「シンイ-信義-」の“狼少年”をご存知ですか?

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写真=SBS

SBS月火ドラマ「シンイ-信義-」オ・デマン役のキム・ジョンムン“B-Boyから役者に”

SBSドラマ「シンイ-信義-」の無頓着な武士チェ・ヨン(イ・ミンホ)の傍にはムードメーカーの明るい少年がいる。ツンツンとしたお茶目なヘアスタイルで、普段は口ごもりつっかえながら話すオ・デマン。だが“隊長”チェ・ヨンのことになると、すぐ真剣になる。

迂達赤(ウダルチ)部隊員のオ・デマンは人里離れた山で生まれて育ち、“狼少年”というあだ名も付けられた。おかげでオ・デマン役のキム・ジョンムン(25)はただ走るだけでもいいシーンでジャンプや宙返りをしなければならない。それらがさらに楽な“アクション型”のキャラクターであるからである。「急ぐときは四足で走る」と言う設定のため、四足歩行も練習したと言う。

24日にキム・ジョンムンをインタビューした。アクションシーン撮影中に目の下に怪我をし、病院に行ってきたという。傷を縫合してから撮影に臨んだという彼は、その日の夜にも撮影があると話した。

視聴者には見慣れていない顔だろう。キム・ジョンハク、ソン・ジナのコンビによる大作で、出番もそれなりにある役なので、新人としてはこんなにきつい撮影は初めてではないかと思っていたが、彼はデビュー作のMBNドラマ「What's Up」を何と2年間撮影していたという。当時「What's Up」でのソン・ジナ脚本家との縁で「シンイ-信義-」にもキャスティングされた。


手ぶらでソウルに来た10代、ULALA SESSIONのイム・ユンテクに会う

「シンイ-信義-」でまるでフリーランニング(町を走り回るエクストリームスポーツ)をするような、走り回る動きが人並みはずれだというと、彼は「7年間B-Boy(ブレイクダンス)の活動をした」と答えた。

江原道(カンウォンド)の田舎出身の彼は高校に進学した年、一人でソウルに行く決心をした。洗濯物を畳んでいた母親は5秒で息子の“爆弾発言”を受け止めた。知り合いもないソウルに着いたキム・ジョンムンは、今はULALA SESSIONのリーダーであるイム・ユンテクが団長であったダンスチームのGet Backersのオーディションに通った。

キム・ジョンムンは「メンバーの家に居候しながら生活していた。ダンスがたまらなく好きで、何をやっても僕は幸せだったから辛くなかった」と振り返った。彼には今や有名人になったイム・ユンテクとの思い出もある。

「イム・ユンテクさんはダンスへのプライドの高い、とてもカッコいい人でした。プロ精神が半端じゃなかった。『SUPER STAR K』にULALA SESSIONが出演したときには、イム・ユンテクと書いてあったけど、同じ人とは思えませんでした。昔に比べてずいぶん痩せていたので……。

Get Backersで活動していた頃、彼はチームの団長で、僕は末っ子だったので気兼ねをしていたというか。年上の人にどう接したらいいのか分からないと、初めて思ったのもあの頃でした。チームを辞めてからは連絡をしていません。イム・ユンテクさんが有名になったと知っていきなり連絡するのもちょっと。『神医』を見て、僕を覚えてくれるかな」


「シンイ-信義-」の撮影現場で四足で走った理由

キム・ジョンムンはB-Boyの活動をしながら、「B-Boyコリア」「ガイズ&ドールズ」などのミュージカルにも立ったが、ダンスで半年はベッドから起きられないほど寝付いたこともあった。それで彼は「ダンスをこれ以上続けられない」と思い、演技専攻で大学に進学した。

「What's Up」の公開オーディションは、当時彷徨っていた彼にとってチャンスになった作品である。本格的な社会生活も演技も初めてだったキム・ジョンムンに、チョ・ジョンソクやイム・ジュファンなど「What's Up」のキャスト陣は色々と教えてくれた。「シンイ-信義-」で口下手なオ・デマンの役作りのために、「建築学概論」のナプトゥク役のチョ・ジョンソクが電話で演技指導をしてくれたという。

今回は“ミンホ兄さん”から“ヒソン姉さん”まで、新しい人脈を作る楽しさがあるようだ。キム・ジョンムンは「アクションシーンの撮影で怪我をしたときに、ミンホ兄さんからすぐ大丈夫かと連絡が来て、ヒソン姉さんとユ・オソンおじさん(ユ・オソンは自分のことを怖がるキム・ジョンムンに『おじさんと呼んでくれ』といってくれたという)も心配してくれた」と話した。彼は「シンイ-信義-」でのキャラクターにまつわるエピソードも話してくれた。

「『神医』にキャスティングされた後、スタッフに馬に乗れるかと聞かれました。それで急に次の日から乗馬を教わりました。その後、撮影に行ったら、オ・デマンは“馬より速い人間”だと、みんな馬に乗っていくのに一人で走っていきました(笑)

台本に“四足で走る”と言う設定があって練習もしました。ある日、フィリップ兄さん(イ・フィリップ)が『四足で走れる?』と聞いて、ヒソン姉さんやミンホ兄さん、スタッフがみんな集まったことがありました。それで四足で走ってみたら『案外いい感じ』と言ったので戸惑ったことがあります」

「生きてきた環境が違うため、演技にもハマリ役があると思う」という彼の言葉のように、役者キム・ジョンムンは10代の頃からやってきたダンスのお陰で「シンイ-信義-」のオ・デマンという予想外の道に入ることができた。そのためか、顔を知らせたばかりの彼は「大ブレイクすることよりは、どうやって生きていくかがもっと重要だ」と話した。

Oh My Friend
“何をやっても信じてくれる家族”

キム・ジョンムンは中学1、2年では学級委員だったという。3年生になってダンスという道を決めるまでだ。彼の両親はいきなり「ダンスのためにソウルに行く」といった彼に反対しなかった。高校に進学する時から始まったソウル生活は今も続いている。

「両親は僕が何をやっても僕のことを信じてくれます。いきなりソウルに行くと言い出したときも快く行かせてくれたし、演技を始めた時も応援してくれました。いつも信じてくれるからそれを裏切れません。

家ではぶっきらぼうなほうです。外では優しいけど家ではうまく表現できなくて。無口だから母がソウルで元気にやっているかと心配しています。『硬すぎると折れてしまう』といつも言われています。表現はうまくできなくても、僕の人生のOh My Friendは家族です」

記者 : イ・ヒョンジン