「バトル・オーシャン/海上決戦」大谷亮平、心が揺らぐ度に力を与えてくれたチェ・ミンシクの言葉

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簡単ではない選択だった。“スパイ”という言葉に動揺したのも事実だった。懸念やプレッシャーを乗り越え、選択した映画「バトル・オーシャン/海上決戦」(監督:キム・ハンミン、制作:ビッグストーンピクチャーズ)。戦争のようだったその時間を耐えたら、誇りという大事な勲章が残った。「バトル・オーシャン/海上決戦」で朝鮮側に立った日本軍兵士ジュンサ役を演じた俳優大谷亮平に会った。

「バトル・オーシャン/海上決戦」は日本軍の計略で王や朝廷から捨てられた李舜臣(イ・スンシン)が鳴梁でたった12隻の船で330隻に達する日本水軍の攻撃に対抗して戦った鳴梁海戦を描いた映画だ。韓国の人々に李舜臣が持つ意味は実に大きい。全世代で幅広く愛されている人物、李舜臣の価値や尊敬は偉人以上だ。

大谷亮平は映画に盛り込まれた意味や意図とは別として日本人であるゆえに「バトル・オーシャン/海上決戦」に乗船する前に悩みの時間を過ごした。いえ、むしろ彼自身より周りの人々の心配の方が大きかった。大谷亮平が「バトル・オーシャン/海上決戦」で演じた日本軍兵士ジュンサは、李舜臣将軍の武道に憧れ、投降して朝鮮側に立った人物だ。名分のない戦争を終え、日本に帰りたかったジュンサは自身の本音を隠したまま日本軍の決定的な情報や作戦を調べて李舜臣将軍に教える。

「シナリオを読んですぐ心配になりました。スパイじゃないですか、とりあえず。父も『よく考えて出演しなさい』と心配していました。それでもジュンサを演じるというプレッシャーとは比べ物にならないほど『バトル・オーシャン/海上決戦』の映画的な魅力に惹かれました。実は、僕が最初に務めることになったキャラクターはジュンサではありませんでした。僕が魅力的だと感じたキャラクターはジュンサだったのにです。数日後、監督から僕の役が変わったと電話がありました。ジュンサを日本人の俳優に演じてもらいたいと。そう決まって良かったです」

勇気と信念を持って挑戦した「バトル・オーシャン/海上決戦」だったが、周りから懸念の声が聞こえる度に心が動揺した。日韓関係も日々悪化していった。心が揺らぎ、寂しくなる度にチェ・ミンシクの一言が彼には大きな力になったという。

「チェ・ミンシク兄さんが『君に何かあると、すぐに駆けつける』と何度も話してくれました。ビザの問題があれば、すぐに話してほしいと、助けてあげたいと。チェ・ミンシク兄さんってそこまで力があるのか?とも思いましたが(笑) とても頼もしかったです。撮影中に日韓関係に関するニュースが報じられる度に『全然気にしなくていい。君はうちのメンバーだ。僕たちは君の味方だ』と勇気付けてくださいました。本当に感謝しました」

ドーナツのCMで韓国芸能界に顔を知らせ、2006年のMBCドラマ「ソウルメイト」で正式デビューして今年で9年目になる大谷亮平。彼の俳優としての人生において「バトル・オーシャン/海上決戦」が持つ意味について質問すると、しばらく静寂が続いた。そして本音を慎重に込めた本心を聞かせてくれた。

「正直、日本の人々は李舜臣将軍についてほとんど知りません。僕もシナリオを渡されてから勉強をして知りました。『バトル・オーシャン/海上決戦』は僕にとってどんな意味でしょう。上手く説明できません。日韓問題がある中で、日本人である僕がこの映画に出演できたということにとても誇りを感じています。これから俳優として活動する中で、『バトル・オーシャン/海上決戦』の一員だったということがすごく力になると思います。日本人である僕がその船に乗っていたということに誇りを感じます」

―映画を見た感想は?

大谷亮平:公開日に、日本人の友人数人と一緒に見た。日本の人々は李舜臣将軍についてよく知らない。僕が先に背景について説明してあげたら、幸い理解してくれたようだった。友人たちは日本語の台詞しか聞き取れないが、面白かったと言っていた。特に、海上での戦闘シーンが興味深かったようだ。

―映画を見るだけでも、苦労をしたのが切々と伝わった。実際の撮影現場はどうだったのか。

大谷亮平:数十人の俳優たちが船の上で演技をした。主演も助演も小さな役を演じた方々も本当に最善を尽くして演じた。実は、僕は現場では末っ子同然だった。チェ・ミンシク兄さんもあれだけ頑張っているのに、僕なんかが疲れると愚痴をこぼすことはできなかった。果たして僕は将来、兄さんたちのように演技をすることができるのだろうかとすごく反省した。幸いなことに、苦労して撮ったのが映画にきちんと描かれていて胸がいっぱいだ。死ぬほど苦労をしても、映画ではあまり感じられない場合もある。そういう時は、少し気が抜けてしまう。

