【スターコラム】FTISLAND&CNBLUE、JUNIELを語る ― Vol.2

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今年2月に高校を卒業したJUNIELは、韓国ではなく日本で先に歌手デビューした。高校入学後間もなく日本に渡ったため、学生時代の思い出はあまりない。そのため、卒業証書を受け取った時は、かなり残念だったという。友達と一緒にトッポッキを食べながらお喋りする機会がほとんどなかったからだ。寂しくて大変だった日本での生活を始めたばかりの頃、彼女を支えたのは同じFNCエンターテインメント(以下FNC)に所属する先輩のFTISLANDとCNBLUEだった。素晴らしい先輩の励ましとアドバイスで、日本のステージで成功し、韓国に戻ってくることができた。Vol.2の最後では、FTISLANDとCNBLUEメンバー全員が可愛い後輩JUNIELに一言ずつ応援メッセージを贈った。JUNIELはとてもありがたくて涙が出たという。JUNIELのNAVER スターコラムは、残念ながらこれでおしまい。また会える日を楽しみにしている。/編集者

NAVERスターコラム:JUNIEL


高校の卒業式、本当に久しぶりに先生にお会いできてとても嬉しかった

こんにちは! またJUNIELです^^ スターコラムVol.1をとてもたくさんの方に読んでいただき、本当に本当にありがとうございました。読者の皆さんが応援してくださったおかげで自然に元気が出て、もっと頑張らなきゃと思うようになりました。頑張るぞ!!ファイト^^

中学生の時に初めてFNCに入って練習を始めたので、高校は家から近くにあるところに入学しました。でも、先生方は私が芸能活動をすることをあまり好意的に思っていないようでした。学校に来なくていいから早く別の学校を調べて転校してほしいと言われました。だから入学してすぐに、この間卒業したソウル公演芸術高校に転校しました。

最初は芸術高校の方が逆に芸能活動が難しいと思いました。そのときはそんな雰囲気があって、普通の高校を選んだのですが、結局芸術高校に転校することになりました。私の両親は、特に普通の高校を希望していたわけではありません。毎日、京畿道(キョンギド)九里(クリ)市から学校に行くだけで2時間近くかかりました。授業を早く終えて、練習のために事務所がある江南(カンナム)まで(T T) 毎日そんな生活をしながら1年ほど学校に通ってから日本に進出することになりました。

日本でも山登りがとても好きだった

日本に行く前にある程度日本語は勉強して行きました。たどたどしい日本語でしたが、ある程度はコミュニケーションできるほど頑張って学びました。そのおかげで日本で学校に通いながら、比較的すぐに自然に話せるレベルになりました。

最初は都心のワンルームで暮らしていました。今考えてみると、とても頻繁に引っ越ししていました。事務所は住宅街の小さな部屋を借りてオフィスとして使っていましたが、後で日本での事業が大きくなり、渋谷の素敵なところに引っ越しました。日本から帰ってくる前は、とても大きな部屋を一人で使っていました^^

東京にいる間は、家から近い代官山や渋谷の街をよく歩き回りました。原宿や表参道がとても素敵でした。また、私は山登りが本当に本当に好きです。そこで2年間暮していると、あまりにも山に行きたくて、富士山のように遠いところではないけれど、地下鉄に乗って2~3時間行けばある高雄山に何度も行って山登りしていました。

幼い頃から山登りがとても好きでした。週に3~4回行っていたこともあります。韓国では天摩山(チョンマサン)によく行ったし、鳴声山(ミョンソンサン)にも行きます。これは母の影響が大きいです。母はスポーツが好きなんです。水泳やスキーのようなスポーツです。母が会社勤めしていた時は、登山サークルの活動に熱心だったそうです。母と一緒に行くうちに、私も山がとても好きになって、今もとても行きたいです。山に。


インスタント食品は遠ざけているJUNIELです

日本の食べ物は比較的口に合いました。初めて日本に行ってお寿司を食べたんですが、とてもおいしかったです。日本は海に囲まれているから材料がもっと新鮮でしょう。お好み焼やたこ焼きも大好きな日本の食べ物です。だから、日本の食品は大体口に合いました。

キムチは家で直接つけて送ってくれました。ラーメンは苦手で、あまり食べませんでした。インスタント食品はあまり好きではありません。日本の文化としては、花火がとても印象深かったです。私と同じ学校に通っていた2歳年上のお姉さんと親しくなって、花火を見に浅草に行った記憶が鮮明に残っています。そのお姉さんは途中で学校をやめて韓国に帰ってしまい、今は連絡が取れなくてとても残念です。

