「2度の結婚式と1度の葬式」キムジョ・グァンス監督“同性愛者だということが、僕を正しい道に導いてくれた”

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「一緒に寝たい男は多いけど、手をつなぎたい人はあなただけ」
映画の中に登場するゲイたちが合唱している。映画「2度の結婚式と1度の葬式」(以下2結婚1葬式)はとてつもなく明るくて、信じられないくらいロマンチックな映画だ。誰が見てもお似合いのミンス(キム・ドンユン)とヒョジン(リュ・ヒョンギョン)の結婚式から映画は始まるが、新婦には長く付き合った恋人ソヨン(チョン・エヨン)がいて、新郎はゲイバーで出会ったソク(ソン・ヨンジン)に一目惚れする。

偽装結婚で絡まったゲイとレズビアンカップル、下手をするとわざとらしく見えるかもしれない設定を飛び越え、勇敢で愉快に繰り広げられるこの映画は短編「少年、少年に出会う」「ただの友人?」「愛は100度」に続きキムジョ・グァンス監督にとって初の長編映画だ。カミングアウトした同性愛者監督、そして制作者でありながら社会的弱者団体の集まりには何があっても参加し、笑ったり、泣いたり、話したりする彼の人生が染まった作品でもある。近い将来結婚する計画をしている19歳年下の恋人との新婚旅行先を聞けば、迷いもなく“キューバ”と叫びながら意気揚々に微笑む、48歳とは思えないラブリーな“青年”キムジョ・グァンス監督に会った。

―今、映画広報の真っ最中だと思う。テレビでのプロモーションはお金で換算したら、とてつもない金額だが、この間MBC放送局とのインタビューを断ったそうだが。

キムジョ・グァンス:MBC報道局の記者だという方からインタビューがしたいというメールが来た。ストライキ中なのにインタビューをするのかなと思ったら、インターン記者だった。いつもキム・ジェチョル社長の悪口を言っていた僕がMBCとインタビューするのはおかしいと断ったら、その方が映画を気に入ったのか続けて連絡をしてきた。理由もなく断っても仕方ないからMBCのストライキを支持する認証ショット(証拠の写真)を載せた。

―「我々が作った映画が上手くいかなければならない」という悩みはなかったのか。MBCのストライキを支持するという信念もあると思うが、「2結婚1葬式」がお茶の間に知られると、韓国の同性愛者に対する世間の認識が少しでも変わるかもしれない。

キムジョ・グァンス:ストライキ中のマスコミ、“朝・中・東”(朝鮮日報、中央日報、東亜日報)とはインタビューをしないという考えを持っていた。僕はそんなに悩んでいなかったけど、マーケティング部は悩んでいたと思う。朝鮮日報一つでもなく“朝・中・東”とテレビ局もストライキ中のメディアが多いから。その代わりに僕が違う方法で頑張ると言って、Podcast「俺は、タンタラ(芸能人を見下して呼ぶ言葉)だ」も始めた。そこでいっぱい騒いで映画のことを話したら、“朝・中・東”に広報しなくても大丈夫だと思う。

「僕の映画の中のキャラクターは、愛に関しては非常に積極的」

―早速映画の話をしてみよう。映画の中のミンスとソクは刹那のすれ違いでお互いに一目惚れして恋に落ちる。前作「少年、少年に出会う」でもその初めての出会いをとてもロマンチックな運命的な瞬間として描いたように“古典的なラブストーリー”が好きなようだ。

キムジョ・グァンス:僕はいつもそんな恋に落ちる。実はそれが問題だ(笑) 一目惚れすると良い人に出会うのが難しい。自分に合った人と恋愛するのではなく、外見や雰囲気に惹かれて、あまりにもゾッコンになってしまうと良い恋愛ができない。それでもすぐ別れたり、また違う人と出会うとき、運命的な愛に対するロマンを捨てられない。今付き合っている恋人も同性愛者の人権運動団体の友人として出会ったが、扉を開けて入ってくる彼の後ろから後光が差した。他の人と3人で入ってきたけど、彼だけが光っていた(笑) ピョン・ヨンジュ監督は僕の映画を見て死にそうだったと言った。