―鎧のせいでとても苦労したと聞いた。

大谷亮平:そうだ。本当にすごく重い。みんな現場では鎧を着たくなくて、仕方なく着るくらいだった(笑) スタッフが「鎧を着てください」と何度も言うまで、聞こえないふりを最後まで貫いた。仕方なく鎧を着てからは一旦座って休む。大体午前6、7時から撮影が始まるが、鎧を着ただけで何もしていないのにすでにすごく疲れてしまって。するとまた「船に乗ってください」というスタッフの声が聞こえないふりをして座り続ける(一同爆笑) そうやって船に乗ってからもまずは座った(笑)

―撮影中に負傷も多かったと聞いた。

大谷亮平:常に救急車が現場にいた。スタッフがリハーサルを始める前に、まず先に言うのが「ここに怪我人がいますか?」だったほどだ。チェ・ミンシク兄さんも声を上げるシーンを撮影する途中で気絶してしまったし、キム・ハンミン監督も一度倒れた。「バトル・オーシャン/海上決戦」の撮影中に最も大きな怪我は僕がしたけれど(笑) 刀に刺さって耳が切れてしまった。本当に危険な状況だった。みんなある程度の怪我は我慢して演技をする雰囲気だったが、これは本当に感じが違っていた。すぐに救急救命センターに行って、縫合してもらった。それから刀が出るシーンは撮るのが怖かった。身体的に辛いというよりも、心理的に固まって辛かった。

―そこまで大変な撮影現場に耐えられた原動力は何っだたのか。

大谷亮平:李舜臣将軍だ。韓国人にとって李舜臣という存在はすごく大きいのではないか。きちんと作らなければいけないという誇りとプレッシャーがあった。2番目はチェ・ミンシク兄さんだ。本当に小さな役の俳優さんやスタッフにも一人一人声をかけて元気付けた。壁をなくすために、わざわざそうしたのだと思う。チェ・ミンシク兄さんが座って休んでいるところは見たことがない。チェ・ミンシク兄さんの配慮で一つになって、それに従おうという雰囲気が自然とできていた。僕にとってはチェ・ミンシク兄さんの姿がそのまま李舜臣将軍だった。

―「バトル・オーシャン/海上決戦」を撮影しながら、李舜臣将軍について受けた印象は?

大谷亮平:12隻の船で330隻の船に勝利したという事実そのものが不思議だった。いかに渦巻きを利用したとしても、それがどうやってできたのだろうと気になった。日本の教科書を調べても詳しくは分からない。映画を撮影しながら、李舜臣将軍の精神を学んで、鳴梁海戦がようやく理解できた。

―日本水軍の来島通総(くるしまみちふさ)、脇坂安治(わきざかやすはる)、百々(どど)についてはある程度事前に知っていたのか。

大谷亮平:脇坂や百々はとても有名だ。来島についてはあまり知らなかったが、父は知っていた(笑)

―キム・ハンミン監督、リュ・スンリョンとは「神弓 KAMIYUMI」(2011年)以来2度目の撮影である。

大谷亮平:まずキム・ハンミン監督は僕にとって、とてもありがたい方だ。すごく僕を大事に思ってくださって、感謝している。リュ・スンリョン兄さんは「神弓 KAMIYUMI」以来、言葉通りのスターになったので、相当変わっているのではないかと思っていたのが全然だった。変わりなく気さくに接してくださってありがたかった。

―韓国で芸能活動をしながら偏見のせいで大変だったことはあるのか?

大谷亮平:幸いなことに一度もなかった。日韓関係が悪化する度に「気にしないで」と話してくださる方が多かった。その中の一人がキム・ハンミン監督だ。「君が日韓関係の架け橋になれる」という言葉に本当にとても勇気付けられた。

―日本で芸能活動をする予定は?

大谷亮平:もちろん思っている。だが、それは思いだけでできることではない。まずは韓国でもう少し基盤を整えたい部分がある。昔は言葉のせいで役に制約が多かったが、最近はずいぶん良くなった方だ。今は僕にできるキャラクターを逃すと残念だし、欲も出てくる。初めて韓国で芸能活動を始めたのがほぼ10年前だが、あの時とは僕自身も、韓国の芸能界の環境もとても変わったことを感じている。不思議にも思うし、感謝している。

記者 : キム・スジョン、写真 : キム・ジェチャン、映画「鳴梁」スチール