【スターコラム】イ・ビョンホン、七転び八起きのハリウッド挑戦記 ― Vol.1

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40を超えても年齢を感じさせないハンサムな容姿と体つき、魅力的な笑顔や声まで完璧な男イ・ビョンホン。“ビョン様”と呼ばれアジア圏を代表する韓流俳優となったイ・ビョンホンがついにNAVERスターコラムを連載する。フィアンセの女優イ・ミンジョンとの結婚を控えており、ハリウッドでの3番目の作品「REDリターンズ」の公開を前にしている中でも20年余りの俳優人生やハリウッド進出の物語を自ら作成してくれた。Vol.1ではハリウッド進出や適応について語り、Vol.2ではイ・ビョンホン自身の人間的な姿を加減なく心を込めて綴る。/編集者

NAVER スターコラム:イ・ビョンホン


ハリウッドの道を開いてくれた「甘い人生」

僕のハリウッド挑戦は2005年から始まりました。その年僕が出演した映画「甘い人生」(監督:キム・ジウン)がカンヌ映画祭の非コンペティション部門で上映され、激賞を受けました。聞いたところでは、2005年カンヌ映画祭当時アメリカ最大のエージェント会社であるCAA所属のエージェントの相当数が僕の映画「甘い人生」を見たそうです。「甘い人生」の中の僕の姿が彼らに強烈な印象を残したのか、CAAと契約することになりました。CAAはご存知かと思いますが、アメリカのハリウッド最高のエージェンシーで、音楽、映画、テレビ、スポーツ分野等で世界トップのスターやセレブリティのエージェントを務めている会社です。その分野で最高だと認められている人々だったので、自身のことを任せてもいいと確信できました。


2年間待った末に選択したハリウッドデビュー作「G.I.ジョー」

エージェントが出来て、ハリウッドからいくつかの作品のオファーを受けました。ハリウッドデビューをもっと早めることも出来ましたが、作品の選択には慎重を期しました。スタートが良くなければならないと思って。シナリオを見て「これはない」と思った作品がほとんどでした。結局2年という歳月が過ぎました。その頃、「G.I.ジョー」という作品のオファーを受け検討しました。最初の数ページをめくって「これはダメだ」と思いました。子供の頃、僕はG.I.ジョーのフィギュアを持って遊んだ人でもなく、作品に対する基本的な背景知識がありませんでした。アメリカでは伝説とされる漫画だといいますが、僕はそういうことを知らなかったので「なぜこのような作品に僕を?」と思って読むのを止めました。アメリカのマネージャーにも「なぜこんなオファーばっかりなの?」と愚痴をこぼしました。するとアメリカのマネージャーやエージェント、そして現地に住んでいる友達が僕に「G.I.ジョー」は本当に重要な作品であり、ぜひやったほうがいいと漫画に対するヒストリーを話してくれました。老若男女を問わず国民から愛される漫画だと強調しました。その時「トランスフォーマー」という作品がものすごい人気を得ていましたが、それもコミックから始まったと話してくれました。彼らはまた僕に「君が演じるストームシャドウはスネークアイズとともに最も人気あるキャラクターの一つだ」と何度も強調しました。その瞬間、僕は深く悩まざるを得ませんでした。


「G.I.ジョー」出演決定後の後悔、そして決断

僕は作品を選択する時、名分を大切に考えます。例えば、その作品の監督が以前から一緒に働きたいと思っていた方だとか、好きなジャンル、ストーリーが魅力的なケースがほとんどです。しかし、「G.I.ジョー」は3つの名分を満たしてくれませんでした。アメリカ現地のスタッフが積極的に推薦はしましたが「この作品ではない」と思われて悩みました。アメリカのエージェントと契約して長い時間が経っていたため、韓国にも何かを見せなければならない時期になっていました。おそらく韓国でシナリオを選べる立場に慣れていたようです。しかし、ハリウッドは韓国とは違って、新人の姿勢でチャレンジしなければならなかったので、考え方を変えました。韓国でのようにシナリオを選べるようになる過程だと思いました。なぜなら「G.I.ジョー」がその年の公開予定作の中で最も予算が多い映画であって、ものすごい大作だったので、世界的にリリースされるという確信がありました。僕の顔を知らせる上でこれ以上いい映画はないとも思いました。「よし、僕が後で作品を選べるようになるいい過程だ」と心を決めて出演の契約を結びました。

「グッド・バッド・ウィアード」の撮影を終え、すぐに空港に行ってアメリカに向かいました。現地で劇中の衣装を着てみたら、全体的にホワイトのトーンに顔に覆面までかぶり目だけ僅かに出ていて「僕は今ここで何をしているんだろう」と思いました。漫画のような衣装にがっかりしたのです。

衣装倉庫から出てアメリカのマネージャーに「監督とプロデューサーに本当に申し訳ないと謝罪して、韓国に戻る」と話した。そしてホテルに向かいましたが、頭の中が複雑になって眠れませんでした。「アメリカの人々は契約を重視すると聞いたけど覆すことができるだろうか」と悩みに悩んで結論を下しました。とにかく自身が決めたことであって、後で映画に出演しなかったことで後悔するかもしれないと思いました。「よし、後で結果的に批評を受け後悔したとしても経験してみよう」と決心し、監督とプロデューサーとのミーティングをキャンセルし、すぐに撮影場に向かいました。