もしこの映画が異性愛者のラブストーリーだったら、観客たちが愚痴を言ったかもしれないけど、同性愛者のラブストーリーだから幼稚だと言えずに我慢して見ているんだと言った。ハハ。次の映画に40代のゲイが登場するけど、ピョン監督から「40代のゲイにあんなことをさせるな」と言われた。でも「僕は僕の恋人とあんなことをしているの!」と話した。そしてら、「兄さんの話は兄さんだけの話だよ、皆は共感できないと思うけどな!」と言われて今は悩んでいる。本当に皆、共感してくれないかな?うーん……

―同性愛者や異性愛者が誰かに一目惚れする場合は多いが、たいてい勇気がないから片思いで終わってしまうだけ。その感情を恋愛に発展させるのが難しいからだと思う。

キムジョ・グァンス:だけど、僕は魅力的な人がいたら街でもバスの中でも事務室でも話しかける方だ。自慢かもしれないけど、失敗した経験はない(笑) 他の人はそうではないと聞いて、異性愛者と同性愛者の違いだと思ったけど、そうではなかった。一目惚れしても告白することが難しかったり、告白したとしても上手く行く保証がないと言われて「なんで? 僕はいつもオッケーだったのに……」と自慢したら「あっち行け!」と嫌われた(笑) 僕がそうだから、僕の映画の中のキャラクターたちも愛に関しては非常に積極的だ。

―一度も失敗したことがない、その秘訣は何だと思うのか(笑)

キムジョ・グァンス:積極性だと思う。積極性はそれ自体が魅力になる。特に異性愛者たちは誰かに小さな好感を感じても何も言わないけど、大きな好感を感じた時だけは積極的になれる。だが、同性愛者は特定の場所やコミュニティだけで出会いがあるから、誰かが先に積極的にアタックすると「ここだから彼に出会えたんだ。世の中イケてる人なんてそんなにない(笑)」というような考えを持っている。それにゲイたちは男と男で、男たちは性的な衝動や愛情に対する欲望が女性よりも強烈に感じるから、火花が散るかもしれない。もちろん一人だけが積極的だとしても、それが長続きできるとは言えないけど、始めのときは十分に積極的になれる。僕の周りで恋愛が持続できない同性愛者を見ていると、傷つくことを恐れて消極的な態度を捨てることができていない。

―傷つくことを恐れるのは異性愛者も同じだ。

キムジョ・グァンス:そうかな?僕はいつもこう話している「傷つくことを怖がってはいけない。そして幅を広げろ。そうすれば僕のように19歳年下とも付き合えるんだぞ(笑)」実は僕は19歳年上でも構わない。60代でも問題ない。人柄が良ければ、年齢も地域も関係ない。僕は遠い地方に住んでいる人と長く遠距離恋愛をしたことがある。一週間に一回電車に乗って会いに行くときのトキメキがとても好きだった。原州(ウォンジュ)に住んでいた人と付き合ったことがあって、夜11時10分の終電に乗ると2時間がかかった。恋人が原州駅に迎えにくるから彼の家に泊まって、夜明けの6時に起きてまたソウルに戻った。付き合っていた何ヶ月間は毎日そうした。皆はそれが簡単なことではないと言っていたけど、僕にはそんなに難しくないことだった。「どうせ家に帰っても早く寝ないから、寝る時間はほとんど同じ!」と思ったのだ。恋愛のときだけは時間と努力を捧げることが苦痛にならず、楽しむタイプだ。

―そのためか、ミンスとソクの恋愛において、些細な瞬間が凄くキラキラと描かれた感じがした。異性愛者たちが手をつないで歩くように、当たり前にはできないが、離れて歩きながら携帯メールのやり取りをするのも彼らにとっては大切な瞬間だ。

