「大風水」と「シンイ-信義-」の二人の恭愍王、ここが違う

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写真=SBS

外国の勢力に立ち向かう力を理想郷で探そうとする「大風水」の中の恭愍王

SBSの月火ドラマ「シンイ-信義-」と水木ドラマ「大風水」には、二つの共通する部分がある。一つは、両方とも正統派の時代劇ではなく、現実の歴史に想像力を加えたフュージョン時代劇である点だ。二つ目は両方とも高麗末期の王である恭愍王(コンミンワン)が登場する点だ。

しかし、二つのドラマの中で恭愍王を活用する方法には違いがある。まず、「シンイ-信義-」の恭愍王(リュ・ドクファン)は元国という帝国に立ち向かい、自主的な君主になろうと努力する。もはや高麗が元の属国ではなく、独立した国としての様子を整えるために、自主性を確立しようと頑張る。

その反面、「大風水」の中の恭愍王(リュ・テジュン)は、「シンイ-信義-」の恭愍王のように自主的な君主としての王というよりは、元国の顔色をうかがう王だ。イ・ソンゲ(チ・ジニ)が朝鮮を開国したことを正当化するために、恭愍王の無力なイメージが強調される。「シンイ-信義-」の恭愍王とは正反対の地点に位置するのだ。

この違いは、二つのドラマの中で恭愍王が目指していることにおいても違いをもたらす。「シンイ-信義-」の恭愍王は外国の勢力を後ろ盾に、王を見くびる傲慢なキチョル(ユ・オソン)と対立構図を形成する。元国と対立する前にキチョルという内部の敵と戦わなければならないのだ。まずは宮廷の中の覇権を王が握ってこそ、対外的にも主権を確立できるという論理が「シンイ-信義-」の中には存在する。

しかし、「大風水」の中の恭愍王は、元国と対立する原動力を“紫微垣局”という理想郷から探そうとする王だ。この論理でドンリュン(チェ・ジェウン)に紫微垣局を探すように命じるのだ。言い換えれば、「大風水」の中の恭愍王には外国勢力を克服できる力が自分自身にはすでに残っていないことを物語っている。

この違いにより、「シンイ-信義-」と「大風水」の中の恭愍王は違うように見える。もしかすると、「大風水」は高麗を改革の意志を内部から失った王のイメージを強調するために、そしてイ・ソンゲのクーデターを正当化するために、内部から既に改革を意志を失った恭愍王を描いているのかも知れない。

記者 : パク・ジョンファン