Kingston Rudieska、デビュー10年の歩みは韓国スカの10年「僕たちの音楽は“お祭り”だ」

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「よし!これがスカだ!」

Kingston Rudieska(キングストン・ルディースカ)がニューアルバム「Everyday People」をワンテイクで録音する時、アメリカから来た名プロデューサーのブライアン・ディクソン(Brian Dixon)は、「よし!これがスカだ!」と何度も感心した。メンバー一人のリズムが少しくらいずれても構わなかった。スカ特有のエネルギーさえ表現できれば問題なかった。人の人生をより豊かにしてくれるスカのエネルギー。

9人組スカバンドKingston Rudieskaが2014年、デビュー10年を迎えた。彼らの10年は韓国のスカの10年ともいえる。Kingston Rudieskaがデビューする前、“スカ”というジャンルは韓国で非常に珍しかった。スカ、レゲエを専門にするミュージシャンは指折り数えるほど少なかった。だが、Kingston Rudieskaが登場し、韓国の大衆音楽シーンはより幅広くなった。一時期、インディーズシーンで主流だった“スカファンク”をやっていた若者たちが意気投合して作ったKingston Rudieskaは、もう韓国のスカを代表するチームになった。昨年は10周年を迎え、様々な話題も多かったKingston Rudieskaに会ってきた。(この日、トランペットを奏者するペ・ソニョンはレコーディングのスケジュールのため、残念ながらインタビューに参加できなかった)

―2014年、デビュー10周年を迎えた。

SUGAR SUKYUEL:みんな20代だったのに、もう30代になった。

チェ・チョルク:3~4年ほど活動した時は結構長い間活動したと感じた。でも、いざ10年目になると、「まだ10年しか経っていない」という気がする。今は弘益(ホンイク)大学の周辺に10年以上活動しているバンドが本当に多い。10年というタイトルに意味はあるが、それでも自慢できるようになるには、30年くらいはやらなければならないと思う。

―Kingston Rudieskaの始まりについて聞きたい。

チェ・チョルク:僕、オ・ジョンソク、ソ・ジェハ、イ・ソクユル(SUGAR SUKYUEL)の4人が集まって始めるようになった。

オ・ジョンソク:メンバーは少し変動があった。でも、今は他のメンバーも少なくとも5~6年ぐらいは経っているので、全員が初期メンバーと同様だ。

チェ・チョルク:本当にスカをやりたかった。それで、20代前半にスカファンクを始めた。でも、その時はインディーズシーンにブラス演奏者があまりいなくて、ちゃんとしたスカを試みることができなかった。当時はインディーズシーンにスカファンクバンドが本当に多かった。僕もモヒカンのヘアスタイルをして、“ギターで撃つ”“SUNSHINE BAY”“カルメギ(カモメ)”などのチームをやった。今は痕跡すら探せないチームである。

SUGAR SUKYUEL:「Our Nation」の1stアルバムを見ると、兄さんの当時の写真が載っている!金髪だった。

チェ・チョルク:カルメギはロックバンドの3号線バタフライのベースを担当しているキム・ナムユンと一緒にやったチームだ。

オ・ジョンソク:カルメギもクラブDRUGで公演を行った。もし今まで活動をずっと続けていたら、Crying NutやNo Brainのように長寿ファンクロックバンドになったと思う。

―ブラスが中心になるスカを本格的に始めるようになったのは?

チェ・チョルク:除隊後、日本に遊びに行って東京スカパラダイスオーケストラの公演を見て、ブラスのサウンドに完全に魅了された。それで、韓国に帰ってきてすぐにトロンボーンを購入して、漢江(ハンガン)で練習した。それが始まりだった。

―韓国でジャマイカのスカタライツ(THE SKATALITES)のように、ブラスが中心になる大型バンドはKingston Rudieskaが始めてだと聞いた。

チェ・チョルク:スカをやるミュージシャンはみんながスカタライツを志向する。でも、最初からスカタライツ風の音楽をやろうと考えたわけではない。様々なスカを多様にやってみたいと思った。とりあえず、スカファンクから抜け出してジャマイカの音楽をやってみたかった。最初はメンバーたちの志向点がすべて違って大変だった。どうして「ウッチャウッチャ(スカのリズム)」だけやるのかという不満が出て、説得しなければならなかった(笑)

