神話 ミヌ、ほろ酔いインタビュー“SM時代からダンス&作曲にかける情熱…そして神話まで”

OSEN |

神話のミヌは本当に多芸多才だ。ダンスで世間に知られ、歌や作曲までして、プロデューサーとしても定着した。いずれも音楽という大きな枠の中にいるが、お互いに関連性があるように見えながらもそれぞれ異なる才能を要するもので、一人がこの全てをこなすケースはそれほど多くない。

神話のステージのセンターに立ってカリスマ性溢れる眼差しを披露し、神話全体のイメージを左右してきたミヌは、いつの間にか今年で11周年を迎えたソロ歌手のMで、神話のアルバムをプロデュースする立派なベテランミュージシャンになった。そんな彼が最近、初心に戻って存分に楽しんでいることがある。それは、Mnet「ダンシング9」だ。久しぶりにダンサーのミヌを全面に押し出した彼は、参加者のダンスを見ながら自分がもっと興に入ってお尻を動かし、歓呼を上げながら再びダンスの魅力にハマっている。

神話のメンバーの中でも結構お酒が強い方である彼は、休まずお酒を飲みながらもびくともしない体力を誇り、自身のダンス、音楽、そして神話について色々と話してくれた。彼は非常によく知られたスターだが、学生時代の話、作曲の裏話などは新しくて面白かった。以下は思ったより能弁でそれほど編集も要らなかった、ミヌとお酒を飲みながら行ったインタビューの全文である。インタビューは彼の行きつけの店である新沙洞(シンサドン)の“ケパン5分前”で行われた。

「ダンシング9」シーズン2、何があってもやると言った

―ミヌと言えば3つのテーマがあります。プロデューサーのミヌ、ダンサーのミヌ、神話のミヌ。何から始めましょうか?

ミヌ:ダンサーミヌから始めましょう!

―「ダンシング9」はもちろん面白い番組ですが、シーズン1が期待したほど爆発的だったとは言えないじゃないですか。それで、シーズン2に入ると聞いた時、実は少し驚きました。

ミヌ:シーズン1が期待以上になってほしいと思ったことは事実ですが、それでも期待以下ではありませんでした。僕自身にも躍ることを夢見させてくれる番組でした。ストリートやK-POPジャンルだけに接してきましたが、純粋舞踊であるクラシックを見て「クラシックってこんなに魅力的なジャンルだったんだ」ともう一度感じ、その魅力にハマってもう一度踊りたいと思うほどでした。

―だから、あまり悩まずシーズン2に合流したんですか?

ミヌ:はい。シーズン2も何があってもやると僕が先に言いました。「ダンシング9」によって得られたものはまた別にあります。ダンスの最高実力者たちと親交を深めたことが、僕にとっては本当に大きなプレゼントでした。昨年付き合った人たちの中で、非常に嬉しかった出会いでした。単純に親しくなったと言えるものではなく、「ダンスが好きな人々って、本当に気が合うんだな」と思い、感謝しました。

―クラシックの魅力は何でしたか?

ミヌ:美しさ?ボディラインが本当に綺麗です。

―私にはちょっと難しいですね。例えば、ホ・ガクが歌うのを聴くと誰もが上手だと思いますが、(彼にとって) 実際に踊ることは難しいかと思います。歌よりなじみが薄いためなのでしょうか?

ミヌ:歌は聴くものです。聴いた時、歌のメロディには起承転結があって、ハイライトに至ると鳥肌が立って感動するじゃないですか。ダンスも同じです。ただ見るのです。歌手が本気で歌うように、ダンサーも本気で踊れます。非常に爆発的なものがあります。鳥肌が立って突然お尻が動いてしまい、「これは何だ?」と思いながら拍手を受けて。僕の内面が狂っていくことから出てくる興奮?鳥肌?そんな感動?そこで、マスターキーを回して選抜者を選びます。