キムジョ・グァンス:シナリオ会議のときもソクとミンスがあまりにも早く恋に落ちてしまったことで、ラブストーリーをもう少し見せる必要があるかないかについて話し合った。だけど、その部分まで入れたら、映画が長くなってしまうので細かく説明する代わりに、この二人が深く愛し合っている感じだけを伝えることにした。だから二人が周りの視線を意識して離れて歩きながらも十分に楽しんでいる状況を描いたら、異性愛者のラブストーリーでは見られなかったゲイのラブストーリーの独特な部分がもっと甘く表現できると思った。

―異性愛者のラブストーリーの基本は「私をつかまえてみて~」のようなものだと思うが(笑)

キムジョ・グァンス:ハハハハ。実は僕も本当に「つかまえてみて~」が好きで、ミンスとソクの樹木が並んでいる道をデートするシーンに入れたかったけど、皆に「それだけはやめてくれ」と止められた(笑)

―「2結婚1葬式」はラブコメディだけど“お葬式”というタイトル通り重たい悲劇も一緒に含まれている。ドキュメンタリー映画「鐘路(チョンノ)の奇跡」でゲイの合唱団、G-VOICEのメンバーとして活動していたが、髄膜炎で息を引き取ったティナというキャラクターが二つの作品をつなぐ重要な“カギ”になっているが、どんなふうにこの話がつながるのか。

キムジョ・グァンス:最初にどんな映画を作ればいいのか悩んだとき、その出発がティナのお葬式だった。ティナに別れを告げるのが本当に悲しかったけど、三日葬(故人の死後3日間にわたって葬式を行うこと)をしていると、悲しいけど故人との思い出を話しながら笑ったり騒いだりするときがある。だからお葬式で踊ったり歌ったり、泣いたりする。僕の映画の中にこれを盛り込んでみたかった。だけど、シナリオを考えているとき「サニー 永遠の仲間たち」が封切りになって、お葬式で歌って踊る場面が出てしまった。雰囲気は違うけど、ちょっと間違えると真似したように見えるから、火葬場で泣きながら歌う場面を入れるだけだった。

―コミカルで愛らしいティナ(パク・ジョンピョ)や“姉さんたち”と呼ばれる中年男性のゲイたちのキャラクターが映画全般の原動力になっている。俳優たちの演技も素晴らしいがキャラクターが持っているイキイキとした明るさも凄いと思った。

キムジョ・グァンス:最初はティナが主役だった。ラブコメディの主人公としては少し難しい部分があるから、ミンスとソクが中心となって話を繰り広げているが、ティナのキャラクターをちゃんと描きたかった。この人物が天然でおかしくても観客たちがティナのことを愛らしく、切ない感情を持てるように努力した。“姉さんたち”のキャラクターは私の周りの人々からアイデアを得た。二人を混ぜたキャラクターもいて、一番年上のお姉さん(パク・スヨン)とは外見は違うけど、性格が似ている部分もある。ティナを除いては皆に同意を得たし、僕の考えはティナのことを美しく思い出すことだったけど、見ている人々が共感できなかったらどうしようと心配した。だけど、モニタリングしてくれた方々が「魂が残っているなら、ティナも喜んでいると思う」と言ってくれて、勇気をもらった。

「これからも青少年たちと一緒にできることをたくさんやってみたい」

―前作「ただの友人?」の身体露出や接触の水位が高くないにもかかわらず“扇情性と模倣の危険性がある”という理由で青少年観覧不可判定を下された。同性愛者に対する審議のものさしは異性愛者を図るときもよりさらに厳しい。「2結婚1葬式」は意外にも大胆な表現であるが、15歳観覧可能の許可を得た秘訣が気になる。