オ・ジョンソク:最初はモダンなスカをやったが、徐々にスカのルーツを遡るようになった。そして、その一番最後にスカタライツが出た。当時はYouTubeがなくて、スカタライツの映像を一つ探すのもとても大変だった。スカに関連する資料はすべてが貴重だった。

―2006年にリリースされたデビューEPアルバム「Kingston Rudieska」のボーカルはSUGAR SUKYUELではない。

SUGAR SUKYUEL:それはチョルク兄さんの声だ。そのアルバムをレコーディングした時、僕は軍隊にいた。

チェ・チョルク:ソクユルが軍隊に行っている間は、僕がしばらくフロントマンの役割を果たしながら歌も歌った。その他にもNo Brainのイ・ソンウ、Ninano Nandaのチャングンなど親しい人たちがゲストボーカルをやってくれた。

オ・ジョンソク:初のEPをレコーディングした時は7人組で、ブラスが3人だった。公演の時、Crying Nutのキム・インス兄さんが手伝ってくれたこともある。

―2008年にリリースされた初のフルアルバム「Skafiction」に“チャンチ(お祭りという意)スカ”という単語が出る。まるで“朝鮮ファンク”のような感じがするが、これは韓国的なスカを意味する言葉なのか?

オ・ジョンソク:各国の大衆音楽を見ると、現地のカラーが自然に反映されている。そのような脈絡だと思う。そのアルバムには当時、僕たちがやってみたかった音楽が盛り込まれている。

チェ・チョルク:“チャンチスカ”という言葉はソン・ギワン兄さんがつけてくれた。あの時、ギワン兄さんの作業室でレコーディングも行った記憶がある。“チャンチスカ”という言葉のように、僕たちの音楽は“お祭り”だ。

―Kingston Rudieskaの演奏者を見ると、かなり多様なジャンルを演奏する。スカのリズムの上にジャズを演奏したり、アメリカのジャズ・ピアニストセロニアス・モンク(Thelonious Monk)の曲もアルバムに収録した。

ソン・ナグォン:ファンクバンドで音楽を始めたメンバーがいて、ジャズバンドをやっていたがKingston Rudieskaに合流したメンバーもいる。ファンクロックで音楽を始めたが、後からジャズを勉強したメンバーがいて、もともとジャズをやっていてスカファンクが好きになったメンバーもいる。このようにうちのメンバーたちは音楽的な境界がない。ファンクやジャズは遠く離れている音楽のように見えるが、Kingston Rudieskaの中ではそれがすべて一つになる。

―それと同時に、Kingston Rudieskaの音楽は楽しいながらも、何か悲しい感性が滲み出しているように感じる。

チェ・チョルク:その通りだ。これから僕たちは“フンプン”(楽しくて悲しい)スカバンドだ!

―様々な音楽フェスティバルで最も頻繁に見るチームがKingston Rudieskaだ。そして、いつも同く楽しいステージを披露してくれる。いつからフェスティバルに頻繁に出演するようになったのか?

チェ・チョルク:デビューして5年ほど経ってからフェスティバルへの出演が増え始めた。以前、僕たちもフェスティバルに頻繁に出演する他のチームを羨ましがっていた時があった。でも、今はほとんどすべてのフェスティバルに出演したと思う。「Grand Mint Festival」の場合、メインステージの4ヶ所にすべて立ってグランドスラムを達成した(笑) 振り返ってみると、とても感謝すべきことだ。

―以前、「INCHEON PENTAPORT ROCK FESTIVAL(仁川ペンタポート・ロック・フェスティバル)」で披露したKingston Rudieskaとタイの大御所Tbone Skaの協演は、記憶に残る素晴らしいステージだった。

