「世界で一番いとしい君へ」ソン・ヘギョ“興行とは程遠い?俳優は演技で説得するのが先”

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“トップスター=主演”という認識が一般的な韓国の映画業界で、今回のソン・ヘギョの映画出演は注目に値する。小説家キム・エランの長編小説「ドキドキ私の人生」を原作にした映画で、ソン・ヘギョは母親のミラ役を演じる。

小説のストーリーは、早老症(年齢のわりに早期に老化に似た病態を呈する症候群)で余命を宣告された少年アルムの視線と父親デス(カン・ドンウォン)の内面の成長を描くもので、ミラの役割は制限されるしかなかった。マスコミ試写会で公開された映画も原作とさほど変わらないものだった。公開直前まで誰がアルム役を演じるのかに関心が集まり、まだ観客には聞き慣れないチョ・ソンモクという俳優がその主人公になったことに疑問を抱く声もあった。

「映画の内容は十分に知っていました。私が母親役を演じたことでシナリオが変わったことは何もありません。映画で最優先になるべき人物はアルムだと思いました。カン・ドンウォンさんともどうすればアルムが目立つのかと話し合いました。ソンモク君をちゃんと支えて、溶け合うのが目的でした。

映画の演技にはまったく経験のない子でしたが、あの厳しいオーディションをパスしたので、上手くやってくれるだろうと思いました。イ・ジェヨン監督への信頼もありましたし。キャスティングの理由を聞いたら、無表情でいる時はカン・ドンウォンさんに似ていて、笑っている時は私に似ているとのことでした。3人が一緒にいるシーンを見て、本当に似ていると思いました(笑)」


「興行とは程遠い?俳優は演技で説得するのが先」

ソン・ヘギョはCMモデルやドラマなどを通じてとっくにスターになったが、映画では成績が振るわなかった。「僕の、世界の中心は、君だ。」を皮切りに「ファン・ジニ」、そして3年前のイ・ジョンヒャン監督の「今日」まで数本の作品に参加したが興行とは縁がなかった。ただ、彼女の作品選択が既存の商業映画で求める消耗的なイメージとは程遠いものではあった。

「意図したわけではありませんが、ブランクがありました。多くの方々が作品を選んでいるのだろうと考えていたようです。中国での活動もありましたし、イ・ジョンヒャン監督の作品以来、韓国映画をしたかったのですが、縁がありませんでした。今もたくさんの作品に出演し、休まずカメラの前に立ちたいのですが、韓国で女優が選べる役の幅は狭いです。それで時々重なるキャラクターを演じる時があります。ミラは最近私が演じた暗いキャラクターとは違って、明るく健気です。それが魅力的に感じました」


「自然な美しさが重要だった」

鍵は、自然に見えることだった。青少年の時に子供を産んで、子供の痛みを凛々しく抱いてあげる母親だったため、過度な感情は毒になるはずだった。感情演技についてソン・ヘギョは、「『彼らが生きる世界』の時の私の姿が好きだと言ってくださる方が多かったのですが、今回の作品こそ自然さが重要でした。友だちのような母親だったので、母性愛の演技はあまり負担になりませんでした」と話した。

カン・ドンウォンとソン・ヘギョ、二人ともイケメンと美人で非現実的な親ではないかという質問に対し、ソン・ヘギョは「幼いころにお互いに惚れるほどであれば、二人ともハンサムできれいだったんじゃないでしょうか」とはにかみながら笑った。

「カン・ドンウォン、ソン・ヘギョではなく、デスとミラに見えなければなりませんでした。デスは体育特待生で、ミラは歌手志望生だったので、そんな部分も活かそうとしました。方言演技は私の故郷が大邱(テグ)だったので、難しくはありませんでした。実は、デビューしたころは一生懸命に練習をして方言を直したのに、再び方言を話そうとしたら、なんだか慣れませんでした。映画では過去の回想シーンでだけ方言を使います。実は、私たちも仕事や外で活動をする時は標準語を使って、家族同士では気楽に話すじゃないですか。そのように解釈しました。

俳優はまず演技が先で、担当した役を説得力ある形で表現することが重要です。興行へのプレッシャーよりも、観客に楽しんでいただければありがたいことです。説得力がないと、私の演技が下手だったことになります。作品をするたびに、顔をきれいに見せようと考えたことはありません。今回は特に気軽だったのですが、画面を見たら、私の顔が大きいことは大きいですね(笑) 何しろカン・ドンウォンさんが小顔でもありますし」


「身に余る声援に感謝、よろしくない事件は自分が甘受すべきもの」

トップスターという修飾語がつき始めて十数年が立つ。青春スターとして注目されていたソン・ヘギョもいつの間にか30歳を越えている。これまで中国のジョン・ウー監督やウォン・カーウァイ監督のような巨匠に会って、女優として恵まれていることも実感した。20代には自分が中心で、わがままなところもあったが、時間が経った分ソン・ヘギョの内面も成熟していた。

「その中でも変わらなかったのは、私が雄大な夢を決めずに突っ走ってきたことです。縁があれば作品をして、そうやって今この場にいます。瞬間瞬間を頑張って、私を愛してくれる人と幸せに休んだりして、また仕事をする時は頑張るのが全部であるような気がします。

ウォン・カーウァイ監督とは4年間仕事をして、ジョン・ウー監督とは1年間一緒にしました。中国で活動する時は言葉も通じないし、ストレスを受けましたが、終わってみればありがたい時間でした。当時は正直、無駄な時間を過ごしているのではないかと思ったりもしました。でも振り返ってみると、無駄な時間なんてありませんでした。

これまで大きな愛も受けて、良いことも良くないこともありましたが、女優という修飾語に比べて、成し遂げたことは足りないような気がします。キャリアに比べて作品が不十分だと思います。最近、私の不手際によってよろしくないことがあって、がっかりさせてようで心が痛みます。私の個人的なミスによって映画に被害を与えてしまうのではないかと心配ですが、私への良くない視線も私が受け入れるべきことです。ただ、この映画だけは別々に考えて見ていただければと思っています」

ソン・ヘギョは、インタビューの最後に最近浮上した脱税疑惑に対して謝罪した。彼女の良き理解者は母親、そしてドラマで縁を結んだノ・ヒギョン脚本家だ。気持ち良い言葉だけ言うのではなく、女優として女性として良くないことがあれば苦言も惜しまないという。

「流れるままに生きなさい。自分のものでないものは欲張らず、手にしようとせず、手に取らない」…素晴らしい人生の師匠の教え通り、ソン・ヘギョも人々と心で向き合っていた。

記者 : イ・ジョンミン、イ・ソンピル