キムジョ・グァンス:「ただの友人?」のときは再審議まで要請したけど、青少年観覧不可の判定が下されたので、訴訟を起こして一審と控訴審で勝った。まだ最高裁に係留中だけど、そのときはあまりにも一生懸命に戦っていたので「いい加減に目をつぶってあげた方が良いかも。もし間違えたらまた騒ぐかもしれない」と思いながら、僕のことを避けた気がする(笑) それに「2結婚1葬式」は企画と撮影段階で制作者と投資者両方のとも「青少年観覧不可になる確率が100%」だと言ったけど、僕は最初から15歳観覧可能を目標にして、何としてでもその基準に合わせて映画を作りたかった。だから熱いベットシーンよりはコミカルに撮影して、タクシードライバー(チョン・インギ)の悪口も編集して、酷くない部分まで取り除いた。

僕が青少年期に同性愛者という理由でとても苦労しただったので、青少年たちが映画館で見れるクィア映画(性的マイノリティを扱った映画)を作りたかった。だから最近青少年たちが「2結婚1葬式」の団体観覧をしていると聞くと本当に嬉しい。これからも青少年たちと一緒にできることをたくさんやってみたい。

―作品の中で葬儀会社の間接広告が非常にウイットのあるユーモアとして使われたりもしたが、同性愛映画という理由で協賛を得ることが難しくはなかったか?

キムジョ・グァンス:「2結婚1葬式」は制作費3億ウォン(約2080万円)という低予算映画であるため、結婚式や葬式など重要なシーンを撮るにも費用面で苦労するだろうと思った。しかし、適当に撮ってはいけないから協賛を得てみようと思って連絡したら、意外にも非常に積極的に協賛してくれた。ウェディング会社の場合、結婚しない人口がどんどん増える中でいつか同性の結婚が合法化されたり、ある程度社会的に受け入れられるようになった場合に新しい市場になると、近い将来ではなく遠い未来を見据えたのだと思う。葬儀会社も映画の中で葬式が意味深いものとして描かれればいいと、同性愛という要素は重要に思わなかったようだ。ただ、葬式のシーンで会社名がよく見えるようにしてくれと言われた(笑)

―映画の中、ミンスとソギのロマンスがロマンチックなファンタジーに近い反面、カミングアウトに関する悩みやホモフォビアの問題は非常にリアルである。特に印象的だったのは、自分は正常で常識のある人間だと自負する異性愛者が、同性愛者たちの人生にどのように介入して彼らの幸せを壊すのかを見せてくれる部分だった。

キムジョ・グァンス:「2結婚1葬式」をミンスの成長映画としたらカミングアウトが非常に重要になるが、特にカミングアウトとアウティング(他人が同性愛者だとばらすこと)について見せたかった。異性愛者たちは深く考えなかったりもしくは善意を持って行動を行うけど、同性愛者たちはその行動のせいでアウティングされて土壇場に追い込まれることがあると考えられない場合が多い。そのため、むしろ親がミンスとソク、もしくはヒョジンとソヨンの関係に気づいて葛藤が生じるよりも、第3者から問題が始まり、主人公たちが社会活動をする職場でのアウティング、カミングアウトにつながる方が見せ方としていいと思った。

―ミンスとソギが最も極端に対立するシーンのように、カミングアウトをするかしないかとか、カミングアウトをした人がしなかった人にそれを促すことができるだろうかということについては、依然として複雑な問題だと思う。特に、韓国は差別禁止法さえまともに制定されていないため、同性愛者が経験する社会的な不利益に対して、安全策がまったくない状態だ。そんな状態の中でも監督は、家族はもちろん人々にもカミングアウトをしたが、あなたの立場からしたら、そのことについてどう思うか?

