映画「フェニックス」泣かせる時は退屈 vs 涙が流れる

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映画「フェニックス」のポスター
人気アイドルチュンイ(イ・ホンギ)は、行く先々でトラブルを起こすトラブルメーカー。今度は暴行事件を起こし、奉仕活動を命じられる。性格のきついボランティアのアンナ(ベク・ジニ)、元ヤクザのムソン(マ・ドンソク)、毎晩密かにナイトクラブでアルバイトをしているボンシク(イム・ウォニ)などと共に生活しなければならないホスピスでの奉仕活動は、それほど簡単なことではない。ホスピスとは死を前にした患者が、肉体的な苦痛を軽減し快適に死を迎えられるようにする特殊病院のことだ。病院は財政難で閉鎖の危機にさらされ、患者たちが集まって、趣味として結成したバンド“フェニックス”は、病院を救うためにバンドオーディションに参加することを決意する。チュンイは奉仕活動のハンコを二倍に押してあげるという、おいしい話に乗って、バンドの指導を始める。15歳以上観覧可、韓国では5月30日、日本では6月7日より公開。

キ・ミョンギュン:笑えるシーンはそれなりに面白いけれど、泣かせる時は退屈だ。
鑑賞指数 5 / 笑い指数 7 / 涙指数 5

ファン・ソンウン:明確に泣かされたポイントがある。そして、涙が流れる。
鑑賞指数 6 / 笑い指数 5 / 涙指数 7

笑わせることができたら vs 泣かすことができたら

キ・ミョンギュン:「7番房の奇跡」はお決まりの悲しい映画という予想を覆して、観客動員数1万人を突破した。その力は感動的なシーンとシーンの間に、丁度良い具合に加えられた笑いどころがあったからだ。「7番房の奇跡」ほど休まず観客を笑わせることはできなかったが、「フェニックス」でもベテラン俳優たちのコミカルな演技が際立っていた。最近勢いのあるマ・ドンソクと映画界において経験豊かなイム・ウォニが子役の間で上手く笑いと感動をもたらした。それが特別な舞台装置やオーバーな設定はなかったにもかかわらず、“くすくす”と笑いが込み上がる理由である。彼らの自然でコミカルな演技があったから、映画の半ばまで「フェニックス」は無理なく巡航する。だが、後半からが問題だった。ベタな台詞の数々…もっと深く考える必要があった。

ファン・ソンウン:「フェニックス」の主は舞台はホスピスだ。登場人物も、やはりほとんどが死を目前にした患者たちだ。つまり、“死”ととても密接に繋がっている。しかし、死が日常となり、死を間近に控えたとしても死に対する恐怖はないのだろうか。「早く死にたい」という言葉は「もっと生きたい」という意味であることはみんなが知っている。彼らも同じだ。ただ、もっと生きていたいと思っても、それができないということが現実で、情が深くなればなるほど、別れの悲しみは深くなる。死を目前にした人々の物語、今までにないストーリーを期待することはできないが、自然と涙が流れる。明るく笑っていても悲しくなるのもそれ故だ。「フェニックス」はその点において充実した作品だ。後半になってより強く現れている。


選択と集中

映画「フェニックス」のスチール写真
キ・ミョンギュン:死を間近に控えた患者たちが最後の公演を披露するという設定、これは“新派ドラマ”だ。新派も“上手く笑わせて、上手く泣かせれば”良い反応を得ることができる。このためには、キャラクターに入り込まなければならない。しかし「フェニックス」の中の人物たちは、豊富な“それぞれの物語”を持っていない。“選択と集中”が惜しい。映画の舞台であるホスピスは、ただ“新派ドラマ”を強調するだけの役割しか果していない。具体的な描写を通じて、彼らの残された日々により集中すべきだったが、映画はそこまで表現できなかった。フェニックスバンドの練習とラストの公演により大きな感動をもたらすために、登場人物全員の物語がより有機的に展開されなければならなかった。

ファン・ソンウン:「フェニックス」のストーリーはチュンイが引っ張っている。様々な理由によりホスピスで奉仕活動をすることになったチュンイが、死を間近にした人々を見守りながら、一緒に成長していく。この映画の選択と集中はまさにここにあるのではないだろうか。そしてホスピス患者たちのストーリーは“死”である。ここに具体的な病名や、登場人物の過去まで描かれていたなら、ストーリー展開に対して邪魔になったかもしれない。チュンイの視線と変化を軸にして死と人間を見たため、より集中できた。またフェニックスバンドの公演が感動的だったのは、登場人物の小さな変化を通じて作った結果だからだ。