チェ・チョルク:その日の観客は本当に素晴らしい公演を見たことになる。

オ・ジョンソク:Tbone Skaの兄さんたちは、僕たちが普段尊敬していたワールドクラスのスカチームで、タイではタクシーの運転手も知っているほどの国民的バンドだ。実はもともと協演の計画はなかった。Tbone Skaの兄さんたちと前日、延南(ヨンナム)洞で一緒に焼き肉を食べたが、その時、即興的に一緒に公演したら楽しそうという話が出て実現した。

―スカは共同体の感じを持っているように感じる。そのためか、スカをやるチームは特によく通じ合うように見える。

チェ・チョルク:スカは他のジャンルに比べてマニアックな面がある。例えば、ロックバンドが来韓するからといって後輩のみんなが見に行くことはない。だが、僕たちはスカバンドが来韓したら、みんなで行って遊んだり、一緒にお酒を飲む。それが可能だ。

オ・ジョンソク:Tbone Skaの兄さんたちとは最近も連絡をとっている。スカはジャズと似た点も多い。ジャズの演奏者が初めて会って、一緒にジャズを演奏するように、スカの演奏者も頻繁に演奏する定番のスカがある。だから、初めて会っても一緒にステージに立つことができる。そのように、スカの演奏者は音楽的に通じ合う絆がある。

―10年間スカを演奏し続ける原動力は?

チェ・チョルク:このスカという音楽は好きじゃないと演奏しにくい。でも、好きになったらこれ以上面白いものはない。この音楽は、すっかり魅了されてこそ演奏できると思う。そうじゃないと、どんな方法を使っても演奏できない音楽だ。僕たちはスカに魅了されて、抜け出せない状態になっている。

SUGAR SUKYUEL:僕たちにとってスカは空気と同じだ。ダンスクラブのような場所に行ってEDM(エレクトロニック・ダンスミュージック)を聞いていると、レゲエやダブがどうしても聞きたくなる時がある。そんな時は結局、レゲエバーにすぐに逃げる。

―最近は韓国にも複数のスカチームができた。「PURIJAH」というスカ雑誌もあって、様々な合同公演も行われている。

オ・ジョンソク:「Ska Rules」というスカの企画公演を着実に行ってきた。毎回4~5チームのスカチームが出演して、毎年一回くらいは外国のチームも招待して公演を行った。昨年は「Zandari Festa(ザンダリ・フェスタ)」で一緒に公演した日本のThe Eskargot Miles(ジ・エスカルゴマイルス)など海外の10チームくらいが一緒に参加した。

SUGAR SUKYUEL:昨年12月からは「Rise Again」というクラブパーティを開催している。Kingston RudieskaとともにRude Paper、Seoul Riddim Superclub、釜山(プサン)のSka Wakers、済州島(チェジュド)のSouth Carnival、ダンスホール・ミュージシャンのM.Tyson、そして梨泰院(イテウォン)に住んでいるジャマイカ出身の黒人ミュージシャンのジョシュア・ロイなどが参加した。

―この10年を振り返りながら、特に記憶に残る公演があるとしたら?

ソ・ジェハ:昨年「JISAN WORLD ROCK FESTIVAL(ジサン・ワールド・ロック・フェスティバル)」でヨーロッパーを代表するスカバンドDr. Ring Ding(ドクターリンディン)と大阪出身のDOBERMAN(ドーベルマン)と一緒に公演したことが一番記憶に残っている。沈む夕焼けを背景にしてスカタライツの「Phoenix City」を演奏した。

SUGAR SUKYUEL:その公演がきっかけでDr. Ring Dingと一緒にアルバム作業まですることになった。意義深いことだったので嬉しかった。

―Dr. Ring Dingとは以前から交流があったのか?

