イ・ボムス、映画一筋だった彼がテレビ出演を選んだ理由は?

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「サラリーマン楚漢志」イ・ボムス“映画界に裏切られた気がした”

“重要な瞬間です”

去年、SBSの演技者サバイバル番組「奇跡のオーディション」は、タイトルを「重要な瞬間」と変えてもよかったと思う。審査員イ・ボムスの、この“掛け声”のような批評は、それだけ頻繁に登場した。

1990年、映画「そう、たまに空を見よう」でデビューし、演技生活22年目を迎える俳優イ・ボムスに“重要な瞬間”は、2006年。つまり、映画俳優イ・ボムスが、テレビドラマでお茶の間に姿を表した年だったという。

最初の作品だった「外科医ポン・ダルヒ」のアン・ジュングン役が人気を集め、視聴者の間ではタイトルを“外科医アン・ジュングン”に変えようとの笑い話も出てきた。以降、「オンエアー」「ジャイアント」「サラリーマン楚漢志」まで、SBSだけで4作品を成功させた。“MBCキラー”というあだ名は、いたずらに付いたものではないようだ。


「僕の人生の“重要な瞬間”は、テレビを選んだとき」

「サラリーマン楚漢志」の放送終了後、インタビューで会ったイ・ボムスは、「テレビの魅力にはまっている」と話した。1週間に140分もの分量を作り出すほどハードな撮影スケジュールだが、完成度が高く視聴者のフィードバックも即時的だからだ。

しかし、彼が最初からテレビを信頼していたわけではない。もしそうだったならば、デビューして16年後でなく、もっと早くお茶の間で彼の姿を目にしていただろう。イ・ボムスは、2000年以前までは「警察その2役」「ビール酒屋従業員その1役」「サングラスの男役」「お巡りさんその2役」など、名もない役割を拒まず、映画にだけこだわっていた。

2年前のインタビューでも、彼は“テレビには出演しない”という彼なりの信念を持っていた。イ・ボムスは、「テレビより映画で演技することに、より真心がこもっていると考えていたのは事実」と話し、時間をかけてしばらく考えた。そして、「色々と悩んだが、テレビは自分が考えた以上に期待を満たしてくれた」と答えた。

「映画俳優としての使命感を胸に抱いて生きていました。その真心は、拍手を受けるべきだとも思っていました。でも、映画でもテレビでも、人気さえあればいいのではと考え始めたんです。俳優とはとても思えないのに、人気のあるスターが映画にキャスティングされて優遇までされていることから、裏切られた感じがして、離れていく感じもしたんです。『ああ、人気さえあればいいものなんだ。じゃあ、僕もそうやってやろうじゃないか』そんな思いでテレビに出演をすることにしました。

あるとき、主役として映画に出演して、某映画雑誌の表紙に自分が載るだろうと思っていたことがあります。それが、俳優でもないただの人気エンターテイナーが表紙に載りました。商業的な判断について難癖をつけているわけではありません。販売部数を増やすには、僕より人気のある人を前面に出すのが正解です。でも、表では芸術を作っていると上品ぶって優雅ぶる態度を批判したいんです。本当にそう思っているならば、人気よりは演技に精進している人を優遇すべきです」

イ・ボムスは、このことをきっかけに俳優としてのアイデンティティについて悩み、演技をしようと決心した高校生の頃を思い浮かべた。当時俳優になりたかった理由は、「映画『男たちの挽歌』のチョウ・ユンファがカッコよかったから」それだけだった。彼は、「この上ないほど17歳の考え方を持っていた僕が大好きだ」とし、「その歳で、俳優を選択したきっかけについて奥深い何かがあるように説明したら、それは嘘だろう」と述べた。

「人里離れた山奥に引きこもって、誰かが知っていようがいまいが陶磁器を焼いては壊すという、職人マインドも素晴らしいですが、もっぱらそれだけのために俳優を選択したわけではないはずです。人々に認められたいと思った。俳優になりたかった子供の頃の真心に応えたいです。だからといって、一時期だけとてつもない人気を集めて終わってしまうエンターテイナーにはなりたくありません。いつまでも心に残る俳優として、人々に愛されたいんです」

記者 : イ・ジョンミン、イ・ヒョンジン