元SDN48 シヨン「一粒の涙が一人のファンになって戻ってきた」

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写真=MADANGエンターテインメント
女優の夢を抱いて芸能界に入ってから10余年。シヨンは韓国ではなく日本で人気を一身に集めていた。「1、2、3、4、シヨン!」(日本のファンはシヨンをこのように呼んでいた)TOKYO DOME CITY HALLを埋め尽くした2,500人のファンが彼女に歓声を挙げた。

5月25日、TOKYO DOME CITY HALL。会場を訪れた一人一人と目をあわせるシヨンは、ステージの上では日本のガールズグループ、SDN48の一人だった。当初、約20人が同じステージで踊るのは、散漫に見えるのではないかと思ったが、実は、逆であった。演出と表現力の勝利だったと言えるのだろうか。様々なメンバー編成で変化を与えながら歌とダンスを披露した彼女たちは、強い吸引力で観客の視線を引き付けた。

「SDN48での活動は忘れられない私の一部分」

慣れない土地でコミュニケーションも容易ではなかったはずだが、日本の仲間とステージに立ったシヨンは、女優ではなく歌手としての地位を証明していた。2009年に誕生したSDN48は、2012年3月を最後にメンバー全員が卒業し、事実上の解散となった。それぞれメンバーに新しい道を考えさせるためだった。だが、ファンからの強い要請で、卒業後も公演を続けてきた。

「残念です。本当にものすごく準備して立ったステージだったんです。自分で準備して日本のファンの前に立ったじゃないですか。それが消えるのだから本当に寂しくて、振り返ってみるようになりました。ステージの上でもコンサートの後半だと感じられると悲しくなります。感情を抑えながらできるだけ笑うんです」

韓国の私たちはよく分からなかった。日本でアイドルグループのメンバーとして活動していることだけを知っていただけで、彼女がどんな活動をし、それにどのような意味があったのかを。韓流が日本やアジア全域に広がっている時、シヨンは逆に日本大衆文化の底から上昇していた。韓国で映画「卑劣な街」「愛なんていらない」などの作品に出演し、グループRed Soxで歌手として活動した彼女には、決して容易ではない挑戦だった。

「2010年に日本に行きました。もともとはモデルとしてデビューし、モデルの活動をするため来日したのですが、SDN48第3期生オーディションの広告を見つけました。そこで、受けてみたら、受かったんです。どうやら、韓国で歌手として活動し、演技をしていたことがプラスになったようです」


決して容易ではなかった日本での活動「一粒の涙に一人のファン」

日本で歌手として活動できるようになったことは大きな幸運だった。日本の人気グループAKB48の姉妹グループであるSDN48もかなり人気になっていた頃だった。すでに26人のメンバーが活動しており、シヨンをはじめとする7人の新メンバーがSDN48に加入した。

「最初は本当に何もできなかったんです。グループに入ってすぐ、1ヶ月後のコンサートを準備しなければならなかったんです。日本語も分からなかったし、しかも歌やダンスの練習までしなければならないでしょう? 日本語の歌詞を韓国語で書いて練習し、動きは絵を描いて一つ一つ覚えました。それがあまりにも遅かったので、何人かのメンバーからは白い目で見られましたし、冷たい視線を送る人もいました。家に帰ってたくさん泣きました。でも、そうされるほど負けん気が強くなりました。

韓国のようにダンスの先生がいるわけではありません。ダンスと歌はSDN48第1期生の先輩たちが教えてくれます。個人の練習はDVDを見ながらします。でも、画面は実際とは全部向きが逆ですよね。それまで考慮しながら練習しなければなりません。また、韓国は普通体がほぐれる夜に主に練習しますが、日本では早朝から練習を開始しました。

オーディションに合格してからはメインに上がるため、知らず知らず内部競争が激しくなっていました。私もじっとしていられないのでステージを準備する1ヶ月間は睡眠もほとんど取れず、14曲の歌詞やダンス、動きなどを全部覚えました。ミキシングのために後で私のパートだけ再録音しなければならなかったのですが、死ぬ気でやりました」

中国出身のメンバー、チェン・チューもいたし、歌の歌詞に韓国語を反映するなどグローバルな性格が強いSDN48だったが、基本的にメンバーが多いだけに、それぞれの性格が影響せざるを得なかった。一部で排他的な雰囲気がある中でも、シヨンは自分の役割を果たそうとした。すると、心を閉ざしていた一部のメンバーが心を開いてくれた。

「いつもは私にまったく関心を見せなかったメンバーが、私が苦しんでいるのを見て、慰めてくれました。『大変だろうけど、一緒に公演するんだから、頑張って準備してみよう』と言ってくれました。『ああ、こんなにみんな見ているんだ』と、すごく感動しました。私に好意的だった仲間たちもダンスを教えてくれて、一緒に合わせているうちに、さらに心を開いてくれたのです。そうやって、今まで走ってきました(笑)」

シヨンの表現を借りれば、一滴の涙が一人のファンになって戻ってきたという。その努力にファンが感動したのだろうか。今は彼女と握手するために、SDN48のCDを数十枚買ってくるファンもいるという。CDには握手券が同包されており、たくさん買えば買うほど長くシヨンの手を握ることができるためだ。


シヨンが収めた成果?日本のアイドルも魅了した

2年余りの活動期間。韓国ではほとんど注目されなかったが、シヨンが収めた成果は想像以上に大きかった。日本の大衆文化の中心で韓国人として堂々と人気を得たということは、対外的な評価に当たるだろう。それと同時にシヨン本人にとっては、外国で自身の存在を証明したという点で、自信が得られた経験だった。

死ぬ気で勉強した日本語は、3ヶ月でコミュニケーションに問題がないほどに成長した。シヨンのインタビューを行う直前、SDN48のメンバーたちと事前インタビューをした際、彼女たちが口を揃って褒めたのが、日本語習得力だった。

「公演の時にステージでもお話しましたが、グループの仲間やファンが、私の日本語の先生でした。彼らがいなければ、こんなに早く話せるようになれなかったと思います。日本の大衆文化で韓国と最も異なると思った部分は、一度ファンになれば最後まで突き通すということ? それから、韓国では完璧に準備してからデビューし、活動しますよね。でも、日本では最初は足りないところが見えても成長し、よくなっていく姿を見て応援してくれます。成長する姿がファンの方々の感動につながるんです」

コミュニケーションだけではなかった。オフの日はいつも、片手間に日本の小説や教養書を読みながら知識を蓄えていった。自らブログを運営しながら考えを整理してきた彼女は、ある日、本とコミックの情報サイト「ダ・ヴィンチ電子ナビ」で、“読みたガール”として活動することになった。韓国人の芸能人としては初めてのことだった。様々な彼女の努力が実を結んだ瞬間だった。

「もうすぐ韓国でも再び女優として活動を始めます。演技は13年しています。でも、前は焦りがあったのですが、今は日本での活動を通じて自信がつきました。何物にも変えられないエネルギーを得たと思います。SDN48を卒業したことは残念ですが、日本でももう一度女優としての地位を確立したいという気持ちで挑戦してみるつもりです! これまで心の中に築いてきたものが多いんですよ?(笑)」

このあたりで、「青い巨塔」で痔になったキム下士を演じるシヨンは、彼女の一部分に過ぎないという事実を知っておこう。これまで見せてきたものより、これから見せるものが多いという事実も、覚えておかなければならない。

記者 : イ・ソンピル