―後輩グループも結構参加しました。

ミヌ:ステージに立つ機会が多くなかったため、出ることになったそうです。とても痛ましい話でした。世代が変わりましたね。うちの世代はステージに立つ機会も多かったし、音楽番組もその時がもっと活性化されて楽しい感じがあったんです。今は本当に工場で作られたように出てきて、人気がないと処分され、もう一度作られる速度がとても早いから。今はフルアルバムに何ヶ月も力を入れて数ヶ月間活動する時代ではないでしょう。今は1曲だけ持って出てきて活動するのは4週間、長ければ8週間ですが、ほとんどが3~4週間です。そこで驚きました。こうして挑戦する後輩たちの意志がすごい、いい結果を出して欲しいと願いました。

ダンス、自分の影を見ながら練習した

―それでは、立場を変えて今ミヌさんのダンスの実力は本人の全盛期と比べたら何パーセントですか?(笑)

ミヌ:どんどん向上していますが(笑) 今が花盛りですが!ダンスにもキャリアが重要です。

―すみません(笑) 経歴はいつからだと見ていいですか?

ミヌ:実は、踊りはじめて30年です。本格的に踊ったのは小学校4年生の頃からです。その時は本当に狂ったように練習し、音楽が好きでひたすら踊っていたと思います。テレビを見て、教本がなくてヒョン・ジニョン、ソテジワアイドゥル、DUEX、ニュー・キッズ・オン・ザ・ブロック、マイケル・ジャクソンなどをすごく熱心に見ていました。

―その時はYouTubeもなかったでしょう。

ミヌ:そんな資料を簡単に見られなかったので、有線放送の社長に電話をかけて一回だけ流して欲しいと頼みました。小さな町だったので、流してくれました(笑) それを録画して見ながら練習しました。母が美容室をしていたので、鏡が多かったです。それを見ながら練習したのですが、母が働く時は出ていかなければならないので、広い公園や橋の下、街灯の下で影を見ながら練習しました。影を見ながら練習したことが一番多いです。

―私はダンスが苦手なので本当に気になるのですが、映像を見ればすぐ身体で動きを表現することができますか?それって才能でしょう?普通の人はいくら見てもできないのに。

ミヌ:練習を重ねました。遺伝もあるのかな?父がとても運動好きです。母も体が柔らかい方で。10年以上エアロビクスをしています。ダンススポーツを習ってほぼ8年です。どうしても母の才能が遺伝しているようです。

―なるほど。それでは、親子で一緒にダンスを楽しむこともできるでしょうね。

ミヌ:たまに家で「お母さん、ダンススポーツ何習った?」と一緒に学びながら踊ることもあります。

―ダンスの才能があることに気づいたのはいつでしたか?

ミヌ:幼い頃から唯一の友達だったと表現すべきでしょうか。幼い頃は勉強への圧力があまりなかったです(笑) 小さい頃、遊びといえば友達との水遊びと玉遊び、メンコ遊びが全てでした。僕は唯一踊ることが楽しかったです。友達にも教えてあげたりして。それで、僕が正式にチームを作って大会に出て賞金をもらい、小遣いも稼ぎました。そんな風に高校時代まで。自然に。全州(チョンジュ)芸術高校は新設校で、当時はあまり知られていませんでしたが、僕がチームを作って入賞してきたので先生たちも喜びました。

―どんなチームでしたか?

ミヌ:Diky Dockyというダンスチームを作りました(笑) 踊る楽しい人たちの活力溢れる集い、場所。実は別に意味はなかったです(笑)その時から僕がスケジュールを決めて録音を聞いてみて交渉しました。

―交渉ですか?

ミヌ:出演料はこれ位はもらわないといけない、4人だから偶数に合わせなければならないと言いながら出演料も要求しました(笑) 少なくても20万ウォン(約2万円)ほどでした。

―両親が心配されたと思います。もちろんお母様もダンスがお好きですが、内心「あの子、ずっと踊ってたらどうしよう」と思われたでしょう(笑)

ミヌ:僕にはたった2つの才能があります。僕はちょっと手先が器用です。何でもうまく直します。母のドライヤーが故障したら、解体して直してあげました。また、絵を描くことがとても好きで、大会にもたくさん出ました。全羅道(チョルラド)の大会に出て金賞ももらったし、それ以外にも賞をたくさんもらいました。学校の休みの宿題でポスターを描けば、いつも廊下に掛かっていました。絵を描くととても気楽で、集中するにもよかったです。

―美術専攻の学生、いいじゃないですか?