キムジョ・グァンス:カミングアウトは強要できない問題だと思うし、良心の問題とも言えない。しかし、積極的に勧めるほうだ。なぜなら、カミングアウトの後、僕と僕の周りの人々が以前より高いプライドを持って幸せに暮らすことができるようになったたからだ。数年前、テレビで「カミングアウト」という番組を見たことがあるけど、それを見て少し不満に思った。放送時間のほとんどが泣いたり叫んだりする姿だけを見せて、人々に「カミングアウトはやはり難しいことだ」という漠然とした恐怖感を与えるかもしれないと思ったからだ。実際、5、6年前までは僕の周りでも両親にカミングアウトしたと言ったり、アウティングされたと言ったら一緒に泣いたけど、最近は花束をあげながらお祝いする雰囲気に変わった。「これから大変なことがあったら僕たちに話して。君はこれからがスタートなんだ。きっと幸せになれる」と励ます。そんなふうにお祝いできるのは、カミングアウト自体が幸福ではないと分かるけど、僕たちが一緒に問題を解決していけるという信頼があるからだ。もちろん、みんな同じ状況にあるわけではないし、カミングアウトに伴うメリットやデメリットもあるだろうが、僕はメリットの面をより多く見ようとするし、そうすることで幸せになれると思う。

―実際、韓国社会で同性愛者に向かった偏見や不当な暴力は続いているし、他人によって存在自体を否定されながら生きていくという面で、同性愛者に関するストーリーは最初から悲劇性を持つしかないと思う。それにも関わらず、映画を作るときはその中で明るく愉快な点を見つけ出そうとする理由はなんだろうか?

キムジョ・グァンス:数日前、「僕はゲイだから幸せだ」という本を出版したけど、Twitterである方が単刀直入に「ゲイは不幸なんじゃないですか?」と質問してきた。僕が不幸ではないと答えたら、その人は理解できないようだった。もちろん、同性愛者として生きることが、異性愛者として生きることより、現実的に苦しいのは事実だ。でも、人は千差万別であるため、同性愛者として生きること自体が苦しいだけではないし、同性愛者でも365日間ひたすら泣いているばかりではないということを、僕の映画を通して知らせたかった。ゲイ映画が美男子たちを出演させて、ファンタジーを与えることを非難する方々もいるが、僕は憂鬱さだけを伝えるのが嫌だった。人々が映画館に来て恋愛に対するロマンスやファンタジーを夢見るように、同性愛者たちもハッピーエンディングのロマンスやファンタジーを夢見ることができることを望んだ。僕がその役割を担った理由は、僕が他のゲイ監督たちより明るく愉快に暮らしているからだと思う。映画市場性の面でも明るく楽しいストーリーが持つメリットというものがあるし。

「ホモフォビアよりもっとたくさんの人が私たちの味方」

―同性愛者に対する認識が不足な社会だから、ある面では観客のための“教育”の役割まで担っているようだ。同性愛者と異性愛者の観客の、両方の趣向や情報レベルもある程度受け入れなければならなかったと思うが、どのように程度を調節したのか。

キムジョ・グァンス:綱乗りは簡単ではなかった。例えば、ターゲットを同性愛者にするか異性愛者の女性観客にするかたくさん悩んだ。僕は異性愛者の女性まで含めるべきだと思った。そして彼らのレベルに合わせる必要もあったけど、だからと言ってクィア映画の本質から離れることはできないので、モニタリングをたくさんするしかなかった。だからミンスがお母さんにゲイとトランスジェンダーについて説明するシーンを入れて、元々お母さんはミンスがゲイということを薄々感じていたため、結婚にさらに執着していたという内容を省略した。

―ソウル市学生人権の条例に同性愛差別禁止の条項やレディー・ガガの韓国公演に対するクリスチャンの保守団体の世論など、同性愛に関するイシューが水面に浮かび上がりながら、同性愛嫌悪勢力の動きも目立つようになった。現在の韓国社会の雰囲気をどのように見ているのか。

キムジョ・グァンス:一時期、韓国の社会もだんだん変わっていると考えたけど、最近2~3年の間、ホモフォビアの団体が発言するようになって、急に後退する感じがした。権力が保守化に変わりながらその保守化された権力を握った人たちの大半がキリスト教の原理主義者だったことが重要な点だけど、その反作用として私たちももう一度団結して前進しようとする動きを感じるので、そんなに悲観的に見てはいない。彼らが提議している問題によって社会的に喚起される効果もある。むしろ私たちが問題を先に予測してないという面で反省しなければならない。しかし、ホモフォビアたちが主張して行っている方法があまりにも古いものなので、大衆にそれが受け入れられないようだ。だからそんなに恐れてはいない。

