JAMBINAI、ヨーロッパ大陸に星を描いた

10asia |

シム・ウンヨン、キム・ボミ、イ・イル(左から)

ヨーロッパ大陸に星を描いた。韓国のフュージョン国楽グループJAMBINAIは、5~7月の2ヶ月にわたって、ヨーロッパの14ヶ国で公演を行った。ベルギーからはじまり、スロベニア、オランダ、チェコ、ポーランド、イタリア、イギリス、ドイツ、デンマーク、ポルトガルをまわり、自然にヨーロッパ大陸に星を描いた。このスケジュールの中には世界的なフェスティバルであるイギリスの「Glastonbury Festival(グラストンベリー・フェスティバル)」、デンマークの「Roskilde Festival(ロスキルド・フェスティバル)」、セルビアの「Exit Festival」が含まれている。このような大型海外ツアーは、有名なK-POPアイドルグループでも難しいスケジュールである。しかし、韓国ではあまり知られてないJAMBINAIの音楽に世界が熱狂しているのだ。

世界最大の音楽博覧会「South by SouthWest(SXSW)」のディレクターであるTodd Puckhaberは10asiaのインタビューで「JAMBINAIを初めて見た時、素晴らしいサウンドに大きな感動を受けた。東洋の音楽だが、西洋人にも馴染みのあるサウンドを持っていた」と話した。JAMBINAIはこれと言ったプロモーションをしていなかったため、海外の関係者の間で口コミで知られるようになった。国楽とロックを幻想的に融合させた彼らの音楽は、すぐに人々を魅了した。今では海外のフェスティバルの関係者の間で“次世代の大物”として好評を得ており、再来年の公演スケジュールまでぎっしり詰まっている。これは実に奇跡のようなことだ。なぜ人々はJAMBINAIに熱狂しているのだろうか? JAMBINAIのメンバーイ・イル(ギター)、キム・ボミ(ヘグム(奚琴))、シム・ウンヨン(コムンゴ)、そしてマネージャーであるキム・ヒョングンとインタビューを行った。

―5月28日から7月27日までヨーロッパ14ヶ国をまわり、計26回の公演を行った。

イル:とても大変だった。海外ツアーに行くと言うと、観光をしたりおいしいものを食べたりすると思われているけど、そんな余裕はまったくなかった。熱い日差しの下で、窓もエアコンもないバンに乗って、一日に10時間ずつくらい移動していた。“会場、ホテル、再び移動”の生活を繰り返した。3週くらい続けたら慣れてきた。その頃からは観客の熱気を感じることができた。

―とてもタイトなスケジュールだった。このように長いツアーは初めてではないのか?

ヒョングン:ホテルに行って、荷物を解かずにそのままステージでリハーサルをして、少し休んですぐ公演を行うこともあった。フェスティバルのスケジュールに従っていたら、ヨーロッパ大陸を横切って移動していた。アウトバーン(高速道路)を何回往復したのか分からない。セルビアの「Exit Festival」を終えてスペインのバロセロナに移動する時は、なんと4日間車に乗っていた。1日で800~900km移動した。

ボミ:星を描くように車で移動した。ハハ。

―「こんなタイトなスケジュールだと死ぬかもしれない」と思うほどではなかったのか?

ボミ:ステージの上で何度かふらついたことはある。公演が終わる頃にはぼーっとなる時もあった。

―JAMBINAIは最近、韓国のグループの中で最も精力的に海外公演を行っている。初めての海外公演はどうだったのか?

ヒョングン:昨年の5月、フィンランドのヘルシンキで行われた「World Village Festival」が初めてだった。今、JAMBINAIの海外ツアーのエージェンシーを担当しているオランダの会社アースビット(Earth Beat)のジェロム・ウィリアムズが架け橋の役割をしてくれた。ジェロムは2012年の秋、蔚山(ウルサン)で開催された「APAMM」(音楽博覧会)に代理人として参加し、韓国の音楽に接した。その時、JAMBINAIの「消滅の時間」のミュージックビデオを見て、私たちを知ったという。「5月にフィンランドに招待するバンドを探している。是非参加してほしい」と提案され、その場で承諾した。それが始まりだった。

―昨年参加した世界最大級の音楽博覧会「WOMEX」で現地の関係者から絶賛された。

ヒョングン:「WOMEX」は2013年の最後の週だったが、10月の初めから韓国音楽博覧会である「APAMM」「MUCON」「PAMS」に参加したことが起爆剤となった。特に「APAMM」では、「Glastonbury Festival」のマルコム・ヘインズをはじめ、「WOMEX」の理事たち、そして「Exit Festival」のスフィンクス・ミクスト(Sfinks Mixed)など、世界的なフェスティバルディレクターたちが多く訪れていた。ディレクターたちが「APAMM」でJAMBINAIを見て衝撃を受けたと話していた。彼らがそのまま「WOMEX」に移り、「JAMBINAIの公演を必ず見ること」と口コミを広げた。そのおかげで公演の反響が大きかった。「WOMEX」では公演関係者たちが素晴らしいミュージシャンを発掘するために集まるため、普通は5分程度公演を見る。そのような理由で「WOMEX」のスタッフから「観客がいなくても傷つかないように」と言われた。だけど、私たちの会場に入った人は多かったけれど、出て行く人はほとんどいなかった。反応が凄かった。10分で約300枚のプロモーションCDが底をついた。そして、そのテーブルの上にはディレクターたちが残した名刺が置いてあった。

―「WOMEX」はどのような理由で参加することになったのか?