日本で漢字をきちんと勉強したのは、今考えても本当によかったと思います。最初は漢字はあまりにも難しい上、果たして必要なのかとも思って適当にする傾向がありました。そのせいで日本語の実力が伸びませんでした。ライブもあるし、歌詞も書かなければならないのにそれができなかったので、心を改めて勉強を始めました。韓国で教材を買って解いたり、学校の宿題を続けるうちに日本語の力がすごくつきました。

私が日本に住んでいたとき、事務所の先輩たちが来て公演する姿を見て、羨ましかったし、自然に尊敬するようになりました。CNBLUE先輩とFTISLAND先輩は、日本でたくさんコンサートをしていたし、ライブをする姿を見て「ああ、かっこいい」と思っていました。先輩たちには韓国で練習していたときから仲良くしてもらっていたので、久しぶりに会ったらステージの裏で「苦労しているだろう」と言ってくださり、励ましていただいて涙がぽろりと出ていまいました。先輩方! いつもありがとうございます^^


「illa illa」「可愛い男」への声援、本当にありがとうございます

日本での生活にずいぶん慣れましたが、韓国に帰ってきたのはとても嬉しいことでした。韓国でデビューするときはさらに緊張して大変でしたけど(笑) 今回の新曲「可愛い男」は、軽快なリズムよりも歌詞を見てこれをどういうふうに歌うべきかかなり悩みました。でも、イ・ソンギュン先輩、ソン・ジュンギ先輩を考えながら歌ったら、上手く歌えました。もう一つ難しかったのは、少しダンスが入っていることでした。足や首の動きみたいなものでしたが、それを合わせるのがとても難しかったです。MV撮影の2日前にダンスが出てきて、2日間ずっとその練習だけに集中しました。

「可愛い男」の反響には、とても感謝しています。「illa illa」「悪い人」が悲しい歌だったので、新しい雰囲気の楽曲にすることになりました。イメージチェンジを目指したのは事実ですが、不安もありました。この姿も好意的に見ていただけるだろうか、以前のイメージが強くて似合わないと言われたらどうしようと悩みましたが、たくさんの方がよく似合うと言ってくださって、ありがたかったです。

そして、私は“可愛い男”は理想のタイプではないと申し上げましたが、まったく好きじゃないわけではありません。私は爽やかで声が良くて、ふっくらとしたボリュームのある唇の人が好きです。でも、普通にしていても魅力が感じられるときがあります。突然ミスをしたりするときに可愛いなと思うし、勉強していなかった人がいきなり勉強をし始めるとかっこよく見えたり。こういうのが好きです。でも、最初から可愛い人が好きじゃないというような記事が出てしまって。可愛い姿も好きです。


本当に素敵な先輩方、FTISLANDとCNBLUE

FTISLANDとCNBLUEの先輩方は、JUNIELにいつも良くしてくださいます。CNBLUEの先輩方は私と同じ日に事務所に入って、練習しているうちに親しくなったし、FTISLANDの先輩方は当時すでにデビューしていた大先輩でした。事務所に入ってすぐにワークショップに行ったのですが、CNBLUE、FTISLAND、そして私だけの少人数だったので、さらに早く親しくなれたんだと思います。今では家族のような雰囲気です。


FISLAND

チョ・ジョンフン「JUNIELは本当にクールな女性です」

イ・ホンギ「どんどん成長しています。たくさん期待してください」

イ・ジェジン「可愛くていたずら好きです」

チェ・ミンファン「JUNIELは可愛くて噛んであげたい女性です」

ソン・スンヒョン「JUNIELは真の努力派なんです。ファイト!!」


CNBLUE

ジョン・ヨンファ「JUNIELは頑張り屋さんです。欲張りだし。年下なのにいつも『兄さん、大変でしょう』と言ってくれます。本当に成功してほしいです。『バカ』という楽曲で一緒に活動しましたが、いつか一緒にコンサートをしたいと思うほど才能のある人です」

イ・ジョンヒョン「気さくな性格で、ミュージシャンとしてのこだわりもあると思います」

カン・ミンヒョク「熱心に音楽をする優しい子です。可愛い本当の妹みたいです」

イ・ジョンシン「ちょっと変わったところはあるけれど、可愛い人、JUNIEL、それがきみだよ!」

文:JUNIEL

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記者 : JUNIEL、編集 : OSENソン・ナムウォン局長、写真提供 : JUNIRL、FNCエンターテインメント