「カクシタル」友達だった二人が選んだ、それぞれの復讐の道

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写真=KBS

KBS「カクシタル」、復讐の始まりは、自覚の始まり


親友イ・ガント(チュウォン)と木村シュンジ(パク・ギウン)の、すれ違った復讐の序幕だった。

木村シュンジの兄、木村ケンジの手によって母を失ったイ・ガントは、ただ“復讐”という心一つで鍾路(チョンノ)警察署に向かい、結局木村ケンジを死に至らせる。また、カクシタルの仮面を付けたイ・ガントが自分の兄を殺すシーンを目撃した木村シュンジは、小学校の先生という身分にも関わらず銃を持ってカクシタルを追い、彼に銃口を突きつける。

家族の生計のために、朝鮮人としてのアイデンティティから目をそらして日本の刑事として生きていたイ・ガント。朝鮮の文化が好きで、武家の出にも関わらず小学校の先生として満足していた木村シュンジ。二人とも、兄という血縁の死により、これまで自分が意識的に選択してきた存在から脱することになる。そして二人とも、復讐を選択するに至った。


“二人の友だち”イ・ガントと木村の、復讐と覚醒

しかしこの復讐の始まりは、結局二人にとって自分のアイデンティティに対する自覚の始まりでもあり、全く違う選択の始まりにもなる。

イ・ガントは、これまで心の中では大事にしていても、バカだと無視していた兄がカクシタルだったことを知り、たかが国などのために命を捧げたのか、と絶叫する。しかし、すぐ兄の復讐がただの若い無謀さに満ちた行動ではなく、かつて朝鮮末期に国を守ろうとした父の死にまでさかのぼり、これはまた現在の植民地朝鮮で日帝にこびり付いて栄耀栄華を営む親日派にまでつながることに気がつく。

そしてこの事実は、ただ生計のために日本にへばり付いていた自分への反省と、2代目のカクシタルへの変身を促す。きっかけは復讐でも、これによりイ・ガントは、さらに自覚した自我を持つ、社会的な人間として生まれ変わることになるのだ。

反面、木村シュンジは反対の道に乗り出す。幼い頃から好きだったモクダンがカクシタルに関係していることを知りながらも彼女を救うために警察署へ駆けつけ、幼い生徒たちが持ってきた朝鮮の物を大事にしていた木村シュンジ。しかし、兄の死を前に理性を失った。それからは生徒たちに君が代を歌わせ、カクシタルの死との関連性を聞く生徒に体罰を加える。そして結局、日本警察の制服を着ることになる。

もちろんモクダンを救うための条件ということだが、もしかしたらそちらへ向かいたい心を動かす言い訳の一つだったのかも知れない。自分の父と兄がどういうことをやって来たのか、また兄の死が決して義のあるものでなかったことを明白に知っていながらも、彼はただひたすら兄の死という事実にだけこだわる。小学校の先生だった木村シュンジが、理性的で意識的な人間だったなら、復讐を始めた木村シュンジは、理性を諦め、感情と血縁に身を投げた盲目的な獣に生まれ変わるのである。

そして、第9話以降のカクシタルは、正反対の復讐の道を選んだ二人の友だち、並んで自転車に乗って兄の死を悼んだ二人の友だちのすれ違う歩みが展開されることになる。

「神の天秤」「楽しい我が家」などで社会的な欲望を前に、すれ違う二人の正反対の選択を描くことに卓越な面を見せたユ・ヒョンミ脚本家は、漫画家ホ・ヨンマンの「カクシタル」でもう一度自分の得意なストーリーを描くことになった。少なくとも第8話まで展開に関しては、イ・ガントと木村シュンジの選択を通じて、結局社会的な欲望、或いは葛藤を前に一人の存在を決定するのは、彼の意志ではなく、社会的な存在だという決定論を主張している。

もちろん、これからの展開で木村シュンジは、時にはイ・ガントと対立し、時にはモクダンへの愛によりドラマの葛藤を生み出して行くだろうが、結局は兄に代わって、又は父を継いで日本に忠誠する彼の存在は、彼の理性を蝕むことになるはずだ。

そしてもう一つ、七人会の計画に垣間見れるように、カクシタル捜索作戦を利用して鍾路の商権を奪おうとする木村シュンジの父、そして彼の一味になった親日の伯爵、病院長、そして銀行の頭取たち。朝鮮の滅亡を手引きし自分の権力と欲望を満たすために専心している親日派の存在は、日本人と朝鮮人という二分法を超え、今日までも薄気味悪く続く、もう一つの社会的存在の欲望を表現している。

これが、日帝時代を背景に描かれる「カクシタル」の世界に既視感を感じる、もう一つの理由だろう。また、これは私たちに、「あなたはどちら側の人間か」と、内密に質問を投げかけている。その動きを、ぎくりとしながら見守ってみよう。

記者 : イ・ジョンヒ