シン・ウォンホ監督「『応答せよ1994』は失敗してもともとだった」

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前作より優れた続編はあった。tvNドラマ「応答せよ1994」がそうである。シン・ウォンホ監督がもう一度世間を騒がせた。「応答せよ1997」に続き「応答せよ1994」で連続ホームランを記録したのだ。

「応答せよ」シリーズは1990年代のアナログ感性を再現したレトロ風ドラマで、「応答せよ1994」は「応答せよ1997」(2012年7月24日~2012年9月18日放送)に続く「応答せよ」シリーズの第2弾だ。シン・ウォンホ監督やイ・ウジョン脚本家など「応答せよ1997」の制作陣が再びタッグを組んだ。

「応答せよ1994」の成功は全く予想外のものだった。前作である「応答せよ1997」ブームがあまりにも激しかったため、同じ題材が2回連続で通じるとは誰も思わなかった。しかし、予想外の展開が起きた。「応答せよ1994」は「応答せよ1997」の最高視聴率7.6%(ニールセン・コリア)を放送5週で軽く更新しながら最終回は平均視聴率11.9%、瞬間最高視聴率14.3%を記録した。

―「応答せよ1997」のプレッシャーが大きかったと思う。どうやって克服したのか。

シン・ウォンホ:プレッシャーはあるしかない。予想せぬきっかけでその重荷を下ろすことになった。脚本家たちと会議をしていたら、ふと「私たちは今何を考えているのか。新しいものを作るための強迫観念に取りつかれているだけではないか」と思った。そうする必要がなかった。どうせ「応答せよ1997」も私たちが作ったものだから。「応答せよ1997」を超えようとするほどプレッシャーは大きくなった。かえって昨年通りにしようと思った。プレッシャーは少しも残さず、“面白さ”だけに専念しようとした。

―「応答せよ1994」は成功できないという意見が多かった。内部ではどのように思っていたのか。

シン・ウォンホ:キャスティングのラインアップが公開されると記事の書き込みが尋常ではなかった。否定的な意見が大半だった。むしろ良かったと思った。これが逆転すれば大ヒットにつながると思った。おかげで残っていたプレッシャーも全部なくなった。失敗してもともとだったからだ。もし失敗したらこう言えば良い。「皆さんの言う通りでした」って。

―キャスティングのラインアップが斬新だった。誰も考えられなかった組み合わせだった。

シン・ウォンホ:ケーブルチャンネルという媒体の限界もあるし、まず私たちにとってトップスターは重荷だった。そうしているうちに別の方向へ目を向けるようになった。「応答せよ1997」がヒットしたからキャスティングは簡単なのではという期待もあったが、逆に「またできるのか?」という疑問も多かった。イ・ウジョン脚本家と私は“面白さ”を追及する。クリエーターの突飛な本能というか。何もない人を“スター”にする、その“逆転”がいい。KBS 2TV「ハッピーサンデー-男子の資格」や「ハッピーサンデー-1泊2日」のバンド、プファル(復活)のキム・テウォンさんやトゥゴウンカムジャ(Hot Potato)のキムCさんのように。一番重要なのはその人物の持つ雰囲気だ。うちの番組はみんなで楽しく遊ばなければならないため、違和感を放つスターは適切じゃなかった。

―デビュー10年目を迎えるAraのキャスティングは挑戦だった。“悪党”イメージのキム・ソンギュンも同じだった。

シン・ウォンホ:着ていると脱がせたいし、脱いでいると着せたくなる。Araは何も着ていない子だったし、キム・ソンギュンは真逆の服とウィッグまで着用していた。この二人の爆発力が気になった。Araの場合、彼女の涙に騙されたと言っても過言ではない。顔が綺麗だから最初はソン・ナジョン役として考えていなかった。ソン・ナジョンは誰が見ても平凡なルックスでなければならなかったからだ。女性視聴者の共感を得る必要があった。Araにもっともっと壊れなければならないと言った。実際、俳優たちが言う“壊れる”と私たちが思うそれは異なる。おならをしたり、鼻をほじったりするくらいじゃないと本当のイメージチェンジではないと思う。Araには不本意ながらも毒舌を吐いた。君には何の印象もないと……。「四捨五入(パンオリム)」以来、記憶に残っている作品がない。今後10年間くらいはCMで食べて生きていくことは可能だろうと慰めた。すると、いきなり泣き出した。自身の悩みとまったく同じだと言った。その子の真心が感じられた。確信のないままAraをキャスティングしたが演技で報いてくれた。“度を過ぎた”と言ってもいいほど壊れた。爆発力がすごかった。Araがちゃんと壊れてくれたおかげで「応答せよ1994」が序盤のポイントを掴むことができた。