予想より大変だったハリウッド適応期

撮影が始まり、僕は現地で僕に対するある程度の偏見があるだろうと思っていました。東洋出身の俳優に送る反応があるじゃないですか。僕にもジェット・リーやジャッキー・チェンのように「東洋から来た武術家」という視線を送られました。武術シーンを撮影して、覆面の中の眼差し演技、そして覆面を脱いで苦しむシーンを撮る時にカメラ監督が「カット」を叫び微笑んでいました。そして僕にいつも「オオ~ムービースター」と言いました。おそらく「韓国で武術をしていた人が演技もしているじゃん」というニュアンスだったと思います。僕も韓国では有名な俳優ですけどね。ハハ。でも気分が悪くはありませんでした。その代わり、早く僕の存在感を彼らに植えつけたかったです。撮影が回を重ねるにつれ、彼らは段々僕に対して満足していきました。自分たちが思っていた以上の演技力を見せたためです。「東洋人の俳優はいつも武術をしなければならないのか」という質問もたくさん受けますが、かえってプライドを持てます。演技に加え、彼らにない武術まで備えているためです。現地のスタッフからとても羨やましがられます。僕は両方ともできますから。

ハリウッドでは新人なので撮影がない日にも現場に行って待機する日がたくさんありました。また、ハリウッドのトップ俳優を担当するヘア、メイク、衣装担当者も異なりました。僕にはチームの末っ子のアシスタントが割り当てられました。いつシーンを撮影するか分からないのでトレーラーで12時間待たされたこともありました。助監督がその度に申し訳なく思われていました。僕も新しくスタートする気持ちでこの雰囲気を楽しもうと心に決めました。

「G.I.ジョー」俳優と制作チームと飲み会をしたことがありますが、劇の役柄上、身体を作らなければならなかったので、魚や鳥の胸肉を頼みました。他の人々はワインや美味しい食べ物を食べました。好きだけど、カロリーが高く避けていた食べ物でした。僕は結局誘惑に負けてはならないと思って、アメリカのマネージャーとホテルに帰ろうと席を立ちました。レストランから出ようとしましたが、たくさんのパパラッチが待っていました。チャニング・テイタムやシエナ・ミラーなど有名俳優がレストランにいたためです。「わあ、パパラッチはこんなものなのか」と不思議に思いました。僕は入り口で鏡を見て着崩れを整えてヘアをチェックしました。写真を撮られることに備えたのです。しかし、僕の予想とは違ってパパラッチたちが僕を見て“モーゼの奇跡”の海が裂けるように道が作られました。恥ずかしかったです。新しい経験でした。

今もアメリカの道では僕を分かってもらえません。100人に1人くらいの割合で「君、『G.I.ジョー』に出ただろう」と言ってくれます。しかし、不思議なのは韓国映画マニアが半分で「G.I.ジョー」ファンが半分です。韓国映画も「甘い人生」よりは「悪魔を見た」という作品で分かっていただきます。その作品のほうがインパクトがあったようです。

取り戻した韓流スターの位置づけ、ハリウッドで変わった位置づけ

「G.I.ジョー」の撮影が終わって日本にプロモーションに行くと言われました。しかし、韓国には行かないと言われ、僕は「とんでもない」と反対しました。そして「韓国にいかなかったら、日本にもいかない」と強気を言いました。監督とプロデューサーは僕が日本で人気があることを知っていました。彼らは僕が日本に行かなければならないことをとてもよく知っていました。結局彼らは僕に説得され韓国行きを決定しました。僕はスティーヴン・ソマーズ監督とシエナ・ミラー等と日本と韓国のプレミアムイベントに参加しました。彼らは日本と韓国の空港を埋め尽くした僕のファンと取材陣の熱気にびっくりしました。僕に「マイケル・ジャクソンやエルビス・プレスリーと一緒に歩いている気分だ」と話してくれました。

シエナ・ミラーとソマーズ監督は僕の人気がここまでだとは思わなかったので、ほぼパニック状態でした。あまりにも僕のファンばかりが来ていて、申し訳ない気持ちまでしました。それ以来、僕への視線が変わりました。LAとは全く異なる雰囲気でした。僕はその状況を楽しみました。結局『G.I.ジョー バック2リベンジ』の出演が決まり、撮影場にいくと、僕への待遇が変わっていました。第2弾になって現場のスタッフが変わっていましたが、噂が立ったみたいでした。僕とドウェイン・ジョンソンが一番いいトレーラーをもらいました。「僕のチケットパワーを意識しているなぁ」と、そして「僕が人気がなくなったり、チケットパワーが以前より弱くなると状況はまた変わるかもしれない」思いました。


流暢な英語?まだ現在進行形

僕について英語が流暢だから成功したという分析も多いですが、実は今も難しく思います。早口だったり難しいことを言うとまだまだ聞き取れません。実は英語をどうやって勉強したのかと質問を受けますが、18歳ごろ江南(カンナム)駅近所の英語塾で学んだ以外は専門的な教育は受けていません。直接現地でぶつかって身につけました。アメリカにミーティングに行く度に、自分で英語で話そうと努力しました。少しずつ使うために覚えたのではなく自然と相手とぶつかって得た結果です。とにかく余裕を持てるようになりました。最初は硬直して先に近づくことができなかったのですが、今は先に挨拶して聞き取れなくても何とかして溶け込もうとします。会話を聞いて合いの手を入れたりもします。「僕は少し余裕ができたなぁ」と感じます。「G.I.ジョー」の最初の読みあわせの時は、他の人が本当に大きな声で言っていて緊張しました。肝心の僕の台詞も逃しちゃって。ハハ。何事も心の持ち様が重要だと思います。

長文になってしましましたね。Vol.2では新作映画「REDリターンズ」と僕についてもう少し詳しく書いてみます ^^それでは、また会いましょう。

文:イ・ビョンホン

「NAVER スターコラム」は、注目の俳優やアイドル、アーティストたち本人がコラムを執筆。話題のスターが直接書いたコラムをお届けしています。

記者 : イ・ビョンホン、編集 : ファン・ヨンヒ、写真 : イシューデイリー、CJエンターテインメント、映画人