T-ARA ウンジョンの「蒼のピアニスト」降板は“資本主義”と“信義”の衝突

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【主張】ウンジョンの「蒼のピアニスト」降板は人々の感情と資本主義感情の対立

7月末に起きたT-ARA騒動が幅広く拡散している。出演を決めた役者に降板通告決定を下した「蒼のピアニスト」の制作スタッフを、今度は韓国芸能マネジメント協会(韓芸協)と韓国放送演技者労働組合(韓演労)が猛攻撃している。「蒼のピアニスト」の制作スタッフに対し、韓芸協と韓演労が連合して対立する形となったのである。

韓芸協と韓演労が主張する論理は、ウンジョンに対する信義を守らなかった「蒼のピアニスト」の制作スタッフに対する怒りの表明だと言える。ウンジョンの意志によるドラマ途中降板の形ではなく、制作スタッフからの中途降板通告だったため、韓芸協と韓演労は「蒼のピアニスト」側が、ウンジョンへの信義を最後まで守り通さなかったと非難しているのである。一言で言えば、韓芸協と韓演労の論理は、“信義”に対する論理だ。

これに対立する「蒼のピアニスト」側の制作スタッフの論理は大きく二つに整理できる。一つは“人々の感情”だ。SBSの立場からは、同時間帯視聴率1位だった「紳士の品格」の後続作品である「蒼のピアニスト」の視聴率に敏感にならざるを得ない。さらに人々は「蒼のピアニスト」に出演するウンジョンの降板を根強く要求していた。

今のところ、ベテラン俳優や子役の演技によって支えられている「蒼のピアニスト」だが、今後ウンジョンが出演することになれば、チャンネルを裏番組に変えるかも知れないという人々の感情が負担にならざるを得なかった。T-ARA騒動によってウンジョンに反感を持っていた視聴者が集まれば、「紳士の品格」に続く2打席連続ホームランは望めなくなることは必至だ。

ウンジョンを降板させた制作スタッフの2番目の論理は「資本主義的感情」だ。ここで言う資本主義的感情とは、ドラマのPPL(Product Placement:テレビ番組や映画に特定会社の商品を小道具として登場させること)だ。提供が必要な制作スタッフの立場からすれば、PPLの論理は信義の論理ではない。今後、ウンジョンの出演により形成される人々の反感で視聴率が下がれば、PPLが減るか、無くなるのは目に見えている。資本主義的感情が信義の論理に勝つ。

人々の感情は、資本主義の感情と密接な関わりを持つ。ドラマが人々の人気を得たとき、PPLの威力は大きくなる。反対に、人々から顔を背けられれば、PPLは少なくなるのが普通だ。このように人々の感情と資本主義の感情は“比例関係”にある。ドラマが人々の人気を得れば、PPLを通じて資本主義の感情も力を得て、反対に人々が顔を背ければ資本主義の感情も力を失う。

現在「蒼のピアニスト」の制作スタッフに対する韓芸協と韓演労の対立は、人々の感情、資本主義の感情に立ち向かう信義の感情だと解釈できる。ウンジョンへの人々の感情が、これほどまで冷たくなければ、制作スタッフも途中降板という強力な措置を取らなかっただろう。これに対し韓芸協と韓演労は、義理を守らない仕打ちだと制作スタッフを非難しながら、担当プロデューサーの降板を強く求めている。

「蒼のピアニスト」制作スタッフと韓芸協・韓演労の対立の勝者がどちらになるのかは誰にも分からない。しかしこのような状況は、単純に制作スタッフと韓芸協・韓演労の対立でないことを指摘したい。これは人々の感情、資本主義の感情とそれに立ち向かう信義の感情との対立だ。

記者 : パク・ジョンファン、写真 : イ・ジョンミン