ミヌ:しかし、諦めたきっかけがあります。父が盆栽が好きで趣味でした。それで、家に盆栽がたくさんありました。本当に綺麗なもの、蘭、ミニチュアの木などです。ちょうど夏休みの宿題で自分が住みたい家を作るというものがありましたが、その家の庭に木が必要でした。それで、砂をまいて盆栽を切りました(笑) 本当に完璧だと思って父に見せましたが、その時父は「どこかでよく見たものだな」と言いました。ハハ。本当に死ぬかと思いました。たくさん殴られました。

―それで、もう一つの才能であるダンスを選びましたね(笑)

ミヌ:はい。

―ところで、当時はダンサーは悪く思われたでしょう?誘惑も多かったと思います。

ミヌ:幼い頃は僕の周りに僕以外踊る人がいなかったです。それで、僕一人で道を作ることができたと思います。誰かに連れて行かれて踊ったわけではなく、僕が作って僕がリードする形だったので、可能だったと思います。


反抗児?母の仕事を手伝う善良な学生

―それでリーダーになった?ところで、今見たらカリスマ性があるのでちょっといじめたりもしたような気がします(笑)

ミヌ:今もイ・ミヌと言ったら色々とトラブルを起こしてそうだとおっしゃる方々がいらっしゃいます。

―何だか反抗児のオーラがあります。

ミヌ:その通りです。しかし、全くそうではありませんでした。母の仕事も手伝い、ニンニクもたくさんつぶし、ネギの根も結構切りました。昔はそういった話を聞くのが好きでしたが、ある瞬間「あ、これは違う」と思いました。本当の僕はそうじゃないので。それで「ジャングルの法則」での僕の姿や、神話としてお見せした僕の姿のいずれも、10年間共にしてきた人々は分かっています。やっと少しずつ僕の姿をお見せできるようになった気がします。

―それもそうですが、まだ神話のステージの真ん中で強烈な眼差しを見せる姿が強く印象に残っています。それで、学生時代もちょっと遊んでたみたいな感じがしますし(笑)

ミヌ:成績も上位でした!成績優秀賞を何回ももらいました。

―信じられません!

ミヌ:嘘じゃありません!

―この前のインタビューで、チョンジンさんは数学大会に出たと言いました。

ミヌ:僕は科学大会に出ました(笑) 作るのが上手だったので。勉強が嫌だと思ったことは一度もなかったと思います。なぜなら、授業の時間は実は退屈で面白くないかもしれませんが、今じゃなきゃ駄目だということにその時気づいたようです。なので、勉強する時はします。そして、試験の時は本当に必死に覚えます。

―いつまで一生懸命やりましたか?

ミヌ:高校1年生から2年生に上がる時まで?その後は歌手、練習生になりました。

―そこまでダンスが上手だったなら、歌手になれると思っていたでしょう。ダンスで足跡を残す考えで。

ミヌ:いいえ。僕がなぜ歌手になりたいと思わなかったのか、それが不思議です。「誰でもできるものではない」とその時少し感じたようです。ダンスはやってましたが、歌には触れたことがなかったです。真似はしてみましたが、歌のことまで考えたことがなかったからか、とにかく高校1年生の時にオファーを受けて「やってみようか」と思ったのですが惨めに裏切られ、また裏切られました。

―変な企画会社に入りましたね。

ミヌ:契約はしませんでした。しかし、色々なところから裏切られることが多かったです。


運命のようなSMキャスティング

―それで、諦めましたか?

