ミュージシャンCNBLUEに“デッドライン”を問う

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問題解明は二の次…ミュージシャンとしての“責任意識”が疑わしい

遅ればせながら、話題の動画を見た。2010年のワールドカップシーズンに放送されたMnetの「M COUNTDOWN」で、動画の主人公はCNBLUEだった。馴染みのあるギターリフが聞こえた。Crying Nutのワールドカップのテーマソング「必殺オフサイド」だった。一瞬カバー曲かと思った。でも、そうではなかった。

サウンドは、Crying Nutの音源とわずかな違いもなかった。カバー曲でないので、当然MR(伴奏音源)かと思った。バンドが音楽ランキング番組でドラムにマイクも付けないままハンドシンク(演奏しているふりをすること)をしてたのは、昨日今日のことでもなかったので。でも、それも違っていた。ジョン・ヨンファのボーカルの裏で、Crying Nutのパク・ユンシクの声が聞こえた。AR(全部音源=口パク)だった。

CNBLUEはそのステージで、Crying Nutの完成された音源を、まるで自分の声のように使った。それが事前相談もなく盗用された音源だということを振り返ってみた。音源盗用の明白な証拠が、堂々とYouTubeにアップされている事実が非現実的に感じられた。果たして、何が起こったのだろうか。

「仕方なかった」に隠された、苦々しい本質

写真=FNCエンターテインメント
話を始める前に、はっきりしておかなければならないことがある。法廷攻防についてのおおよその展開は、すでに色んなメディアが取りあげている。ここであえてそれを説明する気はない。また両当事者間の法的な責任所在を明らかにする気も、やはりない。そういうことができるような記事でもない。ここで話したいことは、他にある。

Crying Nutが訴状を提出した後、CNBLUE側は当時の状況について「ワールドカップシーズン当時、Mnet側からこの曲を歌うことを依頼され、当時準備時間があまりなかったので断ったが、放送局の方からARを提供してきた。生放送であるうえ、新人だったので出演をドタキャンすることもできない状況で、やむを得ずステージに上がった」と解明した。

事務所の主張通りなら、CNBLUEは新人としてやむを得ず上がったステージにより、Crying Nutと放送局、DVD制作会社の狭間で困惑する立場に置かれていることになる。法廷攻防中の事案について一方の言葉を闇雲に信頼することはできないが、それでも一旦信じてみよう。その上で、事務所の「やむを得ず」という表現に注目してみよう。

CNBLUEの事務所はCNBLUEのデビュー前の姿を紹介し、彼らを“インディーズ”と表現した。原宿でのストリートライブの姿が紹介され、バラエティ番組ではジョン・ヨンファが作曲する姿を頻繁に映していた。MBC「私たち結婚しました」で彼が少女時代のソヒョンのために作った曲「愛の光」は、そのピークだった。ジョン・ヨンファはエピソードが進行する数週間「愛の光」を作りながら、時に創作の難しさについて愚痴を漏らしていた。ペンを口に加えギターを弾きながら楽想をノートに書く姿は、彼をミュージシャンとして表現するに十分だった。

そのようなミュージシャンをリーダーにしているCNBLUEが、音楽ランキング番組では自由に意思表現すらできない、一介の芸能人になる。放送出演で口パクを求められたら、文句言わず従わなければならない。たとえそれが無断盗用されたARだったとしてもだ。事務所の主張通りなら、そうだ。断れなかったなら悲しいことだし、知っていたならミュージシャンと呼ぶのも恥ずかしいレベルだ。なにが真実であれ、現実は憂鬱だ。

「仕方なかった」という事務所の言葉が事実なら、果たしてCNBLUEが番組での要求に絶対服従することだけが最善だっただろうか。自分の音楽を、さらに多くの人に聞かせるためには、当然妥協が必要な場合がある。しかし、ミュージシャンは同時に、決して妥協できないデッドラインも合わせ持たなければならないのだ。妥協とは、そのデッドラインを守るための手段になって初めて意味を持つ。それがミュージシャンであり、さらにミュージシャンかどうかを判断する、大衆の決定的な物差しでもあるのだ。

“ミュージシャン”CNBLUEにとってのデッドラインは何だろうか

写真=イ・ミナ
ソテジワアイドゥル時代にソ・テジは神秘主義を掲げている今とは違い、テレビを付けるといつでも見られる、身近な存在だった。つむじ風ダンスを踊りながらアイスクリームのCMに出演したこともあるし、「強いじゃん?」と叫びながらオーディオのCMにも出演している。バラエティ番組でイ・ヨンジャと手を繋いでワルツを踊り、メンバーたちと空き地で朝鮮時代の服装をして「ハヨガ」を歌ったこともあった。

彼は、自分の音楽を知らせるために、バラエティ番組で壊れることを躊躇わなかった。そうするしかなかった市場構造で、彼はむしろ柔軟で能動的だった。彼は今とは違い、徹底的に妥協していた。

しかし彼は、自分の曲に他人が手を加えることに対してだけは、徹底的に妥協しなかった。プロデューサーたちの過剰な編集と芸能事務所との著作権訴訟戦に対抗し、最後まで自分の音楽を守り抜こうとした。演奏時間の長い「必勝」と「ハヨガ」を放送局のプロデューサーたちが勝手に編集しないように、別途編曲音源を制作したこともあった。4thアルバムの収録曲「時代遺憾」に警告音処理をした審議制度に対抗するため、自分の声を全部消してアルバム発売を強行したこともあった。「他の利害集団から、自分の曲を完全に守りたい」、これが彼のデッドラインだった。

それならばミュージシャンとしてのCNBLUEのデッドラインは何なのだろうか。少なくともこれまでの状況と解明を聞いていると、彼らに音楽的なデッドラインとはもともと存在してなかったのではないかという気がする。これまで事務所側が出している解明の焦点は全部、無断盗用の故意性の有無にだけ合わせられている。最近掲載した謝罪文も、事件が発生してからずいぶん経ち当事者にも知らせずにサイトに掲載するレベルにとどまっている。相手への誠実さはさて置き、ミュージシャンとしての責任意識が疑わしいレベルなのだ。

単純に「作曲が可能かどうか」でミュージシャンかどうかを見分ける時代はもう終わった。パク・ミョンスが1ヶ月間で作曲した「江北(カンブク)おしゃれ」が、1年間かけて準備した少女時代のタイトル曲を押しのける時代だ。単純にコードとメロディーを作るレベルから脱し、自分ならではの哲学を導き出し、その過程で引き下がれない確信を備え、自分が立つステージに堂々と責任を持つこと、それが“ミュージシャン”として認められる大衆のデッドラインであることを、忘れてはならない。

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記者 : パク・ジョンウォン