミン、イ・ソンピル、写真 : イ・ジョンミン