ミヌ:それでもダンス大会にはたくさん出ました。高校に入ってからは創作ダンスが好きでした。その前は歌手の真似をすることが好きだったんです。高校に入って創作ダンスをしてから、だんだん作っていくことの喜びを感じたと思います。実は「解決士」のダンスに僕が高校時代に作ったダンスがほとんど入っています。そんな風にダンスを作りながら楽しんでいて、僕の夢は全て諦めました。裏切りの連続でしたので。ところで、ある瞬間ここで諦めてはいけないと思いました。その中で「僕たちは高校3年生で大学にも行かなければならないから、最後に一度だけ行こう」と言いました。賞金も結構なものでした。500万ウォン(約50万円)だったでしょうか?その大会に出て、SMエンターテインメントにキャスティングされました。

―それが人生を変えましたね。

ミヌ:人生を変えたのは1枚のCDでした。僕たちがうっかりCDを持ってくるのを忘れてしまいました。そのCDを探しに大学路(テハンノ)にも行ってみましたが、そこにもなかったんです。受付できないだろうと思いました。それで、ソウルに来たついでに見物でもしようかと思ってダンス大会が開かれている場所に行きましたが、そこにCDショップがあってその音源がありました。やっと並んで参加して、決勝に進出した8チームの中に入りました。

―もしその時にCDショップを見つけられなかったら?

ミヌ:今の僕もなかったでしょう。だから、ツイていたと思います。切実なものもありましたし。1次予選を通過して2次予選に入る前に靴紐を縛っていた時、SMの名刺が僕に届きました。その時、SMの取締役が審査しましたが、僕たちを見て本当に気に入ったチームだと言いました。

―キャスティングされたわけですね!

ミヌ:2回の予選を終えて、一緒にご飯を食べましょうと言われてご飯を食べて、その時SMの事務所に行きました。テレビで見た事務所を直接見ることができて、とても不思議でした。実はH.O.T.のファンでした。本当に夢かと思いました。ダンスの映像やプロフィール写真を撮って故郷に戻りましたが、すぐに連絡が来たんです。歌を歌って録音テープを送ってくれと言われました。カラオケに行って、エコーを除いた生の声が聞こえるように録音しました。

―すぐに契約しましたか?

ミヌ:母と父に良いプレゼントをあげると話して、呼んで契約書を書きました。そして、次の日から宿舎に来てほしいと言われました。

―練習生の中でもダンスは目立ったでしょう?

ミヌ:まあ、偉そうな話はしたくありませんが(笑)

―正直に!(笑)

ミヌ:他の練習生が数ヶ月かけてやったものを、たった3日でやりました!(笑)

―仮に私がこの記事を見ている中学生だとしましょう。私はダンスがとても好きですが、見てすぐに真似することはできない。才能はないと思うと言ったら、諦めた方がいいですか?それでもやった方がいいですか?

ミヌ:簡単に諦める性格ならすぐに諦めると思いますが、僕は諦めませんでした。あるテクニックがあれば、例えばウインドミルだとすれば、それができるまでしました。やったらできたんです。誰しもただ見てそれを一人でトレーニングしようとすれば大変です。しかし、専門家から学んでトレーニングすればできると思います。僕はただ、一人で練習するのが楽だっただけで。誰でも何か画期的な動作を見た時、それをキャッチして頭に叩き込んで動いてみて身につける時間が必要です。ところが、そこである程度それを自分のものにすれば、やりがいを感じるんです。歌と同じです。ひとまず、自分が本当に好きなダンサーをメンターにして、できるだけそのダンサーと同じように踊ってみようと思えばいいです。歌も自分が好きな歌手の歌い方を真似する、そんなことってあるじゃないですか。そうしているうちに、自分のスタイルも見つけられることになります。

―難しいですね。歌は練習すれば上手くなるような気もしますが、ダンスは本当に別世界という感じです。遺伝子が違うのではないでしょうか?

ミヌ:何も分からない子を1年間教えて上手になりました。それができるんです。

―それでは、一般の人々もその気になればできますか?(笑)

ミヌ:ギターが弾けない人も1年くらい弾けば上手になりますね。それと同じです。

作曲もするダンサー

―もっと不思議なのは、ダンスでSMの練習生を押さえて(笑) 歌手になりましたね。また、デビューした頃はダンス歌手でしたが、作曲は違う分野ですよね。

ミヌ:H.O.T.の宿舎に遊びに行ったことがあります。ところが、それぞれの部屋に宇宙飛行船のようにキーボードがありました。それだけ見ると、宇宙操縦室のようでした。そこで、スペースバー一つを押すだけで音楽が流れるのを見て刺激を受けたようです。それで、ヨンジン兄さんの元を訪ねました。作曲したいと言いました。そうすると「そう、ではやりなさい」と本当にきっぱり言いました。何から始めればいいかと聞いたら「お前も踊るだろう。僕もダンサーだったこと知ってるだろう?」と言いました。