ボミ:私が応募してみようと提案した。2006年に「WOMEX」を見に行って、すごく感動した。だから、いつかきっと「WOMEX」のステージに立ってみたいという夢ができた。期待しないで応募したのに、選ばれたというメールをもらって皆で喜んだ。

―当時「WOMEX」でJAMBINAIを見た海外の関係者たちがその公演の話をしてくれた。本当に素晴らしい公演だったと。

ボミ:本当に凄かった。「WOMEX」の公演では、サウンドのデシベルを制限する“音の制限”あったけど、担当者がその制限を大胆に解除した。

ヒョングン:ある程度のデシベルを超えると、担当者がそのままサウンドを消してしまう。会場の周りにホテルやショッピングモールがあるので、法律で定められたデシベルを守らなければならない。それなのに担当者が私たちの公演を見て、「この音楽は音を小さくしてはならない素晴らしい音楽だ」と言って、制限を解除してくれた。そして私に「私が警察に捕まったら、あなたたちのせいだ」と言った(笑)

イル:私は会社に辞表を出して「WOMEX」に行った。本当に強い覚悟でフェスティバルに参加した。幸い反応が良かった。「もし私がここに来ずに韓国に残っていたらどうなっていたのだろう」と思った。色んな悩みが一気に消えた。

―そして、噂が広がり始めた。

ヒョングン:今年3月「South by SouthWest(SXSW)」の公演が決まった時、「South by SouthWest」のディレクターからメールがきた。「WOMEX」で私たちのステージを見た。今後、様々なステージに参加してほしいと書かれていた。そのおかげで色んなステージに立つことができた。

―5~7月のヨーロッパツアーで特に記憶に残っているステージは?

一同:デンマークの「Roskilde Festival」が最高だった。他にもポーランドで開催された「ETHNO PORT POZNAŃ」とスロバキアの「POHODA Festival」も素晴らしかった。

ボミ:「Roskilde Festival」はシステムが完璧だった。実は海外のフェスティバルに参加すると、公演が延期されたり、音響が不安定な場合もあるけれど、「Roskilde Festival」はすべてが水が流れるようにスムーズに行われた。遅れがあっても3分を超えなかった。特に私たちはヘグム(奚琴)やコムンゴのような韓国の伝統楽器を使っているため、音響の調整が細かったのに、そのような面でまったく問題にならなかった。私たちが公演した日はローリング・ストーンズがヘッドライナーだった。10万人を超える人の波は壮観だった。

ウンヨン:「Roskilde Festival」で「消滅の時間」を演奏した時、コムンゴの演奏が始まる導入部で観客が歓声を上げた。すでに私たちの音楽を知っている上で音楽を聞きに来たような感じを強く受けた。本当に感動した。

―海外でもファンができたのか?

ヒョングン:海外のファンに会うと、K-POPを聞いているうちにJAMBINAIについて知るようになったという人もいる。「消滅の時間」のミュージックビデオが公開された時は、海外のK-POPのウェブマガジンを通じて知られるようになった。そのような理由で、海外では私たちもK-POPの一部として認識されている。

―ヨーロッパの各国で公演を行っていると、国ごとに観客の反応に差があると思う。

イル:セルビアの「Exit Festival」ではヘヴィメタルバンドと一緒にステージに立ったこともある。当時の観客はメタルマニアたちで、彼らの特徴は“メタルだけが真理”と思っているところだった。そんな中で、私たちは韓国から来たバンドだと紹介したら、「江南(カンナム)スタイル」の国から来たと嘲笑され、早く終わらせて帰りなさいという反応だった。でも、公演を終えたら、観客の反応が180度変わった。それは、私たちの音楽が彼らを魅了したからだ。控え室で私たちの伝統楽器を見て不思議に思っていたミュージシャンたちが、公演を終えて戻ったら歓声を送ってくれた。そして、彼らと友達になった。

ヒョングン:もともと私たちは“メタルステージ”に立つ予定ではなかった。でも「Exit Festival」のディレクターであるイバンが、以前も中国で私たちの公演を見て「君たちはもっと強烈なステージに立ってもいい。メタルステージの方がステージも大きくて観客も多い」と言って、メタルステージに立たせてくれた。そのおかげでスラッシュメタルのバンドと一緒に公演することができた。とても楽しかった。

イル:本当に楽しかった。ヨーロッパのメタルバンドは衣装やパフォーマンスがユニークだった。十字軍の鎧を着てエクスカリバーのような長い刀と盾、そして斧を持ってステージに上がったり、ファイヤーショーを見せるバンドもあった。そのような公演の中で私たちはヘグムとコムンゴで公演を行った。ハハ。

―公演関係者や評論家たちはJAMBINAIの音楽が海外で脚光を浴びている理由として斬新さと親しみやすさを挙げている。伝統楽器が与える斬新さとロックの質感を持つ音楽の親しみやすさが上手く合わさったということだ。自分たちとしては、どうして海外で脚光を浴びていると思うか?