フェニックスバンドとオーディション vs 不自然な結果

キ・ミョンギュン:バンドのオーティションを受けるという設定上、「フェニックス」で音楽が占める割合は大きいはずだ。だが、バンドの合奏において躍動感が足りなかった。映画の設定も実力派のバンドではない。だからといって、それが映画への集中を妨げることはなかった。バンドの役割が大きい映画で、バンドが上手く演奏できなくでも集中できるということがおかしく聞えるかもしれないが、少しはたどたどしい演奏がフェニックスバンドの初々しい情熱とぴったりだった。フェニックスバンドのオーディション曲である「JUMP」や最後の公演のシーンも、ベタな演出ではあるが、映画が表現しようとしている希望に満ちたメッセージはそれなりに十分に伝わった。

ファン・ソンウン:この映画で音楽、バンドは重要ではある。役割も大きい。だが、一番残念な部分でもある。実力が“ゼロ”に近い彼らが短い練習期間を経て、オーディションに参加するという設定は、どう考えても無理がある。ストーリーを繋げていくために絞り出した不自然な結果なのだ。もちろん、フェニックスバンドは見事な演奏より、とこか足りない感じがよく似合う。だが、そうだとしても、音楽に対する姿勢だけは真剣であってほしかった。しかし、オーディションという目的に集中したあまり、重要な“音楽”には集中できなかった。また、実際にバンド活動をしているイ・ホンギのイメージを借りる程度にとどまった。


イ・ホンギと俳優たち vs ケミストリー(共演している俳優同士の相性)が足りない

映画「フェニックス」の写真
キ・ミョンギュン:イ・ホンギはバンドFTISLANDのボーカルとして活動する前から、すでにテレビに出演していた。彼はドラマ「マジックキッド・マスリ」など数本の作品に出演した子役出身である。そのため、初めて映画に挑戦し、主演まで務めることになった「フェニックス」は、彼にとって大きなチャレンジである。それと同時に、製作側にも大きな冒険である。幸か不幸か、映画におけるイ・ホンギの演技は自然だった。自由奔放なアイドルチュンイ役は、イ・ホンギが持つイメージとよく合い、あまり違和感がない。また、貫禄のある俳優たちがイ・ホンギに負けないほどの役割を見せ、彼を後押ししている。映画の中ではチュンイがフェニックスバンドを助けるが、マ・ドンソク、イム・ウォニ、シム・イヨン、ペク・ジニなど貫禄のある俳優たちがイ・ホンギのスクリーンデビューを手助けしている。ただ、イ・ホンギが俳優として、もう少し様々な役を演じ、インパクトのある演技をするためにはより多くの努力が必要だ。

ファン・ソンウン:いずれにせよストーリー展開は決まっている。ホスピスと死を間近にしている人々の組み合わせが、斬新な物語を作り出すことは難しい。そういう意味で、この映画では俳優たちが魅力を見せることが最も重要である。歌手であるイ・ホンギは、初めて映画に挑戦したにもかかわらず、映画の中に自然に溶け込むことができた。韓国最高のアイドルという“シンクロ率”の高いキャラクターにぴったり合ったからだ。ここに、子どもの頃から演技をしてきた経歴が加わった。ペク・ジニ、イム・ウォニ、マ・ドンソク、シム・イヨンが演じた死を間近にしたキャラクターたちも、自分のイメージが映画の中のキャラクターにぴったり当てはまったことでシンクロ率を高めた。ただ、相乗効果を出せなかったことは残念に思う。新造語で言うところのケミストリー(共演している俳優同士の相性)が足りなかった。俳優1人1人を見ると足りない部分がないが、彼らが集まった時に相乗効果を発揮することはできなかった。全体的にやや単調と感じられたのは、彼らが集まった時、上手く効果を出せなかったからではないだろうか。

記者 : ファン・ソンウン、キ・ミョンギュン、編集 : ホン・ジユ、翻訳 : チェ・ユンジョン