オ・ジョンソク:偶然な機会で縁を結ぶことになった。Dr. Ring Dingと一緒にバンドをしたことがあるメンバーが韓国に住んでいたので、彼と親しくなった。2008年に僕たちのアルバムを彼に渡して「Ring Ding兄さんに渡して」と冗談半分で言った。そして、何ヶ月か後にドイツの世界的なレゲエ雑誌「Riddim」に Dr. Ring Dingが書いてくれた僕たちのアルバムレビューが掲載された。その後、是非Dr. Ring Dingと一緒に公演がしてみたいと思い連絡をした。昨年、僕たちの所属事務所ルディシステムのハン・グクジン代表が実行に移してくれた。

―Dr. Ring Dingと一緒に作業したアルバム「Ska'N Seoul」がリリースされた。

オ・チョンソク:最初は、1~2曲だけを録音しようとしたが、やっているうちにどんどん増えてEPアルバムを出すことになった。アルバムがリリースされた後、シカゴのJUMP UPレコードからアルバムを発売したいと連絡が来た。だから僕たちの3枚目のアルバムに収録されている5曲を追加して、フルアルバムをJUMP UPレコードを通じてリリースした。JUMP UPレコードから連絡が来た時は信じられなかった。ジャズでいうブルーノートと等しい権威があるレーベル会社だったからだ。スカのアルバムを購入すると、ほとんどJUMP UPレコードの名前が書かれてある。昔は手の届かない会社だったが、今回このようにアルバムをリリースすることができて嬉しい!今でも夢のようだ。

―最近は日本公演にも行ってきた。日本のスカバンドであるThe Eskargot MilesとのコラボレーションEPアルバム「FAR EAST ASIA」は日本のレゲエチャートでトップを獲得した。

ソン・ナグウォン:今年8月に「TOKYO LITTLE JOURNEY 2014」で、初の日本公演を行い、9月には福岡の「Sunset Live 2014」で公演を行った。The Eskargot Milesは僕たちと歳も経歴も似ているので、親近感を感じた。2年前に一緒に渋谷にあるクラブを借りて、一緒のスカタライツの曲を演奏し、幸せな時間を過ごした。そのような交流を続けながらレコーディング作業もするようになった。

―10周年を迎えて、活動が忙しそうだ。Dr. Ring Dingとの作業、アメリカでアルバムをリリース、The Eskargot Milesとの作業、4枚目のフルアルバムの作業など。

SUGAR SUKYUEL:10周年を迎えたからではなく、これまで偶然な機会と縁で結ばれた人々と作業をすることなったからだ。

オ・ジョンソク:Kingston Rudieskaのメンバーたちが個人的に参加しているプロジェクトチームもアルバムを出した。SUGAR SUKYUELのSugar Come Againもシングルを出し、ソ・ジェハ、ソン・ナグォン、ソンヨンが一緒にやっているスカ4アンサンブルもアルバムを出した。そして、ソン・ナグォンはソロでバラードアルバムも出した(笑) これをすべて合わせると7~8枚のアルバムがリリースされた。

―4枚目のアルバム「Everyday people」は、世界的なプロデューサーでありエンジニアであるブライアン・ディクソンと一緒に作業した。

オ・ジョンソク:ブライアン・ディクソンはスカに精通した人物だ。録音する前からブライアン・ディクソンにデモCDを事前に送って、メールで連絡を取り合って作業について相談した。音楽的にも信頼度が高かった。知らない人にすべてを任せるのは簡単なことではない。ブライアン・ディクソンが作業した音楽もたくさん聞いたし、彼を尊敬していた。

―9人が一つの部屋に入ってワンテイクで作業した。

SUGAR SUKYUEL:ニューアルバムは春川(チュンチョン)KT&G想像アートホールで10日間作業した。以前から同じ部屋に一緒に入ってワンテイク方式で録音をしてみたいと思っていた。前は合奏をする方法だったが、個人がブースに入ってヘッドホンをかぶって録音した。でも今回は皆が同じブースに入り、ヘッドホンもかぶらずに公演をするように録音した。それぞれのマイクに他の演奏者たちの音が入った。だからもっと自然な音質間が出た。

チェ・チョルク:そのようなやり方でしっかりと録音するためには、技術的に必要なことが多い。そのような理由でブライアン・ディクソンと一緒に作業することになったのだ。アルバムに収録される曲を選ぶ時にも、このような録音方式を念頭に置いた。このようなワンテイク方式の録音は躍動感を引き出さなければならないが、作業が長引くとその雰囲気を生かすことができない。だから、初日になんと6曲も録音した。だけど、翌日から作業に時間がかかり、10日もかかった。