―社会的にカミングアウトした以上、周囲からの同性愛嫌悪的な態度を見せる人はいないと思うが、Twitterなどオンラインでの非難や攻撃にどう対応しているのか。

キムジョ・グァンス:前はポータルサイトの書き込みに傷ついたこともあるけど、時間が経つにつれ慣れてきた。いったん書き込みを見ないようにしている。Twitterであまり良くない内容のメッセージが来ると読まずに消してブロックする。もちろん何日か前に記事の書き込みを見て後悔して傷ついたけど、周りの人から「だけど、去年に比べて友好的な書き込みがずっと多い」と励まされた。以前は9対1だったとしたら、今は8対2くらいかな?(笑) 実はホモフォビアたちが絶対多数ではないが、あまりにも積極的だから多く見える傾向がある。そう考えると私たち味方を増やすことが重要で敵と戦うことが重要ではない。僕はホモフォビアよりたくさんの人が私たちの味方で、味方になれる可能性があると思う。

―以前話したように「私はゲイだから幸せだ」では、大学時代、民主化闘争をした経験とともに“死ぬまで民主化運動をする人”として生きると言う内容がある。20代に“デモ活動”をした人でも、続けて闘争的な考えも持って生きることは大変だと思う。その理由は生まれつき有利になれないから貫けるのではないだろうか。

キムジョ・グァンス:そうだと思う。僕は男で、40代後半で、映画会社の社長だから、もしゲイでなかったら、すでに有力な勢力になっていたり、物凄く保守的な人に変わっていたかもしれない。しかし、マイノリティだからそんな可能性が仕方なく遮断されて、それが僕の限界と同時に僕を正しい道に導いてくれる理由でもある。依然として僕の映画の観客たちのほとんどは女性で、彼女たちもやはり社会的弱者という面で、連帯できる共通点があることも長所である。

―監督と制作者、そしてゲイの人権運動家として多くのことをやり遂げていて、結婚式からLGBTコミュニティセンターの設立まで、目標にしていることも多いが、何があってもこれはやり遂げたいということは?

キムジョ・グァンス:今、韓国の社会で同性愛者たちの問題は法的な地位を獲得することだと思う。以前は主張する段階だったけど、今後は法的なことを獲得していく段階になったようだ。僕が公開結婚に関して絶えず話している理由も、同性愛者という問題を皆に知らせて、それを勝ち取ることが最初の段階だと考えているからだ。だから私たちが法的に保証されるべき多くのことをひとつずつ獲得していく過程で何らかの役に立ちたい。映画や社会運動を通じて。

―2結婚1葬式を青少年たちに見せたいと言った。青少年期は神経質で悩みも多い時期だが、韓国という国でそれに性に対する悩みまで加わったら、本当に大変な時間を過ごすことになる。直接皆とは会えないが、その時間を経験した先輩としてどんなことをアドバイスしたいのか。

キムジョ・グァンス:僕は幼稚な方だけど、むしろその時期は僕が同性愛者として悩みがあったから、世間知らずのようには生きられなかった。暗闇の時間だった。だからその悩みをあまり口に出さない方が良いと言ってあげたい。同性愛者ということで悩むからと言って解決できるわけではないから。世間のことを考えずに自分がやりたいことをやりながら生きていけば良い。今好きなことがあったら、それをしながら得るものもあって失うものもある。その得て失うことによって次の段階に行けるから。今自分が好きなことがあるなら、それにすべてを賭ける人生も悪くないと思う。

記者 : チェ・ジウン、写真 : イ・ジンヒョク、編集 : イ・ジヘ、翻訳 : チェ・ユンジョン