―あ、そうなんですね。

ミヌ:はい、ダンサーでした。ターン1回につき13回転で有名でした。伝説です。兄さんが「お前はリズム感があるからリズムをうまく作れると思う」と言いました。そして「実は有名な歌手たちの作曲家たちを見ても、コードは分からない。しかし、不協和音や音は皆分かっている。だから自然にできそうだ」としながら「やってみなさい」と言ってくれました。そして、装備が高いから全部備えて使わない方がいいとしながらノウハウを一つずつ教えてくれました。キーボードはジェウォンがプレゼントしてくれたし、コンピューターは僕の幼馴染が組み立ててくれました。そして、前借りしてサンプラーとモジュールを買って独学で始めました。神話の1stアルバムを終えてからでしたので、20歳の時でした。

―何か作るのが好きだから、全部繋がりますね。歌もこつこつと作るものでしょう。初めて作った楽曲、覚えていますか?

ミヌ:創作ではなく、作曲ノウハウの中に好きな曲のサウンドを同じように作ることがあります。その曲を聴いたらどんな音が聞こえるかを分析し、音を一つ一つ探してペンで書くのです。それを一つずつやって、リズムから書いて、同じ感じを与えるソースを探して作るのです。それを作って、聞こえるコードを入れなさいと言われました。歌のタイトルは思い出せませんが、あるヒップホップ歌手の歌でした。その時3日も徹夜しましたが、全く疲れませんでした。作業することが。メンバーたちが来て何してるのかと聞いてくれば、聞かせてあげました。すごくみすぼらしい宿舎での僕の作業空間でしたが、全てを持っているような気分でした。完成してヨンジン兄さんに電話して、とても面白いと伝えました。

―その次の段階は?

ミヌ:「好きな楽曲を一つ選んで、そのようなスタイルの楽曲を作ってみなさい」と言われました。それで作ってみたのが神話の3rdアルバムにある「Soul」です。

―へぇ~ 初の自作曲がそのまま入ったんですか?

ミヌ:色々なスタイルをやってみましたが、メンバーたちが「これがいい。僕はあれがいい」と言ってくれて、その中で多くの支持を得たのがその曲でした。その時は学ぶのがとても面白かったです。ベースに「うん~」というソースがあります。ところが、鍵盤を押すと「うん~」と音がします。「Soul」を聞いてみたら、そのソースが入りました。そんな風に学んで聞いてみました。聞いて分からなかったら、作業室に行って教えてもらいました。

―彼らの立場から見ると、20歳のアイドルスターなので真剣に見てくれなかったようです。

ミヌ:イ・スマン先生は僕たちが作曲することがとても好きでした。創作をするわけですから。H.O.T.の頃からそうでした。それで、こうやって作曲しているうちに100曲を超えました。正確に何曲かは分かりません。

―なぜこんなに多才なのですか?(笑)

ミヌ:僕が少し混乱していました。あまりにも作曲ばかりしていたら、ダンスへの情熱が冷めていきました。しかし、良いメロディが出てこない時にまた特性があります。立ち上がって僕が作曲するパターンをプレイした後、踊りながら歌うと出てきます。それを録音しておきます。一人でそうします。人が見たら狂ったと思うでしょう。

―ダンスと作曲は全く違うように見えますが、繋がっていますね。

ミヌ:難しい説明ですが、僕たちが一般的なビートに歌を入れれば幼稚になるでしょう。しかし、その中に分けることのできるメロディがあります。これをダンスで表現できるから、さらに良いものが出てくるようです。リズムは決まっていますが、そのリズムの中で身体を使って分けながらそのビート感を自然に表現できるからです。

―ああ、自分の体が数個のビートによって動くから?関連性がありますね。

ミヌ:それで、こうやってじっとしている時はあまり出てこないんです。立って動かないと。カリスマ性のある楽曲を書くときは、服を全部脱ぎます。母が入ってきて「おかしいよ、何やってるんだ」と言うと、僕は「お母さん、冷蔵庫に焼酎ある?」と聞きます。そうやって作ったものです。踊りながら作る時がさらに上手く作れます。