キム・ソンギュンは彼が出演した映画を見てインスピレーションを受けた。会社の近くにポップコーンも売ってない小さな映画館がある。会議がうまくいかない時は映画を見に行く。その時見た映画でキム・ソンギュンに注目した。新しい姿をプレゼントしたかった。“サムチョンポ”は無条件にキム・ソンギュンのものでなければならない、他の人ではだめなものだった。主に殺人者役を演じてきたが、実際は大人しくて優しい性格だった。“サムチョンポ”にピッタリだった。

―その日映画を見て、ソン・ホジュンも“発見”したと聞いた。

シン・ウォンホ:ハンサムだけどハンサムなふりをしない人が必要だった。実際、ソン・ホジュンは「応答せよ1997」の時もキャスティングリストに名前があった。除隊したと聞いて、もう一度会ってみた。全羅道(チョルラド)のなまりができる人物が必要だったが、ちょうど順天(スンチョン)出身だった。さらにハンサムな顔が魅力ポイントだった。イケメンなのに声を上げて笑ったり、女性にふられるという“魅力的なギャップ”があると思った。ユ・ヨンソクとチョンウも反対のイメージに合った。ユ・ヨンソクは悪辣なイメージで有名だったし、チョンウは必ずしもラブストーリーに似合う顔ではないと思った。

―最も愛着を持っている人物は?

シン・ウォンホ:Tiny-GのドヒとB1A4のバロだ。しっとりとした全羅道のなまりを駆使する女性芸能人はあまりいない。放送化されていない口調のことだ。ドヒは生き生きとしていた。単独立候補のような気がした。みんな背が高く、スリムな世の中で背が低いのもプラス要因だった。「応答せよ1997」のApinkのチョン・ウンジを見ているような気がした。バロも同じだった。彼らに重要なのは“気”だった。悪く言われても落ち込まず、一歩前に踏み出すことのできる自信だ。

―キャスティングが大成功した。「応答せよ1997」のように「応答せよ1994」も登場人物が万遍なく愛された。二つの差は?

シン・ウォンホ:「応答せよ1994」は「応答せよ1997」のグレードアップバージョンだと思う。終えてから私たちがたくさん成長したことに気づいた。大きな物語と小さな物語をきちんと合わせたという気がした。「応答せよ1994」の時はドラマのサイズのせいで、やりたい物語を諦めたことがある。ラブストーリーと関係のない、残った人々のラブストーリーではない物語。正直大きな差は分からない。結局、同じ人間が同じ心を抱いて作った作品だ。おぼろげな情緒と温もりを収めようとした。

―ラブストーリー以外の物語を描こうとしたと言うが、“ソン・ナジョンの夫探し”をあまりにも長引かせすぎたのではないか。

シン・ウォンホ:視聴率を狙った計算ではなかった。ただ語り手としての“釣り”は認める。途中でソン・ナジョンの夫が公開されていたら、まあ……どんな理由であれ多くの視聴者は逃げたと思う。こんなに大きな反響を引き起こすとは思わなかった。全体的な物語のためだった。「応答せよ」シリーズは毎回副題と完結性を持つ。骨格が“夫探し”であるわけだ。視聴者の反応を予想できなかったのは私たちのミスだった。「スレギもチルボンも好きだ」という反応が出ると思った。でも応援する側によって意見がはっきりと分かれた。

―“夫探し”のヒントが多かった。最終回を控えて公開された“タオル伏線”は意図したものなのか?

シン・ウォンホ:意図したことではない。会社近くのユースホステルで撮影をしたが、そこのタオルに“縁です”と書かれていたようだ。私も気付かなかった。私たちが用意したタオルに大きく“CJ”と書かれていたから代わりに使っただけだ。たくさん悩んだ。私が何も言わなければ綿密な監督だと勝手に考えてくれる気がするし…何より視聴者をがっかりさせることはできなかった。ドラマは私が作るものだが、放送された後は私のものではなく、視聴者のものだ。私が差し出がましく視聴者のおもちゃに“NO”と言うことはできない。

―「応答せよ」シリーズは今後も続くのか?「応答せよ2002」の制作要請が多い。

シン・ウォンホ:さあ……「応答せよ」というタイトルを継ぐ物語なら……今はまだ体を労わる段階だ。目元にクマがいっぱいできている。

―徹底した演出家として有名だ。シン・ウォンホ監督の夢は?

シン・ウォンホ:映画を1本撮りたい。お尻が重くなることが心配だ。今から体を軽くするためにトレーニングをしている。

記者 : キム・プルリップ、写真 : イ・ソンファ、tvN