SUPER JUNIOR イトゥクに“関心”という言葉は要らない

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父親・祖父母の死を探ろうとする視線…誰のための知る権利?

「関心」という言葉で括るには、当事者も望まない恐ろしいことだ。一夜にして父、祖父、祖母を失い、失意の底にいるSUPER JUNIORのイトゥク(本名:パク・ジョンス)のことだ。

世間は、大切な人々を失ったイトゥクに対し、気の毒だという反応を見せながらも、一方では影のある家族史を知りたがっている。過去の発言まで掘り出すものを見ると、目に余る行為に思われる。


交通事故と報じられてから自殺に…自殺報道の勧告基準はなかった

6日夜、あるスポーツ誌はイトゥクの父、祖父、祖母が交通事故で死去したと報じた。軍服務中のイトゥクは、遺体が安置されている病院に赴き、所属事務所の関係者も驚いている状態だと伝えた。しかし、事態は急変した。7日の早朝、3人の死因が交通事故ではなく自殺という単独スクープが登場したためだ。消防署関係者の証言を通じて確認された事実だった。

朝になるまで記事は相次いで報じられた。この事件を担当した銅雀(トンジャク)警察署は、イトゥクの父と祖父、祖母が自宅で死亡した状態で発見されたと伝えた。死亡時間と当時の状況が追加で報道された。この過程で具体的な状況の描写まで登場した。「知人」と名乗る人々の証言を通じて、故人が日頃からうつ病を患い、最近はどのような様子だったのかも説明された。

保健福祉部は2004年「自殺報道勧告基準」を制定した。自殺に関する報道をする際、自殺方法に関する詳しい描写や自殺の原因に対する早まった推測を自制すべきという内容だ。2013年9月には、アップグレードされた「自殺報道勧告基準2.0」も宣布した。しかし、人気歌手の父と祖父母の死去の前に、このような勧告基準は適用されなかった。

訃報に突きつける拡大鏡…マスコミの責任のある姿勢が求められる

マスコミが口癖のように言うのは「大衆の知る権利」だ。しかし「知る権利」という言葉は、いつの間にか大衆のためではなく、自分たちの行為を正当化するために使われているようだ。マスコミが取材しなければ事細かに暴かれることはなかったはずの、芸能人一個人の家庭の事情まで報道される世の中だ。もしかすると隠したかったかもしれない部分まで、他意により何もかも暴かれてしまった。

訃報を聞いて途方に暮れているであろう人を慰めることは出来なくても、少なくとも先にその傷に触れてはいけないのではないだろうか。それが「大衆の知る権利」だと堂々と言う前に、マスコミが果たすべき責任だ。起きた事実だけに集中すれば良いことを、過度に入り込もうとしている。このように過熱した報道は、当事者はもちろん、それを聞く側も不愉快にする。

悲しみに暮れているイトゥクが、どうか故人を天国へ見送ることにだけに集中して欲しい。様々な推測で遺族を苦しめるよりも、彼らが静かに故人を見送れるようにすることが人としての在り方である。誰が悪かったのかと責める事柄ではないはずだ。ただ、故人のご冥福をお祈りして、誰よりも衝撃を受けたであろう遺族を心で応援することが最善だろう。

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記者 : ペ・インギュ、写真 : イ・ジョンミン