ヒョングン:最初は聞き慣れない楽器が与える音自体が好奇心を刺激すると話していた。しかし、それが好奇心に留まらず、音楽に繋がったのだ。ある関係者から「楽器が与える好奇心で魅了されたが、結局、君たちのファンになった理由は、JAMBINAIが持っている情緒に共感しているからだ」と言われた。

ウンヨン:私たちの音楽はメタル音楽のように強烈な部分もあるが、その中には穏かで繊細な面がある。そのような多彩な要素が、観客に緊張感を与え、公演に集中させるのだと思う。そのような理由で、公演が終わる頃にはみんな私たちに魅了されるのだ(笑)

―2ヶ月間の長いツアーを終えた気分はどうだったのか?

ボミ:「やっとキムチチゲが食べられる!」だった。意外にも最後の公演が終わったら、男性スタッフたちが泣いていた。

ヒョングン:私は泣いた。最後の曲として「Connection」を演奏していた時に演奏者と観客の表情を交互に見ていた。観客の表情に心を打たれた。実はこの2ヶ月間ツアーを続けながら、完璧に終えなければならないというプレッシャーがあった。私たちにとって本当に大きなチャンスだったから。だからツアーの序盤はJAMBINAIのメンバーたちを急かした。でも1ヶ月くらい経つと、JAMBINAIのステージを自然と信頼するようになった。そのような瞬間が頭にふと浮かび、感謝の気持ちと申し訳ない感情が重なって涙が流れた。

ボミ:今後もツアーのスケジュールがびっしり詰まっているので、泣く理由がない(笑)

―再来年まで海外公演のスケジュールが決まっていると聞いた。

ヒョングン:再来年の公演までオファーが入っている状況なので、スケジュールを調整している。とりあえず、今年12月のツアーまで確定していて、来年の夏のツアーは今年11月中に決まると思う。

―JAMBINAIの海外ツアーのエージェンシーを担当しているジェロム・ウィリアムズについて紹介してほしい。

ヒョングン:“Earthbeat”のディレクターであり、私たちの海外ツアーのスケジュールを管理している。Earthbeatは韓国のバンドとしてJAMBINAIと息(suːm)が契約を締結しており、その他にも日本、中国、モンゴルなどのバンドも契約を結んでいる。

―契約したバンドは主にどんな音楽をしているのか?

ヒョングン:それぞれ違う。主に自分たちの伝統音楽にロック、エレクトロニカなどをミックスしたバンドが多い。それは最近のワールドミュージックのトレンドでもある。

―JAMBINAIのスケジュールを見ると、初めて聞くフェスティバルが本当に多い。

イル:ジェロムの話によると、これもごく一部らしい。今年のツアーを終えて、来年の出演オファーがなかったらどうしようと心配した。それは、ほとんどのフェスティバルは同じグループを連続で出演させないからだ。でも、ジェロムが来年はさらに多くの国でツアーを行うことになるから心配いらないと言ってくれた(笑)

―個人的にJAMBINAIを初めて見たのは2011年、EBS「スペース共感」の新人発掘プロジェクトである「ハロールーキー」だった。

ボミ:あの時は今のように海外公演に参加できるとは思ってもいなかった。ただ「ハロールーキー」に選ばれただけで感謝の気持ちでいっぱいだった。

ヒョングン:ただ冗談のように話したことはある。海外のフェスティバルに行ってみたいと。ところが、それが現実になった。

―まだ韓国より海外の方で名前が知られている。

イル:韓国でも名前を知られて忙しくなりたい。皆、私たちのことを難しいと思ってるとか……。

ヒョングン:海外で公演しながら感じたことは、私たちの音楽を楽しむ年齢層が広いということだ。ヒップな音楽が好きな若者たちが気に入ってくれると思っていたが、いざ海外に行ったら、若者から高年者までファンになってくれた。音楽が簡単なのか、難しいのかを区別する前に、私たちの音楽を聞いてほしい。

―今後の計画は?

ヒョングン:9月と10月に中国・上海で公演を行う予定だ。11月からはニューアルバムのレコーディングに入る。12月には2週に渡りベネルクス2国とフランスをまわりながら10公演を行う予定だ。そして、1枚目のフルアルバム「差延」が12月にヨーロッパでLPレコードで発売される。

―ニューアルバムについてこっそり聞かせてほしい。

イル:ニューアルバムは暗い面をより浮き彫りにしようとした。ポストロックより、ドゥームメタルとエクスペリメンタルの音楽に近い。ヘヴィになるからと言って難しい音楽になるわけではない(笑) もっと原始的な音楽になりそうだ。

記者 : クォン・ソクチョン、写真 : ク・ヘジョン、写真提供 : JAMBINAI、翻訳 : チェ・ユンジョン