―9人が同時にワンテイクで録音するのは簡単なことではない。

オ・ジョンソク:9人が全員満足する結果が出るのは難しい。ワンテイクで録音すると9人の中で誰かは拍子が合わない時もある。誰かが「僕の演奏が少しリズムが合わなかったので、もう一度やり直したい」と言ったら、ブライアン・ディクソン兄さんが「良いよ、これがいかにもスカだ」と返事した。つまり、演奏の正確さよりも、スカ特有のエネルギーが出ているのかが重要である。今回のアルバムにはこのようなエネルギーがそのまま表現された。とても満足している。

―ニューアルバムは計2枚のCDで構成されている。2番目のCDの“Director's Cut”とは何なのか?

オ・ジョンソク:もともと計画していたフルアルバムの録音を終えたら、1日が残った。それで、何かやってみたいと思い、ブライアン・ディクソンの提案で即興的に演奏することになった。

―音楽を聞いてみたが、「アリラン」などの韓国民謡のメロディが入っていた。

チェ・チョルク:偶然そのようなメロディが出た。ところが、ブライアン・ディクソンはそのような韓国的なメロディを気に入ってくれた。景福宮、東大門などの遺跡地を見て興奮していた。「君たちのように歴史が長い国の演奏家たちは、自分の国の音楽をやらなければならい」と言った。ブライアン・ディクソンもアメリカでスカバンドをしているが、彼の音楽を聞いていると、アメリカの雰囲気が滲み出ていた。そのようなことを言っているのだろう。

オ・ジョンソク:ブライアン・ディクソンは「世界には素晴らしいスカバンドが多い。だが、君たちが君たちの音楽をしている時には、誰も口出しできない」と強く主張した。そのようなことを言われていたので、最後の録音の日に民謡のメロディが出たのかもしれない。

―“Director's Cut”にはダブ(dub)バージョンの曲も収録されている。

オ・ジョンソク:このダブバージョンをライブミックスする時、トランペットの音を小さくしても、他の楽器たちのトラックでトランペットの音が流れる。ワンテイクで録音したので可能なことだ。このような音がレゲエの世界では魅力とも言える。

―ニューアルバムは昔のスカタライツ風の正統なスカにさらに近付いた感じがした。

チェ・チョルク:前は僕たちが得意なものを見せて自慢したかった。今回のアルバムではそのようなものを除いて、自然で原初的な“単純美学”に近づこうとした。Ring Ding兄さんが「シンプル・イズ・ベスト」と言ってくれたし、もっとそのような雰囲気に近づこうとした。だけど、今回の作業をしながら、シンプルに作業することが本当に難しいことだと痛感した。

オ・ジョンソク:今回のアルバムではスカというジャンルが持っている質感をしっかりと表現してみたかった。

―アルバムのタイトルはどうして「Everyday people」なのか?

オ・ジョンソク:老若男女を問わず、皆を慰める音楽がしたかった。スカを知らない一般人まで共感できる音楽を。

チェ・チョルク:“チャンチスカ”という言葉のように、僕たちは祭りに似合うような音楽がやりたい。35歳だと入場禁止のようなことはない。

―スカ、ダンスホール、ダブなど、レゲエを体系的に聞くマニアは少ないが、それでも Kingston Rudieskaの公演は一般人が見ても楽しくて面白い。最強の強みではないだろうか?

SUGAR SUKYUEL:僕は公演をする時に子供たちが喜んでくれる時が一番嬉しい。

チェ・チョルク:子供たちとお年寄りの方が興に乗って踊っている姿を見ると凄く嬉しい。僕たちが興を伝えているんだなと思ってしまう。僕たちの曲の中で「今を楽しまなければ」という曲がある。「今を楽しめ!Kingston Rudieskaと共に!」という意味の曲だ。

記者 : グォン・ソクチョン、写真 : ク・ヘジョン、翻訳 : ナ・ウンジョン、チェ・ユンジョン