「朝鮮名探偵2」オ・ダルス“3億人を動員しても寂しいのが役者の人生”

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俳優オ・ダルス(46)は慎重だ。登場だけで観客を爆笑させる映画の中の愉快な姿とは違って、簡単な質問にも長い時間言葉を選んでまた選ぶ。こうやってようやく選んだ単語の間を、タバコの煙と溜息で埋める。そしてその溜息の最後には「寂しい」という言葉がついてきた。韓国映画史上初めて出演した映画の観客動員数の合計が1億人を超えたオ・ダルスが、何がそこまで寂しいのだろうか。映画「朝鮮名探偵2 失われた島の秘密」(監督:キム・ソクユン、制作:青年フィルム、以下「朝鮮名探偵2」)に出演したオ・ダルスに出会った。

「朝鮮名探偵2」は2011年に韓国で公開され478万人の観客を動員していわゆる“大ヒット”を記録した「朝鮮名探偵 トリカブトの秘密」(以下「朝鮮名探偵1」)の続編だ。前編に続きキム・ソクユン監督がメガホンをとり、不良銀塊流通事件と妹を探してほしいというある少女の依頼を同時に解決する名探偵キム・ミン(キム・ミョンミン)とソピル(オ・ダルス)コンビの物語を描いた探偵劇だ。

「正直、僕は続編が出るとは思っていなかったです。キム・ミョンミンは僕より先に続編が制作されるというのを知ったみたいで。僕はシナリオが出る6ヶ月前に知りました。ミョンミンが最近早くも第3弾の話をしているけど、本当にミョンミンの立場からするとこの映画、すごく楽しいでしょうね。演技のために体重を減らしたり増やしたりまでする俳優が、思う存分遊べる場ができたんです。女優さんも毎回変わるし。僕でもいつでも出ますよ!(一同爆笑)」

オ・ダルスは「朝鮮名探偵1」について「あれもこれも全部入れて作ったタフなキムチチゲの味がする」と語った。一方、4年ぶりに帰ってきた「朝鮮名探偵2」は適度な材料だけを入れ、整理整頓されたキムチチゲだという。それもそのはず、前編が多少落ち着きがなかったとすれば、「朝鮮名探偵2」はジャンル物としてより一層洗練された形を整っている。物語は整頓されており、キャラクターは明確になった。オ・ダルスが演じたソピル役も出番がぐんと増えた。

「第1弾だけの美徳もあり、第2弾だけの美徳もあります。第2弾はですね、編集と後半の仕上げにとても力を入れた作品です。とても褒めたいです。コメディ映画ではなかなか見られない丁寧さです。『朝鮮名探偵2』はコメディ映画だけの生の素材はそのまま温存しながらも調理を上手くした料理と言えます。とても頑張りました」

キム・ミョンミンは4年ぶりに共演したオ・ダルスについて「久しぶりに出会った妻のようだった」と語っていた。見かけと違って意外と人見知りであるオ・ダルスは、なかなかその本音を見せてくれない。作品の本質から離れたプライベートな話は簡単には打ち明けないタイプだ。しかし、天下のオ・ダルスもキム・ミョンミンにだけは隠していた悩みも、プライベートな生活も打ち明けることになるとか。キム・ミョンミンとオ・ダルスコンビの抜群の相性の秘訣がここにあった。オ・ダルスは「朝鮮名探偵」を通じてキム・ミョンミンという徳を一つ重ねることができたと力強く語った。

「ミョンミンに心を開いたきっかけがありました。ミョンミンは自ら運転することを好みますが、両水里(ヤンスリ)で撮影を終えて、ミョンミンと二人きりでミョンミンの車に乗って水原(スウォン)まで来ました。ああ、本当に温かくて良い人だなと思えました。色々な話をしながら水原まで来たのですが、あの時ミョンミンに心をきちんと開けたんです。本当に徳のある人です。演技の準備をしている時はとても徹底している人だけど、自然体のままのキム・ミョンミンは本当に気さくです。本当の家族だったらいいなと思うくらいです。けど、ミョンミンは誰にもそう軽く優しくするわけでもないんです。だからこそもっと魅力がありますね」

オ・ダルスは映画の撮影現場がとても寂しいと語った。しかし、その孤独の時間が俳優には必ず必要な演技の材料であり、俳優を俳優らしくする通過儀礼でもあるという。

「どの俳優でもそうだと思いますよ。僕が知っているほとんどの俳優たちは、十中八九一人でいることを楽しむ人です。僕もそうです。俳優同士でお酒を飲むのは、実は本当に居心地がよくないというか。それぞれ演技の計算や作品を見抜く観点を持っている人同士が、演技がこうだの、作品がどうだの…それは要らない言葉なんです。結局俳優は一人で戦わないと」

韓国映画史上初めて出演した映画の累積観客数が1億人を突破したオ・ダルスだが、本人は「3億人を動員したとしても寂しいのが役者の人生だ」と語った。カメラの前で相手役の俳優と目を合わせ、台詞を交わし、感情の交流をするが、それはあくまでも観客のためであるという。しかし、その寂しさこそが演技の魅力でもあると付け加えた。

「俳優はとりあえず観客一つだけを見ていきます。撮影の前日に徹夜で研究をするのも、ミョンミンと向かい合って演技をするのも、結局は観客に見てほしいからやっているんです。俳優の裏を覗くと、すごく切なくて寂しいです。3億人を動員したとしても多分寂しくて虚しいでしょう。俳優は死ぬまで観客のために生きるんです。役者というのはそんなものです。『チュ・ソンウン研究』という本を読むと、『俺は前世にどれだけ多くの罪を犯して今こんなこと(演技)をしているのだろうか』という文があります。僕が一生の話頭として掲げている言葉です」

キム・ミョンミンがキャラクターを自身に積極的に体化させるメソッド的演技をするとしたら、オ・ダルスはキャラクターを客観化させるタイプだ。オ・ダルスは「その人物に思う存分開いて会うのではなく、若干距離を置く。僕が(そのキャラクターに)届くことができないと思ったら諦めるし、できると思えたら僕に連れてくる」と語った。

「ミョンミンは練習をものすごくするんです。映画でアドリブのようなシーンも、実は全部ものすごい練習を通じて誕生したものなんです。徹底した計算のもとでです。それが本当に不思議です。実はですね、アドリブは簡単にできるものではありません。即興的だなんてありえないですよ。約束をしておかないと。演技はお互いへの約束なのに、相手は準備ができていないのにアドリブをしてどうするんですか。それは自分の才能を自慢することにすぎません」

オ・ダルスは俳優の存在価値は“香り”で漂うことになると強調した。どのキャラクター、どの衣装、どのジャンルでもその俳優だけの香りが漂うことになるという。

「一般的には俳優の色と言っているようですが、僕は色ではなく香りだと言っています。オ・ダルスだけの香りがあるんですね。この香りがそのまま俳優としての存在の意味、価値だと思います。例えば映画『レイジング・ブル』(1980、監督:マーティン・スコセッシ)のロバート・デ・ニーロも映画のオープニングとエンディングで極端を行き来する演技を披露していますが、彼だけの香りは消えていません。果たして僕がオ・ダルスだけの香りを消すことができるのでしょうか。神様になれない限り、それは難しいと思います」

記者 : キム・スジョン、写真 : キム・ジェチャン