【スターコラム】イ・ハイ「お小遣いは月1万ウォンでOK」 ― Vol.2

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2012年はイ・ハイにとって本当に有意義な一年でした。SBSオーディション番組「K-POPスター」で2位になり、YGエンターテインメントと契約を結び、思春期の少女の人生はガラリと変わったのです。デビュー曲「1.2.3.4」でなんと25日間も音楽配信チャートで1位を記録し続けるなど、昨年、新人歌手の新記録を塗り替えた“怪物新人”が彼女です。平凡な10代の女の子の日常に大きな変化が生じたのは当たり前の結果でしょう。ボーカル及びダンスのハードなトレーニング、深夜まで続くレコーディング、ミュージックビデオ撮影、テレビ番組出演まで、休む暇のないスケジュールの連続です。それだけではありません。愛する家族とも離れてYGの宿所に泊まる時間が長くなり、当面はおいしい食べ物ともさようならです。ダイエットが何だって言うんだ! イ・ハイが聞かせる音楽界のシンデレラ誕生の前と後を、「スターコラム」で2回にわたってお届けします。NAVER読者のみなさん、明けましておめでとうございます。/編集者

NAVER スターコラム:イ・ハイ


学校と家を往復するだけの生活でした。なぜでしょう?(笑)

私は自由奔放な性格です。今はちょっと落ち着くようになったと母は喜んでいます。幼い頃はあっちこっちに遊びに行くのが好きだったし、誰にでもまず挨拶しながら声をかけるタイプだったそうです。学校では仲の良い子達だけで遊ぶのではなく、みんなでワイワイ楽しんでいます。それでも友達と遊ぶ場所は、学校と家だけでした。

お小遣いが少ないから、他に行くところもありませんでした。歌手になったら、周りの大人からカラオケにはよく行ったの?と聞かれるんですが、本当に行きたいとは思っていました。でもお小遣い月1万ウォン(約830円)でどこに行けますか? 家と学校だけで終わっちゃいますよ。

だから、友達と主に学校で昼休みと休み時間に遊んでいました。外に出ると別に遊べることもないから、時々友達の家に遊びに行って、ボードゲームをしたりしました。幸い、大きな家に住んでいる友達がいて、みんなで集まってボートゲームをしたり、好きな歌手の歌を一緒に聴くのが楽しかったです(笑)

中学校は男女共学でしたが、彼氏を作る機会はありませんでした。本当ですよ~。ハハ。私が通っていた学校は、男子、女子の概念より、みんなで一緒に友達になる雰囲気でした。特に私のクラスは本当に仲良しで、みんなで親睦会もよくやっていました。男子学生に気兼ねしたことはなかったと思います。


月1万ウォンのお小遣いで過ごす方法

お小遣いの金額も変わっていません。月に1万ウォンずつ。実はYGに入ってからは自分でお金を支払うことはありませんでした。歌手になったので、お金をたくさん稼いでいるのではと言われますが、親がちゃんと貯めてくださってるでしょう。母と父から、私のお金を使うことはないから心配しないでって言われましたし(笑)

中学の頃、私のお小遣いはとても少なかったんです。学校から家までの往復バス代も含めた金額でした。だから、私はバスに乗りませんでした。姉は私の10倍のお小遣いをもらっていました。親は「ハイは少しでも大丈夫だから」と言い、引き続きとんでもない金額のお小遣いをくださいました。

私は母と父におねだりもせずに、1万ウォンだけでも、それに合わせてうまく過ごしているからでしょう。親から褒められたので、もっと意地になったようです。もっとお金をちょうだいって言いたくないから、何があっても1万ウォン以内で過ごしてやると決心しました。学校はバスで10分ほど離れた距離です。雨と雪の日だけバスに乗っていて、ご飯は必ず家で済ませました。

まずお小遣いをもらうと、他のところに使わないように5000ウォン(約415円)をバスカードにチャージします。そうすると、本当のお小遣いとして5000ウォンが残ります。だから、テストの成績が大事です。試験が終わった日に、今日は外で遊ぶ約束があるとさりげなく許しをもらうんですが、そういう時はお小遣いを多くもらえます。それを狙っていました(笑) でも勉強はそんなに得意ではないので、だいたい1万ウォンしかもらえませんでした。ハハ。

洋服や本のようなものも、母と父が全てを買ってくれたのではありません。親はお小遣いを少ししかくれなかった代わりに、通帳を作ってお金を貯めていました。中学3年生になったとき、その通帳をもらいました。父は「お前がここまでやるとは。これからは信じて通帳を丸ごとあげるよ」と言いました。「今までお前がやり遂げたことだから、お前だけにあげるよ」とも言いました。金額は秘密です。


スマートフォンって本当に良いですね!!(笑)

携帯電話は小学校6年生の時から使っています。友達に比べてかなり遅かったですね。とても小さくて、不便な携帯でした。その時から節約していたからか、月額最安値の18000ウォン(約1500円)定額プランでした。でも、あまり電話もこないし、自分からもかけない方なので、無料通話分が残っていました。今は親がもっと余裕のある料金プランにして下さっているけど、中学2年生のときまでは一番安い定額プランでした。

オーディションが終わって2位になった後、合宿場所から荷物を片付けた日に初めてスマートフォンになりました。合宿当時、作家さんたちと連絡をしなければならないのに、電話がつながらなかったんです。私が電話にあまり出ないから。携帯をいつも持っているためには、スマートフォンが必要だと親に言ったら、すぐ買ってくださいました。

「K-POPスター」で賞金はなく、ヒュンダイ自動車のi30をもらいました。それは親に差し上げて、母は私にスマートフォンをプレゼントしてくださいました。ハハ。お金の管理は全て親がしています。


父も歌手を夢見ていました

父も昔、歌手になりたかったけれど、家の事情もあって自ら歌手になるのは難しいと判断して諦めたそうです。父は私を信じて歌手になることを応援しようとしてくれましたが、母は絶対ダメだと猛反対していました。

親に認めてもらいたかったので、CDプレイヤーの伴奏で家で歌を歌ったりしましたが、一度も褒められたことはありませんでした。審査員の前で歌う時よりもっと緊張していました。審査員には評価を受ける希望もありますが、親は「お前はダメだ」と冷たく言って、それで終わりなんですよ!!

その当時はもっとひどい低音だったので、男性の歌を歌いました。楽しみながら、気持ち良くなれるよう、最後まで歌いました。一度やってみてダメだったら、翌日歌いましたし、うまく歌える日は引き続き歌っていたら、ある時、高音を出せました。変声期には、声のトーンももっと高くなりました。でもその前は母の友達が電話して、お前の家に男の子がいるの?って聞くほど、男子の声でした。どうにも高音が出なくて、男子のトーンだから、母は私が歌手になるのは無理だと思ったはずです。

歌手になる前の私のストーリー、面白かったですか? 書きたい内容は多いけど、どう書けばいいか分からないので大変ですね。作家さん、尊敬します。今度は私のYG練習生生活について話しましょう。みなさん、明けましておめでとうございます~^^

文:イ・ハイ

「NAVER スターコラム」は、注目の俳優やアイドル、アーティストたち本人がコラムを執筆。話題のスターが直接書いたコラムをお届けしています。

記者 : ソン・ナムウォン、編集 : OSEN ソン・ナムウォン局長(mcgwire@osen.co.kr)、写真 : イ・ハイ、YGエンターテインメント