―それで、ダンスも相変わらずだと言ったわけでしょう?普通よく知らない人は「30代、40代がどう踊るんだ?」と思うでしょう。

ミヌ:僕は今も刺激されています。もちろんミヌと言えば人々が先にダンスを思い浮かべるので、悩んだ時もあります。「僕は歌も歌うし、作曲もしているのに……ヒット曲がないからか?」と思ったこともあります。

―ミヌさんの歌は、トレンドの一歩先を行きますね(笑)

ミヌ:ハハ。でも、もうダンサーミヌと考えても良いと思います。なぜそんなことが嫌だったのでしょうか?その時はまだ分からなかったんだと思います。「ダンスのイメージ一つがとても良いものなんだ」と感じるようになりました。

―だから、歳とダンスは何の関係もないということでしょう?

ミヌ:歳とダンスは関係ないですね。年を取ったことでダンスの実力が落ちたりはしません。自分の歳を考えて隠れるだけだと思います。もちろん、歳に合わせてすることはできるでしょう。僕は今回の「TAXI」の活動でそうしました。前の床を壊すようなパフォーマンスも、今したら「苦労してるな」と思われることもあるでしょう。余裕を持った方がいいということです。それに合わせてやるのです。だからといって、そんなダンスができないわけではありません。ダンスというのは僕の身体に大きな異常が発生しない限り、自然に維持できると思います。僕にとって一番の良き友であり、僕が一番楽しめる瞬間だからです。

神話、もう“恐れ多くも”神話になる

―あ、ところで神話のカムバックが来年に延期になったたそうですね。少し残念なのが、昨年神話が良いスタートを切って今年、90年代のアイドルたちであるgod、Fly To The Skyが活動を再開したじゃないですか。神話も一緒に出たらいいのに、惜しくないですか?

ミヌ:いいえ、僕たちの活動にそんなに意味を与えてくれるだけでありがたいです。特に、godは僕たちと一緒に活動したでしょう。キム・テウさんが今回のカムバックと関連して色々聞いてきました。どういう風に助けてあげられるかと思い、説明もしたりしました。

―過去のアイドルが相変わらずホットで嬉しかったです。「うちの世代も死んでいない」という感じ?さて、神話の道はどうでしょうか。主にアルバムのプロデュースをしていますが。

ミヌ:一生懸命頑張って、神話の前に“恐れ多くも”という言葉を付けたいです。「さすが神話だ」「相変わらずなところを見ると、さすが神話だ」という話はたくさん聞いたでしょう。後輩たちにも言われましたし。もう“恐れ多くも”が前に付く、群を抜いた感じ(笑)

―長寿グループ、その次の段階ということでしょう?

ミヌ:神話は止まってはいけません。ずっとキャリアを積んできたから責任も重くなりました。

―それはそうでしょう。音楽界全体が神話に責任を負わせています(笑)

ミヌ:「僕たちが本当によく守ってきた。もっときちんと、素敵に守っていかなきゃ」という気持ちになって責任が重くなりました。神話は毎年出でいかなければなりませんが、今年はそれを守れなかったので、ファンにも非常に申し訳ない気持ちがありました。実は予定は下半期でしたが、より良い神話の活動のために来年を目処にすることがベストだと思い、来年初め頃から長く活動する計画です。良いものがあるならずっとやって、長期的に見てユニットが必要な時はそういう風にするし。アジアツアーを皮切りにワールドツアーまでやる予定です。実は、ソロ活動より神話の活動がもっと面白いです。

―それでもソロ活動がもっと面白くないですか?

ミヌ:違います。バラエティも早く神話のメンバー全員が出れる機会があればと思います。

―普段お酒を飲むとふざけてしまう方なので心配しましたが、今日はたくさん話ができたと思います。

ミヌ:僕、すでに芸暦16年です(笑) 状況にうまく合わせられます。キツネですよ(笑)

記者 : イ・ヘリン、ソン・ミギョン